“自然災害大国”の日本は、地震や水害だけでなく、その二次災害にも備えなくてはならない。そのため企業の経営者は、従業員の命と安全を守るために、会社の建物や設備の被害を最小限に抑え、被災後の対応について策を講じることが求められる。経営者が今日から行動に移すべき防災・減災の基本について、気象予報士・防災士の平井信行さんに話を聞いた。
平井 信行(ひらい・のぶゆき)
気象防災アドバイザー(国土交通省委嘱)、気象予報士、防災士
従業員と会社を災害から守るには
─平井さんは子どもの頃の災害体験をきっかけに気象キャスターを志したとのことですが、どのような体験だったのでしょうか。
平井信行さん(以下、平井) 私が生まれ育った熊本県八代市には、日本三大急流の一つといわれる球磨川があります。私が子どもの頃、その川が氾濫して、水害の後片付けや手伝いに行ったことが、天気に興味を持つようになった大きな要因だと思います。 小6の頃には今の気象予報士のような災害を防ぐ仕事をしたいと思うようになり、中3の卒業文集では「NHKの気象予報士になりたい」と書いています。それから紆余曲折はありましたが、大学卒業後に気象の世界に入りました。
─平井さんは、気象の世界のどのようなところに魅力を感じているのでしょうか。
平井 気象の世界は不思議なことがたくさんあって、いまだに解明されていないことも多くあります。ようやく最近になって、いろいろなことが分かりつつあります。また情報が高度化して、テレビの視聴者に気象情報を伝えると、それがさまざまな行動に結び付く状況になっています。気象の観測・分析の進化と情報の進展に魅力を感じて、ここまで続けてこられたのだと思います。
─気象予報士であり防災士でもある平井さんは、どのような意識を持って天気情報を伝えていらっしゃいますか。
平井 気象キャスターの最大の使命は、気象災害から人の命を守ることです。平時の天気予報は普通に行いますが、いざとなれば防災情報、命を守るための情報を届けるのが気象キャスターの使命です。その際に防災士としての知識は非常に有用になります。防災士は気象災害への対応や、あらかじめどのような備えをするべきかを伝えるのが役目です。例えば大雨の際、川のそばの人は2階以上の高いところに逃げてくださいとか、崖のそばの人は崖の斜面から離れてくださいと伝える。また、災害に備えて何を備蓄しておくべきか、災害に遭ったら水や食料、懐中電灯、モバイル充電器を持って避難行動を取ってくださいと伝える。これらが防災士の役目となります。
防災リテラシーを高めるには災害の備えと防災教育が必要
─では気象についてお伺いしますが、近年は全国的に激しい降雨による水害や山崩れによる大規模な災害が増えています。その原因をどのように分析していますか。
平井 1976年以降の統計では、強い雨は増えつつあります。例えば3時間に100㎜の降雨は10年ごとに26回ずつ増えており、1年に2、3回の割合で増えています。台風の発生には周期があり、50年代は強い勢力で上陸する台風が多く、80年代は下がって、また最近、強い勢力で上陸する台風が増える周期に入ってきています。 これらの原因については、台風は自然変動がかなり大きいので一概に気候変動とはいえません。一方で雨に関しては、強い勢力の台風が上陸したから雨量も増えたともいえますが、気候変動で気温が上昇すると大気中の水蒸気量が増えるので、理論的にはそれで雨が強くなっているともいえます。
─ここ数年は「線状降水帯」がよく発生しているように感じますが、それはなぜでしょうか。
平井 線状降水帯は、昔から発生していましたが、それが何なのかが分かっていませんでした。近年、レーダーなどの進化によりそれが捉えられるようになり、気象庁が線状降水帯の定義を決め、2021年6月から発生情報を流すようになったのです。ここ数年で線状降水帯という言葉がよく聞かれるようになったのはそのためです。ただ、今後は発生する回数が増えていくという見方もあります。
─災害に備えるために「防災リテラシー」を高めることの重要性が改めて叫ばれていますね。
平井 防災リテラシーを高めるためには、災害に対する備えと日常的な防災教育が必要です。備えというのは先ほど申し上げた備蓄品です。防災教育に関しては、会社が専門家を招いて、従業員に講義を受けてもらう機会を設けるのがいいと思います。東日本大震災の際、防災教育を定期的にやっていたところは、中学生たちが率先して近所の子どもたちやおじいちゃんおばあちゃんに声を掛けて、みんなで山に逃げたおかげで、その地域の多くの人が助かりました。これは防災教育のたまものです。
自社の地域の危険度を経営者は把握しておくべき
─被災した際には、気象情報や災害情報をどのように得て、それをどのように使いこなすかも重要になりますね。
平井 そこで重要になる情報の一つが、気象庁がインターネット上に出している「キキクル(危険度分布)」です。これは日本全土を1㎞四方のメッシュにして、土砂災害、浸水害、洪水災害の三つの危険度を5段階で表示するというもので、スマホでもパソコンでも見ることができます。それを見て、避難すべきか自分で判断できます。今のうちにその使い方を会社全体で学んでおくのがいいと思います。
─では、災害から従業員と会社を守るために、経営者は何をすべきでしょうか。
平井 東日本大震災の際、多くの帰宅困難者が出ました。大きな災害の後は、無理して帰宅しないというのが教訓として残っています。そうすると、会社の中で少なくとも3日間は過ごせる環境を整えておかないといけません。そのためには食料と水、それに大災害の後はトイレが使えなくなることが多いので、簡易トイレを用意しておく必要があります(会社が何を準備しておくべきかについては、次ページの「防災・減災“10の鉄則”」を参照)。
─自社がある地域が、自然災害に対してどの程度危険なのかを事前に知っておく必要もありますね。
平井 自社の建物が耐震化されているのか、自社がある地域はどの程度危険なのか、浸水想定エリアや土砂災害警戒区域にあるのかも経営者は知っておかなければなりません。その上で会社に何を準備しておくべきか、従業員にはどのような防災教育が必要かを考えておく。それが会社の継続につながります。そのためにはBCP(事業継続計画)の策定も重要で、いざというときの命令系統や連絡網を整えておく必要があります。
─建物の耐震化だけでなく、社内の地震対策も必要になりますね。
平井 はい。地震で建物が大きく揺れると机や棚が動いてしまうこともあるので、ストッパーで固定しておくことが重要になります。また、耐震化されていない建物などは地震で1階部分がつぶれてしまうことがありますし、水害ではまず1階部分が浸水してしまいます。ですので、電源設備や会社にとって重要な書類などは上の階に置いておくことも大切です。
数年後、線状降水帯の予測が市町村単位でできるように
─平井さんがご存じの範囲で、防災リテラシーが高いと思われた企業や地域はありますか。
平井 企業に関してはまだ把握しておりませんが、地域に関してはいくつかあります。その一つが長崎市の太田尾町山川河内地区で、江戸時代末期の1860年に土砂災害で多くの犠牲者が出たことを忘れないために、災害が発生した月命日の毎月14日に「念仏講まんじゅう」というおまんじゅうを持ち回りで各戸に配るしきたりがあります。そして、おまんじゅうを食べるときに子どもたちにこのおまんじゅうの由来を伝えていて、これは防災教育になるし、コミュニティのつながり強化にもなる。非常に優れた方法だと思いました。実際に、1982年に豪雨による土石流が発生したとき、自主避難などにより一人も犠牲者を出しませんでした。
─平井さんは天気予報に関する子ども向けワークショップも開催されているそうですが、これについて教えてください。
平井 これは「お天気博士になろう」ということで、お子さんに天気に興味を持ってもらおうというものですが、私はこれをキャリア教育として行っています。つまり、お子さんたちに未来の目標と夢を持ってもらいたいのです。お子さんたちにまず自分の夢を聞いて、それを実現させるためにはどうしたらいいのかを考えてもらう。夢を実現させるために自分の命を守ろう、未来の地球環境のことも考えよう、環境を大事にする行動もしようという教育なのです。キャリア教育が上にあって、それにぶら下がって防災教育や環境教育がある形です。もちろん天気を好きになってほしいですけれど、それだけではないということですね。
─最後に、気象衛星をはじめとした観測技術が進んでいますが、それにより気象予報が変わってきたことなどはありますか。
平井 今は線状降水帯の予測ですね。まだ発生メカニズムがよく分かっていないのですが、「富岳」というスーパーコンピューターを使って予測に取り組んでいる段階です。現在は都道府県単位で線状降水帯の発生予測を出していますが、これを市町村単位で出す試みがなされています。おそらく数年後にはそれが可能になると思います。
鉄則1
緊急時の連絡網を構築する
災害発生時に従業員たちの安否を確認するための連絡を一斉メールなどで送れるようにしておく。有料の「安否確認サービス」もあるので、使いやすい方法を検討し、導入する。
鉄則2
近隣のビルや会社と協定を結ぶ
建物が崩壊するなどしてオフィスが使用できなくなった場合に、近くのビルやオフィスを使わせてもらえるよう、お互いに協定を結ぶ。それにより、被災しても事業が継続できるようにしておく。
鉄則3
オフィス内の安全対策を取る
自社が入る建物が耐震化されているかを確認し、地震の際に机や本棚が揺れで大きく動いたり倒れたりするのを防ぐために、耐震ストッパーなどで固定しておく。
鉄則4
従業員に向けた防災教育を行う
平時から防災の専門家を招いて講義を行うだけでなく、「キキクル」や「安否確認サービス」の使い方を練習しておく。
鉄則5
災害時に使用する防災グッズをそろえる(その1)
保存食を最低3日分×全従業員分、携帯用コンロ、簡易トイレ。水は1人3ℓ×3日分×全従業員分(トイレなどに使う水も含む)。雨水タンクを備えておけば、その水をトイレに使える。居場所を知らせる笛を各個人が携帯する。
鉄則6
災害時に使用する防災グッズをそろえる(その2)
応急処置用の医療品。防寒シート(全従業員分がベスト)。情報源としてのラジオと、スマホ用の充電済みバッテリー。懐中電灯、防災用発電機。
鉄則7
避難訓練で避難場所、避難ルートを確認する
会社周辺のハザードマップを確認し、危険な区域はどこか、災害時の避難場所はどこか、そこまではどのようなルートがあるか、避難に必要な物を持って、どれくらいの時間がかかるかを避難訓練で行って確認する。
鉄則8
災害時にその場にとどまることで二次災害を防ぐ
就業中に被災したら会社にとどまる。自宅にいるときに被災したら会社には来ないという決まりをつくる。それにより従業員への二次災害を防ぐ。
鉄則9
自社にとって重要なものはできるだけ上の階へ
地震で建物が崩壊する場合、1階部分であることが多く、浸水も下の階で起こる。そのため、自社にとって重要な書類やデータなどはできるだけ上の階に置くこと。置き場所を周知しておく。
鉄則10
企業が利用できる防災関連の補助金・助成金を活用する
防災に関する補助金・助成金の対象にはさまざまなものがある。省庁や自治体のホームページなどで最新の情報を調べて申請し、防災対策に活用する。
※月刊石垣2024年9月号に掲載された記事です。
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