赤尾漢方薬局
京都府綾部市
中国へ生薬を買い付けに
数種類の生薬で構成され、崩れた体調のバランスを整えることで病気を治していく漢方薬は、中国では数千年の歴史があり、日本には5〜6世紀に伝来したとされている。京都府北部の綾部市にある赤尾漢方薬局は、初代の赤尾冬吉が明治42(1909)年に和漢薬問屋を創業したのが始まりである。
「初代は福井県高浜町の出で、次男だったことから、大阪の生薬の卸問屋でしばらく働いた後、独立して綾部で商売を始めました。初代は日本の農家から生薬を買うだけでなく、自分で中国大陸にまで買い付けに行っていたようです。卸の傍ら、薬剤師を雇って漢方薬局も営んでいて、家伝薬のようなものも売っていました。明治時代は西洋医学が推奨され、漢方薬には難しい時代でしたが、なんとか細々と続けていったようです」と、四代目で自ら漢方薬剤師を務める赤尾征樹さんは言う。
初代はそんな厳しい時代をくぐりぬけ、41年もの長きにわたり商売を続けた。戦後の昭和25年に息子の定彦さんが二代目として後を継いだが、病気がちで体が弱く、中国に買い付けに行ったり、全国に営業に出たりするのが難しかったことから、卸は縮小して、漢方薬局の方をメインにしていった。それが功を奏したのか、二代目も39年にわたり店を守った。二代目は赤尾さんの祖父に当たる。
「祖父は長男に後を継がせたかったようですが、長男は薬剤師にはなったものの大学で研究職の方面に進んでしまったので、三男である私の父が後を継ぐことになりました」
薬膳カフェで漢方を身近に
三代目として店を継ぐことになった明俊さんは、大学卒業後は就職してサラリーマンをしていた。家業を継ぐことに決めてから大学に入り直し、薬剤師の資格を取ってから店に戻ってきた。その後は、漢方薬局を続けながら、新たな事業も起こしていった。
「母も薬剤師だったので、漢方薬局とは別店舗で、赤尾健康堂薬局という調剤薬局も始めました。2000年に介護保険制度が始まると、母がケアマネージャーの資格を取って、居宅介護支援事務所のケアショップ赤尾を開設して、介護に重点を置くようになりました。そうしていくと、地域にデイサービスの必要性を感じるようになり、14年にはリハビリ専門のデイサービスの活き活きクラブも開設しました」
また05年には、家の前半分を薬局、後ろ半分は住居にしていた築120年以上の建物を改造し、住居だった部分に薬膳カフェ「悠々」を開設した。こちらでは、体に優しくおいしいをコンセプトに、漢方薬の原料を使用した「蓮の葉包蒸飯」や、気分や体調に合わせて楽しめる薬膳茶を提供している。
「以前とは違い、漢方薬局は一般的になじみがなく、敷居が高いイメージになっていました。そこで、まずはカフェで漢方に親しんでもらえたら、という思いでこの店をつくりました」
赤尾さんが働いていた東京から戻ってきたのもこのころだった。父親から店で新しいことをやるから帰ってこないかと言われたのがきっかけだった。
父親の下で漢方を学ぶ
赤尾さんは子どものころから家を継ぐよう言われていたものの、そのつもりはなかった。とはいえ、いつかは継がないといけないかもという思いもあり、大学では薬学部に入り、卒業後は都内の漢方薬局チェーン店に就職していた。
「薬学部と就職先で漢方の基礎は学びましたが、漢方というのは職人的なところもあって、患者さんの顔色や脈を見て、どの生薬が合うか合わないかを判断するには、長年経験を積んだ人から教えてもらわないとできません。そのため、私のように家業でやっていない限り、漢方の道に進むのは難しいのです。私が家に戻ってきたのは24歳のころでしたが、それから自分一人で全部できるようになるまで6、7年かかりました」
赤尾さんは、父親の下で漢方について学びながら、カフェのコンセプトづくりや、ネットショップの構築などを進めていき、15年に四代目として社長に就任した。今ではオンラインのビデオ通話での相談も受けており、店に行かなくても漢方薬を購入できるため、全国各地から相談が寄せられている。
「一昨年からはクラウド型の電子カルテを導入し、今後は漢方を取り入れたデイサービスも考えています。このまま何もしなければ、漢方業界は先細りしていくだけ。多くの人たちが少しでも漢方に触れられるような機会を増やしていけたらと考えています」
かつては城下町だった古いまち並みにある赤尾漢方薬局だが、顧客は全国に広がり、漢方の将来の発展にも目を向けている。
プロフィール
社名:株式会社ヘルシーライフ
所在地:京都府綾部市本町2-3
電話:0773-42-0429
HP:https://www.akaokanpou.com/
代表者:赤尾征樹 代表取締役
創業:明治42(1909)年
従業員:13人
【綾部商工会議所】
※月刊石垣2021年9月号に掲載された記事です。
最新号を紙面で読める!