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あの人を訪ねたい 山中伸弥

「大阪万博では、世界中の人々に50年先の医療の姿をお見せしたいですね」

大阪府は「2025年国際博覧会(万博)」開催地に立候補し、行政、経済界、各種団体などによる「誘致委員会」を立ち上げた。京都大学iPS細胞研究所(CiRA)所長の山中伸弥さんは万博誘致特使として業務を委嘱されている。山中さんは研究者として50年先の医療の姿を見せるため、大阪万博誘致を勝ち取りたいと力説する。

町工場の長男に生まれ科学少年に育つ

昭和45年に開催された大阪万博。山中さんは小学2年生だった。 「アポロ17号が採集した月の石が印象に残っています。すぐ近くで見られるなんて夢のようで、わくわくしました」

山中さんは37年、大阪市で生まれた。実家はミシンに使われるルーパーとよばれる糸をすくう部品などを製造する町工場・山中製作所を経営していた。技術者である父・章三郎さんの働く姿を見ていたせいか、数学と物理とSF小説が好きな科学少年に育っていった。

山中さんは長男であり、町工場を継ぐ立場だが、父は医者になることを勧めていたという。町工場の経営の厳しさを息子に味わわせたくはなかったのではないかと山中さんは思っている。

高校時代はフォークグループ・かぐや姫のカバーバンドでギター兼ボーカルを担当し、スポーツは柔道に没頭した。高3のとき、大阪府高校柔道選手権大会団体戦でベスト4に進出した戦歴を持つ。

56年、神戸大学医学部に進学、医学生としての勉強の合間、柔道とラグビーで体を鍛えた。卒業時の進路には、患者の治療を行う臨床医学のうち整形外科と循環器科、病気の原因を解明して治療法を探る基礎医学という三つの選択肢があった。山中さんは、研究者に憧れていたことから元々、基礎医学に進みたいという気持ちが強かったのだが、周囲の反対が強く、整形外科の臨床医になる道を選んだ。整形外科医には柔道とラグビーのけがで何度も世話になった縁があったからである。

62年に整形外科の研修医として国立大阪病院(現・独立行政法人国立病院機構大阪医療センター)に勤務。山中さんが基礎医学へ転身するきっかけとなったのは、この病院で患者と向き合った体験だった。整形外科医の主な仕事は手術だが、重症の患者、難病に苦しむ患者は、いくら手術の腕を磨いても治せないことを痛感したからだ。そのため2年間の研修医生活が終わるころには、基礎医学へ進みたいという気持ちが強くなっていた。重い病気を併発した父の死も医師としての人生を考え直すきっかけになったという。

基礎医学へ進路を変更すると決意した平成元年、信頼を寄せていたある先生の勧めで大阪市立大学大学院の薬理学教室に進学する。薬理学の知識に乏しく受験の面接ではしどろもどろになってしまったが、「研究したい」という気持ちを必死で訴えて合格した。

基礎医学の研究の現場では、仮説を立てて実験をして検証することを果てしなく繰り返す。

「すると予想していなかったことが起こり、今まで感じたことのない興奮を覚えました。その気持ちを今でも忘れられないから、研究を続けているのでしょうね」

根気と好奇心。それが研究者には欠かせない能力だという。そこで研究者を採用する立場になった山中さんは、応募者の成績よりも研究をしたいというやる気を重視している。

日本では組織のリーダー米国では研究者に徹する

大学院卒業後、米国のグラッドストーン研究所に採用されて4年間、トーマス・イネラリティ教授の指導によりiPS細胞の研究に取り組む。帰国後は奈良先端科学技術大学院大学の教授などを経て16年に京都大学へ移った。18年にマウスでiPS細胞の作製に成功したことを論文で発表、24年にノーベル生理学・医学賞を受賞、現在はCiRAとグラッドストーン研究所を往復する日々を送っている。

「日本にいるときは組織の長に徹し、グラッドストーンでは研究者に徹しています。組織の長としては研究環境を整えることに重きを置き、次の世代の研究者を育成することを心掛けています」 日米で活動を続けていて危機感を抱くことがある。

「この20年ほどで研究の仕方がずいぶん変わりました。10年前は遺伝子の設計図を解読しようとすると何年もかかり、何百億円という費用がかかった。つまり基本的に不可能だったということです。今では解析期間は1週間ほど、費用も何十万円で済みます。予想を超える技術革新が起こり、研究の仕方を変えていかなければ研究者として成功できなくなりました」

日本の研究者は職人的な粘り強さをもって欧米の研究者が気付かないことを見つけることで世界から尊敬されていた。だが、もうそういうやり方は通用しなくなった。

「何百人という大きな研究組織をつくって、ブルドーザーで一気に地ならしするように研究を進めることができなければ成果を上げることができません。そのため組織をオーガナイズする能力のある研究者が求められています。その点では米国の研究者の方が優れている印象を持っています」 日本の研究者はマインドセットを変える必要がある。

「新しい技術をいち早く自分の組織に取り込めるかが決め手になります。日進月歩の新しい技術を一人でカバーすることは不可能なので、技術を持っている人といち早くコンタクトを取って有機的に結び付き共同で研究を進めていく。そういうふうにマインドセットを変えていかなければなりません」 山中さんが取り組む再生医療が確立されるまでにはまだ20年、30年という時間がかかりそうだ。 「iPS細胞の作製からまだ10年、マラソンに例えれば42・195㎞のうちの10㎞あたり。調子よく走れていても油断はできません。再生医療の研究は、この先も困難な道のりが続くでしょうが、耐えて前へ進まなければなりません」

大阪万博で50年後の明るい未来を示したい

もし大阪万博が実現すれば、多くの人に50年先の医療の姿を見てもらいたいという。

「そのころにはがんを含めてかなりの病気が治ると思っています。それは患者さんご本人やご家族にとって幸福なことですが、社会全体としてみても幸福でなければなりません。病気が治ることで医療費や年金といった社会保障に大きな負担がかかり、現役世代が苦しみ、高齢者が肩身の狭い思いをして生活する社会にはしたくありません」

だから山中さんは「病気が治るだけでは50点」と考える。

「ではどうするか。学者だけでは答えを出すことはできません。そこで万博を50年先の日本を考えるきっかけとしたいのです」

大阪万博は経済的な地盤沈下が進行する関西を盛り上げる絶好の機会でもある。

「ぜひ誘致を勝ち取りたい。そのためには企業の方々にも本気になっていただきたい」

今年から誘致活動が本格化する。ぜひ実現させて、山中さんが感じた「わくわく」感を次代を担う人たちにも味わっていただきたい。

山中 伸弥(やまなか・しんや)

京都大学iPS細胞研究所 所長

昭和37年、東大阪市出身。神戸大学医学部卒業、大阪市立大学大学院医学研究科修了(博士)。グラッドストーン研究所の研究員、奈良先端科学技術大学院大学の教授などを経て、平成22年から現職。19年、ヒトの皮膚細胞からiPS細胞の開発に成功したことを発表、24年、ノーベル生理学・医学賞を受賞。26年にiPS細胞からつくった網膜の細胞移植が行われ、さまざまな研究機関で臨床研究が計画されている。

写真・五木田友宏

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