学問の神様をブランド名に
「カンコー学生服」のブランド名で知られる菅公学生服は、安政元(1854)年に現在の岡山県倉敷市児島地域で創業した。瀬戸内海沿岸にあるこの地域では、江戸時代に干拓事業が行われ、土地の塩気に強い綿花が栽培されるようになっていた。そのため繊維産業が盛んになり、創業者の尾崎邦蔵がこの地で綿糸の卸業を始めたのが起こりである。
「児島には由加山(ゆが)という神仏習合の霊山があり、その参道にあった家で真田紐(ひも・織機で織ったひも)を売っていました。そこから明治元(1868)年になって、袴(はかま)や帯にする布の製織と販売をするようになったのです。この地域では、そういった家がほかにも多くありました」と、八代目で社長の尾﨑茂さんは自社の成り立ちについてこのように語る。
児島で学生服がつくられるようになったのは大正7(1918)年。それまでの学生服は毛織物で高価なものだったが、児島の木綿を使った学生服は安価で丈夫だったことから人気になり、全国に普及していった。三代目の尾崎邦蔵も、12年に学生服の一貫生産を開始し、「三吉学生服」や「海男児印」といった名前で売り出していった。
「昭和3(1928)年に、三代目は『菅公(カンコー)』の商標を取得しました。これは、学問の神様である菅原道真公が太宰府に左遷されたときに、途中で児島に立ち寄ったという伝承があることにちなみ、その敬称である『カンコー』を学生服のブランド名にしたのです」
全国各地に営業拠点を広げる
昭和4年には組織を法人化して尾崎商事株式会社を設立。戦時中は軍の管理下となり、軍服の製造を行っていたが、戦後は再び学生服をつくるようになり、その素材も綿から合成繊維へと変わっていった。それと同じころ、33年には、児島の企業が日本で初めて国産ジーンズの生産を始めている。
「ジーンズも以前の学生服も、どちらも綿製品です。近年は糸が細くなって下着にも使われるほど肌触りがよくなりましたが、もともとはゴワつくけど丈夫というのが綿製品の特徴で、軍服や作業服の生地に適していました。ジーンズも最初は作業着でしたし。そういった丈夫な制服や作業着の製造で、児島は発展していったのです」と尾﨑さんは語る。
尾崎商事は全国各地に営業拠点を広げ、販売代理店を増やしていくだけでなく、線路や街道沿いには「菅公学生服」のホーロー看板を掲げるなどして、営業活動を続けていった。そして43年には学生服業界で売り上げトップとなった。
尾﨑さんは、社長である父親から後を継ぐよう言われたことはなかったが、平成10(1998)年に入社した。
「大学時代、普通に就職活動をしていたのですが、父からどんな仕事をしたいのか聞かれて、コンサルタントと答えたら、うちにはものづくりとかマーケティングとかいろいろな部門があるから、うちで勉強すればいいと言われたんです。うまく乗せられた感じでしたね(笑)」
カンコーブランドを前面に出す
尾﨑さんは入社後、さまざまな部署を経験し、会社経営を学んでいった。その中で気になっていたのが、社内での「カンコー」ブランドの扱いについてだった。
「当時は『カンコー』を数あるブランドの一つとして展開していましたが、それではもったいなくて、カンコーブランドを前面に出すのが一番いいと思っていました」
尾﨑さんは平成18年に社長になると、その7年後の25年には社名を「菅公学生服」に変更する。以降は「カンコー」ブランドを軸にした展開を進め、初天神の日である1月25日を「菅公学生服の日」に制定し、文化庁の全国高等学校総合文化祭で書道部門特別賞「菅公賞」を新設した。
「尾崎商事から社名変更したことで、何の会社か分かりやすくなったと言われます。また社員たちもカンコーブランドへの意識が高まり、さまざまな提案が出てくるようになりました。菅公学生服の日も菅公賞も社員たちのアイデアです」
今後はさらに少子化が進み、学生服の市場が縮小することは避けられないが、そこで無理をして売り上げ拡大を目指すことはないと尾﨑さんは言う。
「それよりも、しっかり利益を出して社員に還元していくことしか考えていません。市場が縮小してきたら外注や海外への発注を減らし、今あるうちの工場を稼働して利益を上げていきます」
詰め襟とセーラー服から性差の少ないブレザーへと制服の形が変わりつつある中、同社はこれからも学生たちの思い出に残る学生服をつくり続けていく。
プロフィール
社名 : 菅公学生服株式会社(かんこうがくせいふく)
所在地 : 岡山県岡山市北区駅元町15-1 岡山リットシティビル5F
電話 : 086-898-2500
HP : https://kanko-gakuseifuku.co.jp/
代表者 : 尾﨑茂 代表取締役社長
創業 : 安政元(1854)年
従業員 : 2866人(グループ全体/2022年7月末時点)
【児島商工会議所】
※月刊石垣2023年6月号に掲載された記事です。
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