人間、四面楚歌と感じるときがあるものですが、ぶれずに人に踊らされないで自分でかじを切ること、それが幸せへの道です。
私は高校時代から、人間の命には二つあるという考えを抱いています。一つ目の命は、物理的な人の『死』で幕を下ろしますが、もう一つの命は、その人の記憶が人々の中に残っている限り生き続ける、という考えです。アインシュタインは二つ目の命を、今も生き続けているわけです。
数学史に名前が刻まれることを二つ目の命としたいと考え、私は数学の道に進みました。ところが大学院に進んだ2年目に、実家のディスカウントショップが火を出し、退学しました。「再起のためにお前の力が必要だ」と父に頭を下げられ、断腸の思いで数学の道を諦めて実家に入ったのです。
その時「やるからには世界規模を目指す」と父に宣言し、父も理解してくれてスタートしました。私はとにかく働きました。1店目の再建が成功し、2店舗目も軌道に乗りました。ところが、銀行の応援も得て3店舗目の用地にメドが立ったところで、突然父から「待った!」が掛かりました。
父はまさか私が本気で夢に向かうとは思っておらず、そろそろ楽をしたいと考えていたのでした。「これ以上拡大はしない。それが嫌なら、財産の白紙委任状を書いて、辞めろ」と言われました。再度夢を断たれた私は、熟慮の末、1年後に家を出ました。勇気のいる決断でした。
辞めてからいろいろな人に相談しました。ところが、信頼していた人が裏に回って私の噂を広げていました。「2600万円も給料をもらっていたお坊ちゃまが、実家を出て無一文になり、サラリーマンで食っていけるわけないだろう。2、3年で泣き付いて戻って来るよ……」
四面楚歌でした。私は苦労を覚悟してくれた妻に言いました。「10年後を見れば分かる。私が一介のサラリーマンで苦労していれば、父が言ったことが正しかったことになる。しかし10年たって、私がどこかで頭角を現し、今の収入以上を得て仕事をしているなら、この決断は正しかったと世間の人は見るだろう」
その直後、船井総研に入社したのですが、運が良いことに、9年9カ月で専務になり年収は2600万円となりました。その時点で、実家を辞めたことは、自分にとって失敗ではなかったという証明はできたと思います。
意地で頑張り通した10年のおかげで、今の私があります。私を追い込んでくれた周囲に対して今では感謝しています。
四面楚歌であっても、自分で選んだ道を全力で突き進めば、道は開けます。勇気を持って変革を恐れない人には、必ず幸せが待っているのです。応援しています。
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