越後の小京都、加茂市は新潟県のほぼ中央に位置し、代表的産業である伝統工芸品の桐たんすを生産する小さな地方都市です。ピーク時の人口は約3万8千人でしたが、現在では2万8千人と減少が続いています。
私は加茂で生まれ育ち大学進学と見習い修業の6年間を東京で過ごしたほかは、大半を加茂で過ごしています。そのまちがだんだんと小さくなり、空き地が増えていくのを見ると寂しくてなりません。
私の父は昭和37年に当社を設立し、38歳で創業社長になりました。長男で二代目の私は昭和47年に入社し、現在に至っています。その私が39歳のとき、父が突然「加茂市長に立候補する」と言い出し、家族は大騒ぎ。反対を押し切って出馬すると、結果は見事無投票当選でした。さあ、私は大変です。39歳の青二才に社長をやれとは無茶な話で、自分の能力の無さをいやというほど知らされての社長業スタートとなりました。
そして、まもなく私は常議員に推薦されますが、商工会議所の何たるかも分からないままの親の七光り議員でした。
私は父と同居していましたので、市長在任の8年間には、しばしばまちづくりの話で激論を戦わせました。父は数々の政治改革を成し遂げましたが、中でも一番大きなプロジェクトが大学の設置でした。小さな市にとって四年制大学の設置は難しいテーマでしたが、見事やり抜き『新潟経営大学』が誕生しました。行政のトップリーダーが夢を描き、大勢の人の協力を得ながら夢を実現していく姿に感動したものです。
私など父の足元にも及びません。ただただ人口減少を嘆いているだけではなく、地域社会に将来ビジョンを掲げて、その夢の実現に努力することこそが、社会がリーダーに求めていることではないかと最近思うようになりました。
加茂商工会議所は、中心市街地の活性化として歴史によるまちおこしを行っています。戊辰戦争のとき、河井継之助が加茂に現れ、軍議を開いて奥羽越列藩同盟を結成します。この史実を1冊の本『越後戊辰戦争と加茂軍議』としてまとめ全国販売にこぎ着けました。まち歩きをしながら加茂の歴史を楽しんでもらうためです。
当所は全国でも規模の小さな商工会議所の一つですが、大勢の人に訪れていただけることを夢みて、また、地域社会の将来を考え続ける先鋭的な商工会議所でありたいとの思いで日常業務に励んでいます。
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