カンボジアと聞けば、1970年代後半に起きたポルポト政権による170万人ともいわれる自国民の虐殺を思い起こす人も多いだろう。内戦終結後、陸上自衛隊の国連平和維持活動(PKO)への初参加、文民として派遣された岡山県警の高田晴行警部補(後に警視に昇進)の殉職など、戦後日本の国際貢献活動の転機にもなった地である。人口約1750万人と東南アジアでは小ぶりな国であり、タイとベトナムという地域大国に挟まれ、歴史的にも圧迫を受けてきた。近年は「一帯一路」に位置づける中国の投資ラッシュで、中国の影も濃くなった。
そうした新旧のイメージを持って、3月にカンボジアを十数年ぶりに訪問した。現実は大きく異なっていた。まず驚いたのはプノンペン中心部に高層ビルが林立し、街路などの整備も進んでいたことだ。確かに漢字の表示も多く、中国の影響を感じるが、夜の繁華街の空気はむしろバンコクに近い。コンビニの商品もタイ製が優勢に見えた。