7月8日、奈良県で街頭演説中、安倍晋三元首相が銃撃され亡くなった。心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げる。
2012年11月14日、野田佳彦首相(当時)は衆議院を解散すると表明し、選挙で安倍氏率いる自民党が勝利した。それをきっかけに、日本の株式市場は大きく上昇した。世界の多くの投資家は、アベノミクスが日本を変えると期待した。アベノミクスは、金融政策(日本銀行による異次元緩和の推進)、財政政策(各種景気対策による需要創出)、および構造改革(規制緩和などを進めて新しい取り組みを引き出す施策)の三つから構成された。最大の目標は、まずデフレ経済からの脱却だった。三本の矢の中でも、特に依存度が高かったのが金融政策だ。13年4月4日には日本銀行が〝量的・質的金融緩和〟を開始した。日本銀行は消費者物価指数の前年比上昇率2%を物価安定の目標に定め、2年程度を念頭にできるだけ早期に実現すると表明した。大量の資金が金融市場と経済に供給された。企業や個人は資金を借り入れやすくなった。大きな影響を与えたのは為替レートだった。11年10月末、ドル/円は75円32銭の史上最高値を記録した。その後、徐々に円安が進んだ。当時、米国ではデジタル化の加速や、シェールガス革命によって景気は回復しつつあった。米金利の先高観は高まった。日米の金利差拡大観測は高まり、外国為替市場で円キャリートレードが急増した。それによって円安の流れが増幅された。わが国の企業は海外進出を加速し、海外での収益が増加した。海外に保有する資産の評価額や海外子会社からの受取配当金が円安によってかさ上げされた。
財務省が公表する法人企業統計調査によると、13年4~6月期以降、本邦企業全体(金融除く)で営業利益の増加が鮮明化した。製造業に限ってみると、12年度各期の前年同期比増益率の平均値は8%だった。13年度は45%に跳ね上がった。アベノミクスが円安を勢いづけ、企業業績もかさ上げされた。安倍総理自ら主要企業のトップを官邸に招き、賃上げを求めた。それは〝官製春闘〟と呼ばれ、実質ベースで賃金水準は緩やかに上昇した時期があった。アベノミクスは、観光産業にもプラス効果を与えた。20年までに2000万人の訪日旅行客数の達成を掲げ、15年にその目標は事実上達成された。円安と、わが国の観光資源の魅力向上によるインバウンド需要の増加は、地方創生に大きく貢献した。
一方、アベノミクスは構造改革に切り込めなかった。特に、硬直的な労働市場の改革が難しかった。わが国では年功序列、終身雇用が続いている。高い経済成長が可能であれば、年功序列や終身雇用はそれなりに有効だった。しかし、1990年代初頭にバブルが崩壊し、わが国は自律的に成長することが難しくなった。多くの企業はコストカットのために正社員を減らした。非正規雇用が増え経済格差は拡大した。産業競争力は凋落(ちょうらく)している。それでも、年功序列の固定観念から抜け出すことができない企業が多い。成長を目指すためには政府が新しいルールを導入して、既存の価値観を打破しなければならない。その点でアベノミクスは踏み込み不足だった。
今後、わが国政府に求められる政策は構造改革だ。労働市場の改革なく、人口減少などによる経済の縮小均衡化が進むことはわが国経済にとって大きなリスクを伴う。年功序列などの雇用慣行を刷新し、実力によって人が評価される環境整備は急務だ。自由な発想に基づく新しい商品を生み出すことは喫緊の課題である。見本となり得る先例がある。独シュレーダー政権の労働改革だ。主たる内容は、解雇規制緩和、職業訓練強化、失業給付期間の短縮だった。企業は人員を調整し、事業運営の効率性を高めやすくなった。解雇された人は職業訓練を受け能力向上に取り組んだ。失業保険の給付額の引き下げなどが就業を促した。経済全体で、新しい取り組みが増えた。それによってドイツ自動車産業の競争力が高まった。 (7月16日執筆)
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