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あの人を訪ねたい 中村雅俊

「復興というのは、ただ壊れたものを直せばいい、というわけではないと思います。人々が生活するために必要な環境が整って、実際にその土地に住み、思い出や、自分の息吹きみたいなものが感じられるようにならないといけないと思います」

東日本大震災から、今年で5年になる。震災直後から被災地に向かい、精力的に復興支援を行っている俳優で歌手の中村雅俊さんだ。中村さんは宮城県女川町の出身だ。地元復興への思いを「住んでいる人が、何気ない毎日を笑顔で積み重ねていけるようになってほしい」と語ってくれた。

「故郷がなくなっていく」という強い喪失感

昭和49年に『われら青春!』で俳優デビューを果たして以来、俳優、歌手として芸能界の第一線で活躍を続けている中村さん。芸能生活40年を過ぎ、ますます魅力的になった演技と歌声で、多くのファンの心を掴(つか)んでいる。

中村さんは、宮城県女川町の出身。平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震以来、芸能活動の傍ら、地元宮城県を中心に継続した復興支援活動を行っている。

平成23年3月11日14時46分18秒。地震が発生したそのとき、中村さんはドラマ撮影の真っ最中だったという。

「都内の駅で、ホームに電車を止めて撮影をしていました。本番中ではなかったのですが、電車の中にいたらものすごい揺れを感じました。あんなのはシミュレーションをしたこともありませんから、どうしていいのか分からなかった。揺れが収まってからホームに、それから駅を出て、急いで家族に連絡をした。そして、無事を確認してほっとしたのを覚えています」

撮影現場から移動する間に、テレビから流れる津波の映像を目の当たりにした。そこには、生まれ育った宮城県の映像も映し出されていた。「僕は18年間宮城に住んでいたので、『地震があったら津波と思え』と教えられて育ってきました。ですから、震源地が東北だと聞いたとき、絶対に津波が来ると思ったんです。55年ほど前に起きたチリ地震津波でもチリで起きた津波が太平洋を渡って日本に来た。それでも家の2階くらいまで水が押し寄せました。今回は、それとは比べ物にならないだろうと瞬時に思いました。でも、実際にやって来た津波は想像以上のものでした」

低いトーンで中村さんは当時を振り返る。テレビでは連日、津波被害の映像が流され続けた。震災から1カ月が経過した4月。中村さんは故郷である宮城に足を運んだ。そのとき、目にしたのは、中村さんが知っている故郷の姿ではなかった。

「まず、『自分の家はどこにあったんだっけ』って、分からなくてね。住んでいたときの風景とは、もう何もかもが全く違う。ぐちゃぐちゃですから。本当に当たり前だったものがなくなっていた。物理的な喪失感だけではなく、思い出とか、だんだん記憶すらなくなってしまうような。〝自分の故郷がなくなっていく〟という感覚は、宮城を訪れるたびに、強く感じましたね」

自分の役目は心の復興を手伝うこと

震災直後から、中村さんは精力的に復興支援を行ってきた。自ら復興支援ライブを行うほか、地元で行われるイベントにも数多く参加。チャリティーライブを行って、義援金を募り地元復興のための寄付、海外で行われたチャリティーイベントへの参加、そしてNHKが主催する復興支援CDプロジェクトへの参加や、復興支援関連のテレビ、ラジオに出演するなど、その活動は多岐にわたっている。一時的な支援で終わらせたくない、自分のできることは全てやりたい、そんな強い思いが中村さんを突き動かす。

「やはり、被災したのが自分の故郷というのは大きい。地元の人間として自分は何ができるのか。あの日からずっと自問自答してきました。そこから自分のすべきことが見えてくる。自分の気持ちに忠実に動きたいという思いは常にあります。僕にできることがある限り、これからも活動は続けていきます」

継続して復興支援を行っているからこそ、肌で感じていることがある。震災から5年。復興を目指す地域の人々が求めている支援は、年々変化しているということだ。

「今後はもっと、規模の大きな復興が求められると思うのです。本当の復興というのは家が建てばいい、壊れたものを直せばいい、というわけではありません。例えば学校だったり、病院だったりといった、人々が生活するために必要な環境というのが整って、そこにまた人々が住まなければ、復興は始まらない。僕がそうだったように、子どもたちがその場所で成長し、生きて、大人になる。思い出や、自分の息吹きみたいなものをその土地に残していってこそ、〝まち〟がつくられると思うんですよね。だから、まずは安心してそこに住める環境をつくること。その上で、そこに住む人たちがつくり上げていく生活があって初めて、復興したと言えるのではないでしょうか」

仮設住宅に住んでいるのが当たり前、今までとは違う職業に就き地元を離れて生活することが当たり前になりつつある。非日常が日常になりつつある。そんな中で中村さんの優しい目は故郷の未来を見つめる。そして、一つの答えにたどり着いた。

「僕自身には、その環境をつくるだけの力はありません。学校や病院をつくったり、地元の基幹産業を充実させたりインフラを整えたり……ということは個人の力では難しい。ただ、そういった環境の復興の先に、心の復興があると思うのです。その心の復興の部分で、自分ができることがあるという思いがより強くなっています。歌を歌ったり、一緒にたわいもない話をしたり、笑顔がいっぱい生まれるような話をしたり。いわゆるメンタル的な部分で、自分が誰かの力になったり、お役に立てることがあるのではないかという気持ちが日増しに高まっています」

中村雅俊の〝歌の力〟を信じて歌っていきたい

平成26年にデビュー40周年を迎えた中村さん。「自分の歴史みたいなものを、立ち止まって振り返るいい機会になりました」という中村さんが、あらためて感じていること。それは、歌には強い力がある、ということだ。「歌うことはもともと大好きで、コンサートは40年間毎年行っていますし、トータル回数は1500回に近いと思います。ただ、復興支援のライブを行う中であらためて思ったのは、歌が人と人をつなげたり、勇気とか元気とかを与え合ったり、お互いにパワーを分かち合っていくという力がある、ということです。僕がこうして歌っているだけで、目の前にいる人が涙を流していたり……自分が、誰かに、何かしら影響を与えているんだということをあらためて実感した瞬間、『歌ってすごいんだな』と再認識しました」

もちろん、俳優としての活動も積極的に行っていきたいと前を向く。過去に何度か出演経験のあるアメリカ映画にも、またチャレンジしていきたいと思っているという。しかし、40年という一つの節目を迎え、またここ数年行ってきた復興支援活動を通じて、気が付いたのは〝歌い続けたい〟という思いなのだ。歌の力を再認識した中村さん。27年には、約7年ぶりとなるシングル『はじめての空』をリリースしている。

「これくらいの年齢になると、『おじさんはこう思っているんだよ』っていうメッセージソングが歌いたくなるんですよ(笑)。この『はじめての空』っていうのは、何かを頑張った先に目を開けると、また新しい景色が見えてくる、という思いが込められています。いまだかつて見たことのない、はじめての空が見えるよ、と。何かを頑張ってやることで、ちょっと違った環境に足を踏み入れたり、それまでと違った意識になれるんじゃないかという、そういうメッセージソングになっています。幅広い世代の人に伝わると思いますし、また、被災地の人々を励ます歌にもなっていると思います」

その場を包み込むような、穏やかな笑顔でそう語る中村さん。リリースした『はじめての空』には、次のような一節がある。

「誰かのために/できることはいつも/この先の道に/また繋(つな)がっていた」

震災から5年。もう一度私たち一人ひとりが『自分にできることは何か』を自問自答するタイミングなのかもしれない。

中村雅俊(なかむら・まさとし)

俳優、歌手

1951年、宮城県牡鹿郡女川町生まれ。慶応義塾大学卒業後、1974年にテレビドラマ『われら青春!』で俳優デビュー。同時にドラマ挿入歌『ふれあい』で歌手デビューも果たし、100万枚を超える大ヒットとなった。以降、俳優としてテレビドラマや映画、ミュージカルで活躍。歌手としても毎年コンサートツアーを敢行するなど、精力的に活動を行っている。2011年の東日本大震災以降は、地元宮城県を中心に復興支援活動にまい進。2012年には、公益社団法人日本財団により「被災地で活動した芸能人ベストサポート」の一人に選出され、表彰されている

写真・村越将浩

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