東京の上野公園にある国立科学博物館が設立されたのは明治10年1月である。子どもが歩いていける距離だったので、小学生だった昭和30年代に飽かず通った。20円の入場料を払えば夢の世界が広がった。恐竜や宇宙、人類の進化や技術の進歩など、好奇心が刺激され、子どもなりの世界観が醸成される場所だった。来館する少年少女の中には、のちの日本を支える科学者や技術者もいたはずである▼
博物館は標本や資料の収集、研究機関であると同時に、誰もが楽しめる教育施設として国民の知的インフラを成す。あるものの起源から、それがどう変化して未来に繋がるのかを教えてくれる▼
技術大国には科学技術をテーマとする立派な博物館がある。たとえばミュンヘンのドイツ博物館。ここにはドイツ人の思考を形にした、あらゆるものがある。自動車、航空機なら生い立ちから現在までがずらりと並び、エンジンもかかる。秤とかポンプの歴史も知れる。ロンドンの科学博物館、ワシントンのスミソニアン博物館群も同様で、入場は無料である。友人の科学ジャーナリストによれば、アメリカには「小さな田舎町にも博物館が必ずといってよいほどある」(小泉成史「おススメ博物館」)らしい▼
日本の博物館はいま危機に瀕している。標本や資料の保管やデジタル化、研究の深化、ネット社会でのインタラクション(双方向性)などいずれも資金が要る。運営費交付金と入場料収入ではとても賄いきれない。今夏、国立科学博物館はクラウドファンディングに踏み切った。目標の1億円を大きく上回る9億円余りが集まった。だがこれは一回限りである。博物館が国力を支える施設であることを、国は再認識すべきときである。
(コラムニスト・宇津井輝史)
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