いったん人々の間で集団的意識が形成されると、改めて議論もせずにそのまま受け入れ続けてしまう。1990年代のバブル崩壊によって刷り込まれたデフレマインドから消費者も経営者も抜け出せていない。株価暴落から30年が経過したが、消費行動や企業活動は萎縮したままだ
▼多くの人々の間で同じ意識や思考が広く継続して共有される社会。こうした社会は一見、社会的な連帯感があるようにも見える。しかし、何となく周りに合わせておけば集団の一員でいられるという安易さも 透けて見える。それは、言葉によって互いに批判し、意見を交わすことを避けている社会ともいえる
▼最近も、ロシアのウクライナ侵攻により仕方なく防衛力の増強を受け入れる風潮が強まっている。政策当局者の関心も、軍事拡張の是非ではなく財源の確保にすでに移っている。また、今回のエネルギー価格の高騰を背景に、原発依存もやむなしという雰囲気も強まっている。再生可能エネルギーへ移行するというこれまでの方針はどうなったのか。政策の振り子が社会に漂う漠然とした空気を読み、大きく反対側に揺れる。日本が空気の社会といわれるゆえんなのだろうか
▼このような社会は、人々の明確な認識がないままにあらぬ方向に政策が転換するリスクをはらむ。空気で支配される人々のマインドは、健全な世論とは全く異なるものだ。健全な世論は、複数の意見が反発し交差することを積み重ねることによって形づくられる。その求心力となるのは中立的な立場から多様な意見を整理し、再構成していくモデレーターの力だ。もの言わぬサイレントマジョリティにこそ、モデレーターとしての役割が期待されるのではないだろうか
(NIRA総合研究開発機構理事・神田玲子)
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