井原地域は、豊富な水と温暖な気候に恵まれ、古くから綿花・藍の栽培が盛んでした。そのため、織物業が発達し、藍染め厚地織物が特産として全国に広まっていきました。昭和40年ころからは、先染めデニムの生産が活況を呈し、一時は日本のジーンズの70%を生産するまでになりました。しかし、円安の進行や単価の安い海外製品の流入などにより産地としては縮小してしまいました。ただ、現在でも当地には伝統の技が集積しており、井原のデニムは海外ブランドからも高い評価を得ています。
当社は大正6(1917)年に創業。私は昭和49年、大学を卒業してすぐに入社しました。教授からは、「5年か10年、ほかの企業で働いた方がよい」と言われましたが、あのときに井原に戻ってきて本当によかったと思います。産地の衰退を肌で感じることができましたから。特にプラザ合意のあった60年は急激に円高が進み、合成繊維を海外に輸出していた企業の多くが廃業に追い込まれました。
そんなとき、イタリア・トスカーナの光景を見て、がく然としました。コストの安い産地が台頭し、分業制だった織屋の大半が廃業に追い込まれていたのです。残っていたのはわずか5社だけ。そして、その全てが一貫生産できる設備を有していたのです。近い将来、同じことが日本でも起きると思い、すぐに設備投資を進めました。現在の組合加盟社数は15。あの選択は間違っていなかったと思います。
当社が本格的にデニム生産に参入したのはかなり遅い60年ころ。アパレルブランドで働く友人からデニムの話を聞いたことがきっかけでした。当時、デニムはすでに高速織り機で大量生産されていましたが、当社の持っていた旧型の織り機を使うことで、オンリーワンの高付加価値の製品をつくることができることが分かったのです。周回遅れのスタートだったからこそ、新しい道を切り開くことができたのかもしれません。
今後は、これまで以上に海外向けの商品開発、販路開拓に力を入れていく予定です。海外でも当社は高品質なもので勝負するつもりですし、現在もオーガニック・コットン(有機栽培綿)の認証、オーガニック・テキスタイル(GOTS)に挑戦しているほか、さらなる付加価値を生み出すべく、努力を重ねています。こうしたことから生み出される安心感こそが他国との違いになると信じています。
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