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100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 地域に密着し、必要とされる商品を扱う

吉字屋本店

山梨県甲府市

「謙信の塩」からはじまった歴史

戦国時代、相模の北条氏康、駿河の今川氏うじ真ざねにより甲斐の武田信玄は「塩留(しおどめ)(塩の配送禁止)」を断行された。武田氏の領地は海に面していないため、領民は塩飢き饉きんで困窮。その窮状を救ったのが信玄の好敵手である越後の上杉謙信だった。謙信は越後産の塩取引を甲斐と通常の条件で行うことにしたのである。そのことから、敵対関係であっても、相手が苦しい立場のときには助けることを「敵に塩を送る」というようになった。

信玄の命を受け、越後産の塩の取引に向かったのが塩屋孫左衛門。彼こそが吉字屋本店の初代である。永禄11(1568)年1月11日に長野県の松本まで塩を持ち帰り、同月14日に甲府に到着。その功により、孫左衛門は塩の決済に用いられたとされる通貨「甲州金」に刻まれていた「吉」字を屋号とすることを信玄より許された。これが長い歴史を誇る吉字屋の原点である。

江戸時代に入ると、塩のほかに菜種油や「行燈(あんどん)」の油を取り扱うようになる。明治時代には、石油ランプの油を扱いの中心とする「油問屋・吉字屋孫左ヱ門」を兼ねるようになった。明治33年に、ライジングサン石油(昭和シェル石油の前身)との直接取引を開始。日本最古の石油販売特約店として、本格的な石油製品の販売に取り組む。やがてマイカー時代の到来とともに、石油製品に加え、損害保険や生命保険の扱いも始めた。つまり、カーライフをトータルでケアするビジネスへと舵かじを切ったわけだ。

後継は一種の文化

現社長である十八代目の髙野孫左ヱ門さんは昭和シェル石油で、3年7カ月の修業を経験している。その後、吉字屋に戻り、社長に就任したのが平成7年のことだった。

吉字屋では、代々当主が引き継いできた「孫左ヱ門」という名前がある。それを襲名したのが21年12月。それまで総一だった名前が、戸籍上も孫左ヱ門となったのだ。

「戦前は家督を譲ると当代が襲名し、先代は隠居するという商家の習わしに従っていたらしいのです。ただ、父が襲名したのは、16代が没した昭和43年のことでした。だから、私の襲名も先代に倣った形になると思っていました。ところが、その年の正月におもむろに生前に継承せよと言われたのです」と当代の孫左ヱ門さんが語る。

幼名の本男さんに戻った先代が鬼籍に入ったのは、それから5年後の平成26年9月26日のことだった。「11月11 日にお別れの会を設けたのですが、父を亡くして初めて、なぜ生前襲名にこだわったのかが分かったような気がしています」。

先代が襲名したのは、創業400年の記念式典を準備している最中。その引き継ぎだけでなく、事業継承の手続き、そして襲名のための法務が加わり、繁忙を極めたのだろう。その経験から自分の息子には、同じ苦労はかけたくないとの思いから、ソフトランディングを目指したのではないか、父を見送った当代の孫左ヱ門さんは、そう考えるようになったのだという。

「父はもともと、大学で応用化学を研究していて、できれば研究者の道を歩みたいと考えていた人でした。しかし、空襲で焼け野原になった甲府を見て、祖父に請われて家業を継いだのです。ですから、迷いを抱きつつ、17代の孫左ヱ門を継ぎ、その重責を担ってきたのではないでしょうか」

では、現在の孫左ヱ門さんには暖簾(のれん)を受け継ぐにあたっての迷いはなかったのだろうか。

「うまくいっている老舗企業は、不思議と三世代同居のところが多いのです。わが家もそうでした。祖父母、両親と一緒に暮らしていましたから。後継というのは、一種の文化のような感じすら持っています。祖父母や両親、叔父、叔母の姿を見て育つと、自然に後継ぎになる文化があると思うのです」

このように当代の孫左ヱ門さんは、吉字屋の18番目のランナーとして、襷たすきを受けることは自然なことで、迷いはなかったときっぱり話してくれた。幼いころから、祖父母からは吉字屋の跡取りだと言い聞かされたが、不思議と父からは何も言われなかったという。それも、先代が自分の経験から「決して押しつけるものではない」と判断していたからかもしれない。

最古にして最新たれ利より信をとれ

「事業の継承には、資産、企業文化の継承、さらにどう後継者を確保するかの3つが必要だと思います。その中で、吉字屋が最も大切にしているのが、企業文化の継承です。『最古にして最新たれ』と『利より信をとれ』という〝家憲〟ともいうべき精神は、今でも脈々と息づいています」

「最古にして最新たれ」が最も明確に表れたのが、平成2年に民間として初めて導入した太陽光発電システムではないだろうか。当時は、現在ほど再生可能エネルギーに対する認識も高くなかった時代である。しかし、吉字屋の地元は東海沖地震の警戒区域に指定されているため、安定的なエネルギーの供給をとの思いで、どこよりも早く取り組みを始めたのだ。

また、塩、油、電気と地域の人々の生活に欠かせない物を扱うのは「利より信をとれ」の精神を何よりも体現している。

17年には山梨トヨペットの株式をトヨタ自動車から譲り受け、自動車販売にも進出している。以前16代が「山梨トヨタ自動車販売」を立ち上げたり、ネッツトヨタ山梨の社長を平成13?17年に総一さん(18代)が兼務するなどの関わりはあったが、トヨタが山梨トヨペットの株式を全部譲渡したのも吉字屋が「地域に信頼され愛され続けている企業」だからこそだろう。

最後に、18代がこう語ってくれた。「何代も続く老舗で、うちのように、販売を主たる業務にしている企業は珍しいと思います。それでも何とか歴史を紡げているのは、地域に密着し、そこで必要とされる商品を扱っているからだと思います」。

プロフィール

社名:株式会社 吉字屋本店

所在地:山梨県甲府市中央4-5-29

電話:055-232-3111

代表者:髙野孫左ヱ門 代表取締役社長(十八代目)

創業:永禄11(1568)年

従業員:50 人(うち正社員は41 人。別にパート・アルバイトは46 人)

※月刊石垣2015年1月号に掲載された記事です。

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