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あの人を訪ねたい 吉岡徳仁

「世界のどこにもないデザインで、社会を幸せにしたい」

3月26日、いよいよオリンピック聖火リレーが福島県からスタートする。日本の象徴とされる「桜」をモチーフにした聖火リレートーチをデザインしたのが、吉岡徳仁さん。光や音などの非物質的な要素を形象化した作品は、時を経ても色あせることがないと定評がある世界的デザイナーだ。まるで桜前線に乗って日本列島をあたたかなピンク色に染めていくように、全国約1万人の聖火ランナーがトーチの炎をつないでいく。

たとえ採用されなくてもデザインしたいと思った

「オリンピック聖火リレーがスタートする3月26日を想像するだけでワクワクします。怖いくらいです」。それまで柔和な雰囲気でインタビューに応じていた吉岡さんの声が、少し上ずったように聞こえた。なにしろトーチと向き合い始めて5年の歳月がたつ。吉岡さんがトーチのデザインを始めたのは2015年のことだった。まだデザイン公募があるかどうかすら発表されていない時期だったが、「もうどなたかに決まったかなと思いつつ、でもやっぱりデザインせずにはいられませんでした。デザイナーにとって、時代のシンボルになるものをデザインするのは夢の一つなのです」と少年のような表情をのぞかせた。

同年秋、東日本大震災で被災した福島県南相馬市の小学校を慰問し、トーチの着想を得たという。2度の審査を経て選ばれた吉岡さん。トーチに込めたのは、心の復興への切なる思いだ。「子どもたちが描いた桜は生命力にあふれていました。彼らの力強い桜のように、被災地の方々が逆境を乗り越えていく姿を世界に伝えたいと思いました」

世界基準を超えるトーチを日本の技術でつくり上げる

吉岡さんは、これまで光や自然という普遍性をテーマに、建築や現代美術、家具などを生み出してきた。国際的なデザイン賞をいくつも受賞し、世界の有名美術館に永久所蔵されている作品もある。

「人が目で見て得る、いわゆる視覚情報は、ほんの一部です。僕は、光や風、音をモチーフにして、人間が持つあらゆる感覚をデザインしてきました」

今回、対峙(たいじ)したのは、「炎」だった。吉岡さんは、歴史あるオリンピック・パラリンピックにふさわしいデザインを追求し、デザイン、構造、製造の全てにおいて「世界初」を目指した。一般的には物の形をスケッチしてからデザインをおこしていくが、吉岡さんは、あくまで主役は「炎」とし、トーチは炎を打ち出す物として存在するという、逆転の発想をした。

「原理的にできるんじゃないかという『想像』から始まり、ディテールを詰めていきました。こうしたやり方だとデザインのプロセスが通常とは異なり、時間がかかります。近道はありませんでした」。とりわけ日本の技術にこだわったのは、開催地が日本だからだ。「世界初を目指していましたから、当然、どの企業も職人さんも、皆さん“初体験”なわけです。一度トライしてもらって、『できない』と断られれば、また日本中を探し回って、少しずつチームが出来上がっていきました」

桜のトーチは、オリンピック・パラリンピック史上初の「つなぎ目のないトーチ」でもある。

新幹線の車両製造に用いられている押出成形により、ネジを一切使わない彫刻のような形状に仕上がった。これにより軽量化が可能になり、トーチは全長71㎝あるものの、燃料を含む重さは1・2㎏。歴代のトーチの中でも比較的軽量だという。また、超小型の保炎機能を内蔵させたことで、1時間に50㎜の道路が大規模冠水する災害級の雨量でも、歩くのもままならない秒速17mの風でも、炎が消えることはない。

桜の形状も工夫した。五つの花びらから生み出される炎は、五大陸の平和を表すようにトーチの中央で一つになる仕掛けだ。トーチの素材であるアルミは、「持続可能な社会」を目指して、全体の3割に被災3県の仮設住宅計824戸で使われていたものを再生した。

そうした「完成図」は、吉岡さんの脳内には明確にあったに違いないが、一㎜のズレもなく職人たちにイメージを共有してもらうのは容易ではなかった。イメージ通りのクオリティーを保つために何度も修正を重ねたという。トーチは1万本以上量産するため、工業製品としての品質を保たねばならなかった。安全性はどうか、機能性はどうか。最も苦しかったのは、時間との戦いだった。泣いても笑っても、3月26日にオリンピック聖火リレーはスタートする。

逆算すれば、制作に当てられる時間は限られていた。「本当にできるのか?」と不安に襲われることもあったというが、それでも一切の妥協を許さなかった。「皆さんの協力なくして実現は不可能でした。職人さんの確かな技術と情熱に、僕自身も突き動かされました」

社会のために何ができるか問われる時代になった

「よかったら」と吉岡さんに促され、重さ1・2㎏のトーチを持たせてもらった。思わず、「あ!」と声が出てしまったのは、想像したより何倍も軽く、握った瞬間のグリップ感は、手に吸い付くようにフィットしたからだ。1万人の聖火ランナーには、中学生も、体に障がいがある人もいる。現在発表されている最高齢ランナーは103歳だ。1人のランナーの走行距離は約200mだが、トーチの聖火はギリシャのアテネからつながっている。

吉岡さんは、「常に新しいことに挑戦し、新しい価値観や概念を生み出すこと」にこだわる。「私は、デザインも社会のためになるものでありたいと考えています。環境に対するものづくりが、より一層問われる時代になりました」

実は、吉岡さんはかつて、最新のテクノロジーを積極的に取り入れるものづくりに関心を抱いた時期があったという。

しかし、それらは時代とともに変化し、仕組みが分かった途端に「新しさの価値」も後退していく。だとしたら、時を経ても色あせないものづくりとは何なのか。その答えを探すため、吉岡さんは、誰よりも厳しい目で、自分のものづくりを見つめる。

吉岡 徳仁(よしおか・とくじん)

デザイナー

1967年佐賀県生まれ。建築、現代美術の領域において活動。自然をテーマにした詩的な作品には、日本の美の根源が映し出されている。世界でも数々の国際的な賞を受賞。2007年には米国Newsweek誌による「世界が尊敬する日本人100人」に選出されている

写真・矢口和也

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