高校生演歌歌手として17歳でデビューした山内惠介さん。甘く伸びやかに広がる歌声と、スマートなルックスから〝演歌界の貴公子〟と呼ばれ、多くのファンを魅了する。演歌に触れる機会が昭和から令和にかけて減りつつあるのも否めない。それでも演歌の道を究め続ける山内さんに、演歌の魅力と可能性について聞いた。
砂場で、農道で高らかに演歌を歌う幼少時代
ひと昔前は街中やテレビ、ラジオから演歌がよく流れ、年端のいかない子どもたちも歌詞の意味は分からずとも口ずさむことがよくあった。昭和生まれの山内惠介さんもまた、幼少期にはやりの演歌を歌っていたという。演歌好きだった母親の影響もあり、保育園で砂遊びをしながら演歌を口ずさむような〝渋い子ども〟だったと振り返る。 「家や車の中で演歌に限らず、シャンソンやクラシック、童謡など絶えず音楽が流れている環境でした。演歌、特に美空ひばりさんの歌声に刺激を受けて、よく歌まねをしていましたね」
山内さんは福岡県有数の観光地、糸島市出身で海と山に囲まれた自然豊かな環境で育つ。家の周りには田園風景が広がり、犬の散歩時には誰に気兼ねすることもなく、大声で歌っていたと懐かしむ。持って生まれた歌唱力を自然の中で磨き上げ、美空ひばりさんの曲を熱唱しては周囲の大人たちを喜ばせた。
そうした原風景が山内さんの中で「演歌歌手になる」という夢となり、中学生の頃には確たる進路として定まっていった。だが、どうすれば演歌歌手になれるのかが分からないでいた。
転機になったのが1999年、16歳の時に出場した福岡県のカラオケ大会だ。この大会は単なるまちののど自慢大会ではなく、演歌界をリードする作曲家が聴きに来る、新人発掘の意味合いのある大会で、山内さんは千載一遇のチャンスとして臨んだ。そして、後に氷川きよしさんらを輩出したことで知られる作曲家の水森英夫さんの目に留まり、スカウトされる。 「大会当日、水森先生から『今すぐ東京に持って行きたい逸材』と評していただくと、僕がコメントする前に客席にいた母が『持って帰ってー』と絶叫していました」と言って笑う。この大会を機に、ほぼ月1回のペースで単身東京に行っては水森さんからレッスンを受け、翌年には上京。スカウトから約1年半後の2001年4月には、現役高校生でデビューを果たした。
自分らしい歌い方を見つけるまで苦戦の日々
スタートダッシュは早かったものの、下積み時代が短かったこともあって、デビュー後は苦戦が続いた。その一つに歌い方の癖があったという。 「幼少時から美空ひばりさんに憧れて歌ってきたので、自然とひばりさんのような歌い方になっていました。もっと個性を出しなさいとアドバイスされても、発声も節回しもひばりさんになってしまう……。自分の歌い方を見つけるのが大変でした」
デビューが1年早い氷川さんとも比較された。大ベテランが多い演歌界での若手の登場に注目が集まったが、氷川さんは4年の下積み時代を経てのデビューで、いきなりの大ブレイク。山内さんもそれに続けとデビューしたのだが、〝脱・美空ひばり〟に時間を要した。
それでもくじけずに地道に活動を続け、〝山内惠介らしさ〟を見いだしていく。心掛けたのは素直に歌うこと。色を付けずに歌の世界観をストレートに優しく包み込む歌い方は、少しずつファンの心をつかみ、09年発売の『風蓮湖』で開花する。九州男児の山内さんが、北海道根室市にある湖を舞台にした歌の世界を表現しなければならない。その差を埋めるべく何度も北海道に足を運び、地元の人々とも熱心に交流を重ねた。九州と北海道の四季の違いを肌で感じ、その新鮮な思いを歌にのせると「この曲を通して旅をしているような気分になる」と北海道を中心に注目されていく。そしてオリコンチャートで50週にわたってランクインするロングヒットとなり、翌年には北海道根室市の「味覚観光大使」にも任命された。
曲との出合いを通して歌手として成長していく
「デビュー初期から北海道のラジオ番組のお仕事をいただいて、行く機会が増え、その後も北海道が舞台の曲を多く歌わせてもらっています。北海道に来るたびに皆さんが温かく迎え入れてくださって、僕にとって北海道は第二のふるさとです。中でも観光大使をさせていただいている根室は素晴らしいところで、秋がおすすめ。『根室かに祭り』は、短く硬いとげのある根室でしか取れない希少な花咲ガニを使ったカニ尽くしのイベントで、その後には脂が乗ったサンマがおいしい『根室さんま祭り』も行われます」と目を細める。
さらに出身地の糸島観光大使としては「糸島産のイチゴ、あまおうが絶品」と力説しつつも「17歳で故郷を離れてしまったので、北海道の方が詳しいですね」と苦笑する。笑顔を絶やさない朗らかな語り口は山内さんの魅力の一つだが、その真摯な姿勢は曲にも共通する。 「15年にNHK紅白歌合戦初出場となった『スポットライト』という曲は、平成の『神田川』がテーマですが、時代やまちは変わっても、人の心は変わらないことを、この曲を通して学びました。一曲一曲の出合いを通して、成長させてもらっています」と言い、今年3月発売の23枚目のシングル曲「こころ万華鏡」もまた、大きな節目となる勝負曲と位置付ける。この曲はオーケストラに和楽器も加わる和洋合奏で独創的な深みがあり、山内さんも和洋折衷の衣装に身を包んで、優美かつ力強く人生の応援歌として歌い上げる。 「コンサートで歌うと、『いのちまっすぐ生きてみろ』という一節で、お客さまがペンライトを上下に振ってくださって、会場が万華鏡のような美しい一体感に包まれます。お客さま一人一人が万華鏡の型であり僕もその一つ。この曲に出合えたからこその壮大な景色です」
17歳でデビューし、今年40歳を迎えた山内さん。「楽しんでいるとき、人はおのずと夢中になり、心真っすぐになるもの。僕も人生を楽しんでいきたい」と前向きで、『イチカバチカ』というロック調の曲に挑戦するなど、演歌を軸にしつつも枠にとらわれない。「伝統芸能ではなく、日常の中に演歌があり続けてほしい。そのためにも山内惠介の可能性、演歌の可能性を広げるべく、新しいことに挑んでいきたいです」と『こころ万華鏡』の歌詞さながらに、演歌の道を真っすぐに突き進む。
山内 惠介(やまうち・けいすけ)
演歌歌手
1983年福岡県生まれ。99年、16歳の時に出場した県内のカラオケ大会で、作曲家の水森英夫さんにスカウトされ、翌年上京。2001年4月にシングル「霧情」でデビュー。09年9月発売の「風蓮湖」がロングヒットを記録し、10年5月に風蓮湖がある北海道の「根室味覚観光大使」に、7月には福岡県の「糸島観光大使」に任命される。15年よりNHK紅白歌合戦に連続出場。20年11月には日本武道館でのコンサートを開催。“演歌界の貴公子”の異名を取り、映画や舞台、ラジオと活動範囲は幅広い。23年3月発売の23枚目のシングル「こころ万華鏡」が好評発売中
写真・後藤さくら
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