TBS系列のテレビ番組『プレバト!!』の指南役としておなじみの消しゴムはんこ作家の田口奈津子さん。消しゴムはんこを、ホビーからアートの領域にまで押し上げた第一人者だ。優しいタッチのほのぼのとした作風ながら、何十版も何十色も重ねた多彩な色使いと精密な描写は、相当な集中力と根気が問われる。そうした自らが切り開いた道を、楽しそうに突き進む。
「楽しい!」を追い続けて消しゴムはんこのとりこに
子どもの頃、消しゴムはんこをつくった経験はないだろうか。学校の授業で、放課後友達同士で、自宅で一人コツコツと……。遠い記憶のノスタルジックなアイテムとして捉えられがちだが、ここ数年で様相が一変している。子どもの遊びの延長でも、大人の趣味のクラフトでもない。絵画や版画と肩を並べる〝アート〟として注目されているのだ。
その火付け役となったのが田口奈津子さんだ。京都生まれのスウェーデン育ち。スウェーデンで暮らしたのは3歳までで、雪の日の坂道を両親と手をつないで歩いたという断片的な記憶しかないと笑う。だが、田口さんの作品は、北欧カラーにも通じる優しい色合いで、見る人の心を和ませる。 「子どもの頃から絵を描くのが大好きで、勉強の息抜きによく絵を描いていました。先日、小学校の同窓生に会い、当時プレゼントでもらった手づくりの消しゴムはんこをまだ持っていると言われて。記憶にはないのですが、その頃からつくっていたようです。消しゴムはんこ歴が、いきなり30年ぐらいに延びちゃいました」と笑う。
だが、本格的に始めたのは大人になってからだ。図工や美術が好きで絵心のあった田口さんだが、美大ではなく得意な理系科目と絵の両方を生かせると考えて、建築学科のある大学に進む。大手ハウスメーカーに就職し、図面や建築模型をつくっては、未来のライフスタイルをプレゼンするのが「楽しかった」と振り返る。さらに本づくりに興味のあった田口さんは職を変え、雑誌編集のアルバイトを始めた。その職場で、ようやく消しゴムはんことの〝再会〟を果たすのである。 「次の仕事を見つけるまでの間に在籍する人が多い職場で、毎月のように送別会がありました。その都度、辞めていく方たちに似顔絵の消しゴムはんこをプレゼントする方がいたのです。はんこのタッチもそうですが、はんこそのもののころんとかわいいフォルムにすっかり魅せられてしまいました」
ブログ投稿をきっかけに出版が決まり活動が本格化
最初は小さく簡単なはんこだった。だが、持ち前の手先の器用さ、芸術的センス、そして建築士として培ったスキルを生かし、作品は細やかかつ多彩になり、独自の表現技法を次々と編み出していった。 「消しゴムはんこの一番の魅力は、手づくりの温もりを感じられるところ。ピッタリ押そうと思っても版がずれたり色がかすれたりすることも、とても愛(いと)おしくて。もともと紙製品や絵本などの印刷物が好きなので、そうしたものとの親和性に引かれて夢中になりました」
日々の生活の中で楽しいことがあったら消しゴムはんこで表現する。それが日課となった田口さんは、つくってブログに投稿するまでをセットに創作を楽しんだ。このブログが反響を呼び、田口さんの人生を大きく変えていく。 「作品を投稿して、驚いてもらえることが楽しくて、もっと驚いてもらいたい、喜んでもらいたいと作品は複雑になり、大きくなり、どんどんエスカレートしていきました。一つの作品を完成させるのに3〜5時間ぐらいかかっていました。つくっている間にも次々とアイデアが浮かんできて、制作が追いつかないぐらいでした」
出産や子育てなど、プライベートも大きく変わっていく中、田口さんは時間を見つけては消しゴムはんこをつくり続けた。従来の消しゴムはんことは次元の違う作品にファンは増え続け、田口さん自身も、水彩や油絵などの芸術表現の一つとして消しゴムはんこを捉えてもらいたいという気持ちが芽生えていった。個展を開催し、ワークショップを主宰するなど精力的に活動し、ブログのフォロワー数も伸びる中、2009年、突如本の出版話が舞い込む。 「これにはとても驚きました。本職にしようと思ったことはありませんが、これを機に消しゴムはんこが本格的な仕事になったように思います」
著書も素材集や塗り絵、ハウツー本など数多く出版され、中国語や韓国語の翻訳本も発売された。その流れで13年には香港で個展を開催。17年5月には東京・表参道で個展を開くなど、消しゴムはんこ作家としての活動規模も大きくなり、芸術作品として評価されていった。そして、田口さんの知名度を一気に押し上げたのが、17年秋から出演しているテレビ番組『プレバト!!』だ。影響力は大きく、世間の消しゴムはんこを見る目が大きく変わっていった。
自分にしかできないことを模索し、驚いてもらいたい
「出演のオファーをいただいたときは正直悩みました。ワークショップでは失敗は失敗じゃないとポジティブに伝えていたので、評価して順位をつけるのは、今でも大変なプレッシャーです。当初はダメ出しコメントがなかなか口から出なくて苦しかったことを覚えています」と苦笑する。だが、「得られる学びがとても多くて刺激を受けます」と目を輝かせる。最近も音をテーマにはんこづくりをした出演者がいて「私にはなかった発想」と自分事のように作品の素晴らしさを語る。出演者の小さな工夫や変化に気付けることが自信にもつながるそうで、「『消しゴムはんこ』と言えば『あぁ!』と分かってくださる方が増えたことがうれしいです」と声を弾ませる。
エンターテインメント界で脚光を浴びるとともに、田口さんは版画界にも新風を巻き起こした。版画家の棟方志功の呼び掛けで1952年に誕生した日本板画院が主催する「板院展」に2018年、消しゴムはんことして初出展すると、いきなり新人賞を受賞。翌年には外部審査員大矢鞆音(おおやともね)賞に輝き、院友推薦を得ると20年には院友賞受賞と3年連続受賞という快挙を果たす。
こうした田口さんの活躍が各方面に波及し、版画界でカラー作品が増加。学校教育では校内のクラブ活動に「はんこクラブ」が生まれ、ワークショップに年配の男性が参加し始めた。 「今のところ個展やワークショップの開催予定はありませんので、全国の消しゴムはんこクラブを回ってみたいですね。印刷の歴史や仕組みを知る知らないでは作品づくりも変わってくるので、それをたくさんの方に知ってもらいたいです。それと、いつか企画から関わって本格的な絵本づくりができたらと思っています」と楽しそうに語る。アトリエを訪ねた時も大きな作品を制作中で、あっと驚く消しゴムはんこの変化、進化はまだまだ現在進行形だ。
田口 奈津子(たぐち・なつこ)
消しゴムはんこ作家
京都生まれ。3歳までスウェーデンで暮らし、大学卒業後ハウスメーカーに勤務。その後、雑誌編集に携わり、広告や名刺、キャラクターデザインなども手掛ける中、2007年、消しゴムはんこをつくり始める。作品を紹介するブログが人気を博し、10年『けしごむはんこ素材集』(ボーンデジタル)を出版。国内外で個展、ワークショップを開催し、17年よりTBS系列のテレビ番組『プレバト!!』に出演する。板院展(日本板画院主催)で18年より3年連続受賞。消しゴムはんこ関連の書籍多数
写真・矢口和也
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