アニメやSF映画に登場する人型ロボット。そのロボットの研究・開発の最前線にいるのが、工学博士の石黒浩さんだ。ギネス世界記録に記載されているアンドロイドの開発者であり、アメリカ・CNNが「世界を変える8人の天才」(2007年)に選出するほど世界的な活躍をみせる。その石黒さんに、人間に刻々と近づくアンドロイドの可能性を聞いた。
著名人そっくりのロボットは簡単にできる
石黒浩さんのファッションスタイルは黒で統一されている。取材当日も例外ではなく、ひと目で石黒さんと分かるいでたちで颯爽(さっそう)と現れた。石黒さんの研究・開発を進めるロボットは、自動車工場などで活躍するアーム状の産業用ロボットではない。人と豊かに関わる人型ロボットだ。
これまで夏目漱石や渋沢栄一、人間国宝の落語家・桂米朝やマツコ・デラックスら、古今の著名人そっくりのアンドロイドは、テレビや雑誌など各種メディアをにぎわせてきた。だが、「この手のアンドロイドはどれも難しいことはありません。ただ喋(しゃべ)らせておけばいいのですから、簡単です」とさらりと言い切る。偉人ならば、その人物にまつわるさまざまな見解や研究を集約して一つの人格をつくれるというからすごい。
2000年に本格的なアンドロイドの研究を始め、05年には実モデルに酷似した遠隔操作型のアンドロイドがギネス世界記録に記載されて以降、今なおトップランナーであり続ける。いわゆる働くロボットではなく、人と相互作用するロボット研究という一分野を切り開いた学者としての功績は大きい。
石黒さんは、ご自身そのものをコピーした遠隔操作型アンドロイドのジェミノイド®HIシリーズを開発しており、そのうちの一つ、等身大のHI-4は、石黒さんに代わって出張講演もこなすほどだ。
「移動する時間とコストが省け、講演後の質疑応答のみ遠隔操作で対応すればいい。自分の存在を2倍に使えて、経験も2倍です。以前、アンドロイドを使った会議の出席は出席に当たらないと言われて抗議したことがありますが、コロナ禍でオンライン会議が一気に普及して、体がそこに『ある』かどうかは問われなくなりました。仕事を『する』ことが重要ということがようやく認知されたと思います。実際、ここにいる僕がアンドロイドかどうかなんて誰にも聞かれたことはありません。聞かれても内臓や脳みそを見せることはできないわけですから」
そう言われて石黒さんの名刺をふと見ると、印刷されている顔写真がアンドロイドであることに気付く。これが二次元ではなく三次元でも起こり得る、ということだ。
自分を追い込んだ先にブレークスルーがある
そもそも石黒さんがロボットに興味を持ったのは大学時代にさかのぼる。コンピューターへの興味が人工知能の研究に発展し、さらに人工知能には「脳」だけではなく経験できる「体」が必要と考えてロボット研究に没頭していった。筋金入りの理数系男子を想像するが、子どもの頃から絵を描くのが好きで、高校時代は美術クラブに所属し、美術大学への進学を考えたこともあるという。
「芸術で食べていくのは大変です。だから、当時注目されていたコンピューターに切り替えました。別ジャンルと思うかもしれませんが、芸術的センスが問われる点では同じです」。そこからの活躍が目覚ましい。ターニングポイントは1991年、大阪大学大学院での博士課程修了までの過程にある。
「『死ぬ気で頑張ります』って口にする人がいますよね。でも、本当に死ぬ気でやった人ってどれだけいるのでしょうか。僕は博士号を取れなかったら死ぬ覚悟で、約半年間考え続けて、その間は毎日のように手が震えていましたが、ある日を境に左脳と右脳のつながり方、脳の構造がガラッと変わった感覚がありました。これは僕に限ったことではなく、成功されているトップ経営者は『死ぬ気で頑張る』の意味を理解し、行動に移した方ばかりだと思います」
石黒さんが「努力では超えられない壁がある」と言い切るのも、「努力」という言葉では生易し過ぎる、相当な覚悟で挑んだ自身の経験があればこそだ。
だが、石黒さんの開発するロボットは、最先端技術を駆使しつつ、子どもや高齢者に寄り添うものが多い。例えば、小型の遠隔操作型ロボット「テレノイド」は、あえて年齢、性別が不詳な顔にして、人間の姿形にストレスを感じる認知症や自閉症の人のコミュニケーションをサポートしている。すでに事業化されている抱き枕型コミュニケーションメディア「ハグビー」は、頭部にスマートフォンをセットすることでハグしながら通話できる。こうすることでリラックス効果が高まり、ある授業では子どもたちが静かに先生の話に聞き入ったという成果を出している。
ロボットが人に寄り添う。そんな優しい社会が描かれている。
生身の体かどうかは人間の条件に含まれない
そんな石黒さんが、今、注力しているのが2015年に開発した自律対話型アンドロイド「ERICA(エリカ)」だ。
会話研究用プラットフォームで、美人の条件をCGで合成した容姿端麗にして会話もしぐさもスムーズなERICAは、現在石黒さんの研究所のロビーに置かれ、不特定多数の人との会話が可能なレベルまで進化している。今後は研究所の受付業務を行う予定だ。
他にもアバター(ネット上の分身)を使った遠隔操作技術の開発も進めており、テーマ事業プロデューサーを務める25年開催予定の大阪・関西万博では、一般客のアバター参加を目指している。国の一大プロジェクト、50年までに人が体、脳、空間、時間の制約から解放された社会の実現を目標としたムーンショット型研究開発事業にも参画。誰もが自在に活躍できるアバター共生社会を目指した研究も続けている。
「アバターの研究を5〜10年続けて、その成果を自律対話型アンドロイドに還元していく。それを繰り返していくようなイメージです」
こうした石黒さんのロボット研究・開発の根底にあるのが「人間とは何か」という問いだ。だが、
「極端ですが、人間の定義はもはや『ない』と考えています。義手や義足の人でも超人的なパフォーマンスを発揮されますし、仮に人工臓器90%以上の人がいたとしても、その人は人間です。ならば生身かどうかは、人間の条件に含まれないということになる。太陽の異変や異常気象などを考えると、有機物の体で持ちこたえられるのか。1万年後の人間、地球はどうなっているのかと考えると、すでにロボットと人間を比較するのもおかしいですし、境界線はすでにありません。だからこそ人間ができることは何か、人間の価値を探し続けるんです」
ロボットを介し、人間の可能性を真摯(しんし)に探究し続けている。
石黒 浩(いしぐろ・ひろし)
大阪大学教授・工学博士
1963年生まれ。滋賀県出身。大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了。現在、同大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授(栄誉教授)。ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)。自分自身や著名人のアンドロイドをはじめ、アンドロイド研究開発の第一人者として世界的に注目されている。JST MOONSHOT目標1プロジェクトマネージャー、2025年大阪・関西万博テーマ事業プロデューサーを務める。著書多数、近著に『最後の講義 完全版』(主婦の友社)がある
写真・後藤さくら
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