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あの人を訪ねたい 春風亭 一之輔

「遠くの温泉ではなく、近場の銭湯。そんな気軽な大衆文化として落語があり、自分がいる」

現在最もチケットが取りにくい落語家の一人と評される春風亭一之輔さんは、年間900席、350日以上も高座に上がる。人間国宝、柳家小三治さんにも「久しぶりの本物」と認められ、平成24年、34歳で21人抜きの真打昇進という快挙を果たして話題をさらった。昨今の落語ブームの立役者の一人として絶大な人気を誇る。

ラグビー部断念で開かれた落語の道

「いやぁ、落語ブームといってもね、テレビをつければどこかの局で落語が放映されていて、まちに出れば女子高生が話題にしている、なんてことはないですから。やってる方もブームっていう手応えはないですよ」

そうさらりと語り苦笑する春風亭一之輔さんは、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの落語家だ。だが、本人はどこまでも「いやいや」と言って謙遜し、ブームに浮き足立った感はない。年間900席、多い日は1日7席もこなすというハードな日々だが、どんなに過密スケジュールでもマネジャーをつけるという発想は全くない。「いるだけでこっちが気を遣うし、仕事を選ばれたくない」と、自ら日程を管理して全国各地を飛び回る。一人の気楽さを好む気質はまさに落語家向きといえるが、一之輔さんが本格的に落語に興味を持つきっかけになった背景には、チームプレーでの挫折があった。

「高校ではラグビー部に入りました。20人ほどが入部しましたが、半年で半分は辞める厳しい部でした。それでも一年は続けたのですが全く芽が出ない。それに自分のミスが、チーム全体に影響するのがどうもね。『これは向いてないな』と自分でも分かりますから、退部しました。友人らが引き留めにわざわざ家まで来てくれたのですが、会えば情にほだされちゃうから、心を鬼にして門前払いしましたよ」と笑う。

放課後、暇を持て余すことになった一之輔さんが、何とはなしに電車に乗って訪れたのが落語のメッカともいうべき、浅草だった。目的もなく歩き、行き着いた先が浅草演芸ホールで、寄席の面白さに開眼し、魅せられていく。

「1500円払えば9時間は入り浸れるのも魅力でした。それでも学生ですから、月に1、2回行くのがやっと。ラジオやテープを聞きまくって、一人で落研を立ち上げて、落語に興味のない友人を無理やり部員にしてね。学校内に自分の居場所をつくったわけです。で、大学も落研。就職活動を一度もせずに、落語家になったという次第です」

「当たり前」の奥にある師弟関係の深い絆

両親も落語家になることに反対しなかったというが、大学受験の際に「入試に落ちたら落語家に」と消極的な選択をした際に大反対された経験があった。大学卒業後は落語家になる。自分を追い込む気持ちも半ばあり、就職活動という退路を絶ったのだ。一之輔さんが弟子入りしたのは春風亭一朝師匠で、「耳にすっと噺(はなし)が入ってきて、声、節回し、臨場感が素晴らしかった。そしてなんといっても優しそう。これが決め手です」と語る。だが、弟子入り志願をなかなか告げられず、一朝師匠が出演するホールに行っては不発に終わることを7回は繰り返したという。勇気を振り絞って声を掛けると、拍子抜けするほどあっさり承諾された。一朝師匠は「刺されるかと思ったほど鬼気迫るものがあった」と回想し、その入門エピソードはいまだに語り草になっている。

これを機に、晴れて落語協会所属の落語家となり、若手落語家のホープとしてメキメキと頭角を現していくわけだが、その過程は「当たり前のことをやってきただけ」と多くを語らない。「ただ……」と、一朝門下だからこそ成し得たことと言い切る。師匠の家ではあぐらをかいても許される。飲食店での打ち上げも弟子は自由に料理をオーダーでき、お酒、タバコも無礼講だ。規律で縛るのではなく、寛容に個性を育てるスタイルで、一朝師匠は身の回りの世話を弟子に一切やらせなかった。落語界の中ではかなり異例のことだが、それが一朝師匠の弟子に対する「当たり前」で、その時間を芸を磨く時間に充てろという“親心”でもあった。

その言葉を真摯(しんし)に受け止め、一之輔さんは、落語はもちろん、その他の芸術や文化も吸収していく。勉強会も月1回、2本のネタおろしというペースで続け、持ちネタを次々と増やしていった。師匠の「当たり前」に、弟子としての精いっぱいの「当たり前」で応えていったのだ。

筋を通しつつも堅苦しくない一朝師匠の門下で、一之輔さんはのびのびと自分のペースで芸に打ち込む。これが功を奏したのか、24年11月、21人抜きの真打昇進につながったようだ。入門11年目の快挙に、落語界は湧きに湧いた。

寄席はホームグラウンドで最強の稽古場

今では持ちネタは200を超え、古典落語だけではなく創作落語にも挑戦している。古典落語にも独自のくすぐり(本筋とは関係ないしゃれやギャグ)を入れ、クールかつ毒を含んだ豪快な芸風は小気味よく、落語を初めて聞く人にもとっつきやすい。明快なテンポと噺を理解したうえでアレンジした解釈とで、客席を笑いの渦に巻き込んでいる。

数ある持ちネタのうち高座で何をかけるか、直前まで悩む。自分より前に高座に上がった落語家への客の反応を見ながら決めることも少なくない。

「落語を聴き慣れている人が多いのか、初めての人が多いのかで、全く違ってきます。同じ会場でも同じ日はなく、当日も時間とともに変化する客席の様子は常に気にしています。お客さまに笑ってもらう、楽しんでもらうのが仕事ですからね」

観客を突き放す潔いまでのクールな芸風を見せつつも、舞台袖で誰よりも客席に熱い視線を注いでいるのは一之輔さんかもしれない。そんな一之輔さんは、全国の大ホールでの独演会のチケットが瞬く間に売り切れるほどの人気を得ているが、今も寄席に上がることを大事にしている。

「寄席に出たくて落語家になった。その初心を忘れないためです。それに寄席は私目当てではなく、それはもういろんなお客さまがいろんな理由でやってきます。なかには落語に、はなから興味がない人も。だからこそ、お客さまに稽古をつけてもらう感覚で毎回臨んでいます。寄席はホームグラウンドであると同時に、最も自分の実力が問われる場なんです」

26年に弟子を取ったのちも、「試行錯誤しながら芸の幅を広げたい」と前向きな姿勢は変わらない。「一朝師匠から『嘘をつくな』と教えられました。生活や生き方にやましいことがあると噺にも出てくると。それを心に留め、好きな落語ができる一日一日に感謝です。あ、きれいにまとめすぎたかな」。照れ笑いし、高座では見せないシャイな素顔をのぞかせた。

春風亭一之輔(しゅんぷうてい いちのすけ)

落語家

昭和53年千葉県生まれ。平成13年日本大学芸術学部卒業後、同年5月に春風亭一朝に入門する。前座名は朝左久、16年に二ツ目に昇進して一之輔に改名。24年には21人抜きで真打昇進し、その年と翌年続けて国立演芸場花形演芸大賞に輝く。27年に第32回浅草芸能大賞新人賞など受賞多数。寄席、独演会問わず年間900席以上もの高座に上がり、ラジオ、テレビ出演も精力的にこなす。著書『一之輔、高座に粗忽の釘を打つ』(白夜書房)などがある

写真・矢口和也

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