最近、わが国の労働市場に変化の兆しが見え始めている。全般的な人手不足や専門技術人材が足りないことを背景に、一部の企業は高い給与を提示したり、待遇を改善したりするなどの動きが目立ち始めている。ITなどの専門技術者に最高5千万円の年収を提示する企業も出ているようだ。
長い間、わが国の労働市場では、「新卒一括採用」「年功序列」「終身雇用」の雇用慣行が続いてきた。個人の役割や能力、実績に直接関係なく、給与はほぼ年齢や勤務年限によって決まっていた。そうした状況が変わりつつある。その要因として人手不足がある。「2024年問題」に直面する物流業界など、人手確保は企業の存続に直結する問題になりつつある。2024年問題とは、人手不足と労働時間の短縮(来年4月からトラックドライバーの時間外労働上限は年960時間)により、国内の物流が停滞する懸念を指す。流通業界は、人手確保が生き残りの必須条件になるとの見方もある。
必要な労働力の確保や効率的な事業運営のため、企業はより高い賃金を提示し、専門人材を確保しなければならなくなる。そうした状況を反映して、今後、転職やキャリアの変更を目指す人は増えるだろう。労働市場の変化のスピードも加速化する可能性がある。今後、自分の能力を高めることができれば、より多くの報酬を手に入れる可能性が高まる。高い評価・給与を得られる職場に移る人は増え、労働市場の流動性も向上する。われわれはそれを理解し、自らの能力向上に励むことが必要になりそうだ。
わが国の雇用慣行が崩れ始めた一つの兆候は、転職する人が増えていることだ。わが国の大手企業より、待遇の良い外資系の金融機関やコンサルティングファーム、IT先端企業に就職する学生も目立ち始めている。働きながら社会人大学院でファイナンスやマーケティングなどの理論を習得し、より給与水準の高い企業や業種に移る人も目につく。わが国の労働市場の流動性は、徐々に高まる兆候が出始めた。賃金の体系も柔軟になりつつある。大手保険会社はM&A(企業の合併、買収)などのプロに最大5千万円を支払うことを含め、専門人材採用の準備を進めていると報じられた。
内閣府が公表した「令和5年度 年次経済財政報告」によると、13年以降、転職者の割合は緩やかに上昇した。世代別に推移を見ると、20代、30代に加え、65歳以上の転職も緩やかに増加。転職の前後で年収も増加した。特に、IT・通信分野でのエンジニア、企画や管理などの職種に対する需要の増加は顕著だ。賃金の水準に着目すると、男女ともに年収800万円を超える場合の転職も増加した。
米ギャラップ社の調査によると、22年のわが国で働きがいを実感している人の割合は5%で、イタリアと並んで世界最低の水準だった。わが国では成長の期待と事業運営の効率性が高まりづらい企業、業種に労働力が塩漬けにされてきた。しかし、その状況は徐々にではあるが変わり始めた。自ら新しい理論などを学び直して世の中の変化に対応し、より効率的に付加価値を生み出すスキルを発揮することによって、賃金を増やすことができる。さらに高度な理論に習熟し企業への貢献度を高めることができれば、より高い給与を手に入れる可能性も高まる。それに気づく人が増えつつある。本来、経済全体で見ると、より効率的に付加価値を生み出せる企業、産業にヒト、モノ、カネが移動すべきだ。そうすれば、より多くの人が自己研鑽や学び直しの重要性に気づくだろう。学び直しによって、より成長期待が高く賃金水準も高い分野での就業を目指す人も増える。そうした労働市場の環境を整備するために、政府にはリカレント教育や職業訓練、働く意欲が低下した人への就業の意識づけなどに向けた取り組み強化が求められる。
一方、物流業界のように人手確保が困難になる企業、分野も増えるだろう。そうした負の影響を抑えるために、企業や政府は省人化投資の支援や規制緩和の実施なども急ぐべきだ。(10月12日執筆)
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