竹茗堂 左文
奈良県生駒市
一子相伝で技術を継承
奈良市の北西にある生駒市高山町は、伝統工芸品である茶筌(ちゃせん・茶道で抹茶をかき混ぜる道具)の産地で、国内生産量の9割以上を占めている。竹茗堂左文(ちくめいどうさぶん)はこの地で400年近くにわたり茶筌をつくり続ける家系の一つで、堂主の久保左文さんは二十四代目となる。 「室町時代、茶道の祖である村田珠光(じゅこう)が、抹茶を混ぜる道具の製作をこの地の領主の次男である鷹山宗砌(そうせつ)に依頼したのが茶筌の起源とされています。宗砌の茶筌は後土御門(ごつちみかど)天皇に献上され、“高穂”の銘を賜りました。喜んだ領主は“高”の字を取って姓も地名も鷹山から高山に変え、以来、家臣を使って茶筌をつくり続けていきました。ですから、高山の茶筌の歴史は500年以上に及びます」
そして寛永10(1633)年、高山家は丹後の宮津藩(現在の京都府宮津市)に仕官することになり、この地に残る家臣16人に秘伝の茶筌の製作と販売を許可した。これが竹茗堂左文の創業年となっている。家臣たちの一家は、それぞれ一子相伝で茶筌づくりの技術を継承していった。
そのため、かつて茶筌づくりは夜なべして行うのが普通だった。昼間は雑務を行い、夜に茶筌をつくるのだ。夜のほうが精神集中できるというのもあるが、夜は誰も家に来ないため、それによって技術の流出を防いでいたのだという。
「昭和に入っても家内工業的に茶筌をつくり続けていました。私の家は直系ではなく、父の代で分家し、昭和15(1940)年に竹茗堂を創設しました。そして戦後になると、人手不足から近所の農家に技術指導するようになり、高山に新しい茶筌業者が出てきました」
海外からの輸入品に対抗
高度経済成長期に入ると、女性の花嫁修業の一つとして茶道が普及したことから、茶筌の需要が大きく高まり、大阪万博が開催された昭和45(1970)年に茶筌の生産はピークを迎えた。その一方で、新たな問題も起ころうとしていた。「当時、高山では茶筌の製造業者が50軒ほどに増えていました。ところが、70年代後半から外国産の茶筌が出回るようになったのです。調べたところ、高山の一部の業者が韓国に技術指導に行ってつくらせて、それを自分のところの商品に紛れ込ませて高山茶筌として売り出していました。品質は劣るのですが、形は似ていて価格が安いので売れてしまう。高山の茶筌は大きな打撃を受けました」
茶筌組合理事長だった左文さんは、規制を求めて国に働きかけた。しかし、当時は伝統産業や手工芸品の生産は途上国に任せ、日本は高度な技術に携わっていくべきという風潮だったことから、外国産茶筌の流入根絶は困難だった。
「その影響で高山の業者は減少しました。また、その後、別の問題も持ち上がってきました。女性の社会進出が盛んになったことで、花嫁修業として茶道をする人が減り、それによって茶筌の需要も減っていったのです。今では高山で茶筌をつくる業者は約20軒にまで減り、これからも減る方向にあります」と、左文さんは表情を曇らせる。茶筌づくりの技術と伝統を絶やさないためにも、茶道人口を増やしていく努力が必要となった。
技術の進化で差別化を図る
「その一つが海外への展開です。平成20(2008)年にパリのルーブル美術館内の装飾芸術美術館に茶筌を出展する機会があり、大きな反響がありました。これを契機に海外ではやれば、その人気が日本に逆輸入されるのではと考え、その後も26年にパリのジャパンエキスポ、27年にはニューヨーク展示会に出展・制作実演、お茶の接待などを行いました。そういったことが需要を喚起したのかどうかは分かりませんが、最近は非常に忙しくなっています」と左文さんは顔をほころばせた。
さらには、茶道を気軽に楽しんでもらうために、初心者でも扱いやすい柄の長い茶筌とマグカップをセットにした茶道具セット「マグカップ・マドラーDEお茶」や、ミニ茶道具セット「お茶ごころ」などの新商品の販売も始めている。「茶筌は消耗品なので茶道があるかぎり売れていきますが、それでも製品を進化させていかないとお客さまは離れていきます。お客さまからのクレームが新製品や品質向上のヒントになることもあります。どんな注文も断らない、依頼を受けたものは先方に届けるまで責任を持つ。そういうところは普通の企業と変わりません。技術を進化させてほかとの差別化を図る。これがうちの強みだと思います」と左文さんは力を込めて語る。
最近では茶筌の材料となる竹が不足しており、左文さんは生駒商工会議所の会頭として、竹林の再生事業にも取り組んでいる。地域の伝統産業は、こういった老舗の努力によって守り続けられている。
プロフィール
社名:竹茗堂 左文(ちくめいどう さぶん)
所在地:奈良県生駒市高山町6439-3
電話:0743-78-0034
代表者:久保左文 代表
創業:寛永10(1633)年
従業員:10人
※月刊石垣2019年4月号に掲載された記事です。
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