「はじめまして、こんばんみ!!」「わっしょい!」のギャグで大ブレイクし、今やお笑い芸人の枠を超えてマルチタレントとして活躍するビビる大木さん。幕末史跡巡りが趣味というほど幕末時代に関心が高く、渋沢栄一の生き方にも感銘を受け『ビビる大木、渋沢栄一を語る』(プレジデント社)を出版したほどだ。大木さんから見た幕末、渋沢栄一の魅力を大いに語ってもらった。
NHKの大河ドラマ『新選組!』から幕末好きに
「現実的ではない」―。
ビビる大木さんがそう言われたのは、担任教師と親を交えた高校の進路相談の時だった。1974年生まれの大木さんは、お笑い番組『8時だョ!全員集合』や『オレたちひょうきん族』で育った世代である。テレビの向こう側は楽しそうで、高校生の時に自分も向こう側に行きたいと本気で意識するようになったという。その思いを正直に伝え、大人たちから返ってきた言葉が冒頭のものだ。
だが、大木さんはくじけなかった。新人発掘に毎月門戸を開いていた芸能事務所「渡辺プロダクション」に通ってはお笑いのネタを見せ、月1回開催のお笑いライブに出演できるチャンスをつかむ。芸人として下積み生活を続ける中、一つ目のターニングポイントを迎えたのが95年、21歳の時だ。お笑いコンビ「ビビる」を結成する。その経緯もユニークで、大木さんがNHKの番組に出演した際に、「相方になりたい」と後に相方となる大内登さんの投書があったことがきっかけだった。コンビを組むことに関心がなかった大木さんだが、大内さんの人柄や笑いのセンスにふれて「コンビを組みたい!」と思うようになったという。
コンビとなって活動の幅が広がり、ギャグも大ブレイクするものの2002年、第2のターニングポイントが訪れる。相方の大内さんの芸能界引退表明だ。コンビは解散し、大木さんは「ビビる」を冠した芸名を名乗って、ピン芸人として再スタートを切る。この時期に、大木さんが関心を持ち始めたのが幕末時代だ。
「もともと勉強も読書も苦手で、歴史も全く興味ありませんでした。コンビ解散の翌年、03年から幕末好きになったのも理由があって、04年のNHKの大河ドラマ、三谷幸喜さん脚本の『新選組!』です。三谷作品の一ファンとして、1年前から下調べすればドラマを楽しめそうだと思ったのが始まりです。幕末に志士らの若さと行動力に、自らの解散と30代という人生の節目にあった自分を鼓舞するものを感じましたね」
理想やロマンではなく心に響くのは現実的な言葉
一度関心を持つとストイックなまでにのめり込むタイプと自己分析する大木さん。史実に基づいた関連図書を読みあさっては、幕末志士らのゆかりの京都や山口、鹿児島、ジョン万次郎ゆかりの高知を訪ねた。〝行動する学習〟のかいあって1年間毎週ドラマを楽しめたのはもちろん、芸能界きっての幕末好きとして知られていく。そして、『新選組!』にチョイ役ながらも出演を果たしたというから「好きこそ物の上手なれ」の極みだ。
そんな大木さんが渋沢栄一に興味を持ったきっかけもまた、NHK大河ドラマだ。21年2月から放送された渋沢栄一をモデルとする『青天を衝(つ)け』である。
「僕は埼玉県出身なので、県内の偉人として教わったはずなんですけれど記憶がなくて」と苦笑するが、だからこそ先入観なく人物像を捉えられたといえるかもしれない。他の幕末志士同様の卓越した行動力と、数々の偉業を成し遂げたことを踏まえて、大木さんは意外なポイントを突いてきた。
「ルールに縛られないバイタリティーのある人だったのではないかと思うんです。あまり語る人がいないのですが20~30人の妾(めかけ)がいた豪傑ぶりと、それでいて男女間のトラブルがなかったというのは並大抵のことじゃない。時代の価値観の違いもあるかもしれませんが、実業家としてクレームや反対を恐れず世の中に役立つ事業をいくつも進めてきた渋沢栄一の、筋の通った生き方をよく捉えた一面だと思います」
さらに著書には「僕を鍛える言葉たち」として渋沢栄一語録がいくつも収められているが、その中でも気に留めている言葉について尋ねると、これも角度が鋭い。
「『人間は不平等である。しかし、天から見れば、人間は皆、同じである』は好きな言葉です。それと『格差がない社会は元気がない社会である』も。教訓や座右の銘といった仰々しい受け止め方をしているわけではないですが、どちらも格差の必然性という真理をついていて、美しい理想やロマンではなく、現実から目を背けていない。説得力ある言葉です」と語る。
世のため人のためか省みる先に渋沢栄一がいる
鋭い洞察力で栄一を分析する大木さんは、自身の立場を〝お笑い中間管理職〟と称し、だからこそ栄一に引かれるという。上には大物先輩芸人がまだまだ現役で活躍し、下を見れば若手芸人の躍進がある。そのはざまで揺れる悩める40代の芸人に、現実を捉えた栄一の言葉が心に響くようだ。
「僕が若い頃は先輩に気を遣って、先輩が帰るまで帰れないなんて時もありました。一方、自分が後輩に気を遣われると面倒臭くも感じる。本音が言い合える関係づくりの参考として、権力を振りかざさない渋沢さんの姿があります」
そして、栄一の社会に対する姿勢も〝しかり〟と言って続ける。
「デビュー当時、同級生のお母さんに『世のため人のため頑張んなさい』と応援されて、その言葉がずっと活動の根底にあります。例えば、スタジオの収録でスベったと反省する時も、1000人が笑わなくても1人が腹を抱えて笑ってくれたら、世の中の役に立てているんじゃないかと思うようにしているんです。それに共通する思いを渋沢さんにも感じます。お笑いの座組みで自分が話を振った芸人さんがウケた時、それが僕の振りがあってのことでも、その部分は編集で全部カットされて視聴者には届かないです。でも、カットされるからといって手は抜けない。そんな時、自分の功績を口にしない渋沢さんに思いを馳(は)せるわけですよ」とうなだれて周囲の笑いを誘う。
だが、大木さんがまとう空気は総じて明るい。「心はいつも半ズボン」をモットーに、半ズボンとキャッチーなTシャツが基本スタイル。冒険心、好奇心をいくつになっても持ち続けたいという。
「コロナ禍でライブが軒並み制限されたり、テレビからネットの時代だと言われたりしていますが、僕がテレビ業界に入った95年当時もテレビの勢いは今がピークだと聞かされました。だから今に始まったことではありません。最近は、やりたいことをやると言って30代で芸人になる人も増えていますし、ユーチューブという自分のチャンネルを持てる自由度の高い時代です。時代に流されるのではなく、流れをよく見て、流れに乗る。それまでですよ」
飄々(ひょうひょう)と語り、ニカッと笑った。
ビビる大木(びびる・おおき)
お笑い芸人
1974年生まれ。95年渡辺プロダクションに所属し、コンビ「ビビる」を結成。2002年にコンビ解散後、ピン芸人としてマルチに活躍。テレビ東京「家、ついて行ってイイですか?」、中京テレビ「前略、大とくさん」、RKC「ビビッとビビる!!」のMCを務めるほか、テレビやラジオに多数出演。かすかべ親善大使、ジョン万次郎資料館名誉館長などの観光・親善大使も複数務める。著書は『ビビる大木、渋沢栄一を語る』(プレジデント社)ほか多数
写真・後藤さくら
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