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あの人を訪ねたい 蝶野 正洋

「行政、地域、企業、個人が連携すれば、人の命は救える」

「強さとは困っている人を救うためにあります」。そう話すのはプロレスラーで実業家の蝶野正洋さん。現在、救急救命の啓発活動を行う一方で、「消防応援団」として地域防災にも力を入れている。かつてリングで暴れ回っていたヒール(悪役)は、安心・安全なまちづくりにまい進していた。

盟友の死が社会貢献活動に取り組むきっかけに

「蝶野正洋」と聞いて、何を連想するだろうか。40代以上の世代は「新日本プロレスのトップレスラー」と答えるかもしれないし、30代以下の世代にとっては「『ガキの使い』の蝶野さん」なのかもしれない。世代を問わずその名が知られているが、社会貢献のために汗を流す姿もまた真実だ。

社会貢献活動を始めるきっかけとなったのは、2人のトップレスラーの死だった。平成17年に新日本プロレスの同期である橋本真也さんを病気で失い、21年には他団体でありながら絆を深めた三沢光晴さんが試合中の事故で急逝した。

「競技者が倒れたときに、救急車が到着するまでの空白の時間が生命を大きく左右する。アスリートとして応急処置を知っておくべき」

そんな思いで、19年3月、蝶野さんは東京消防庁が主催するAED講習を受講した。これが転機となる。同庁から、「広報活動の手伝いをしてくれないか」と依頼されたのだ。「自分にできることがあれば」と蝶野さんは二つ返事で広報活動を始めた。

その後数回にわたってAED講習を受講し、同庁が主催する防災イベントの際には会場に駆けつけ市民へのPR活動に励んだ。

「実際に防災活動をされているのは、地元の消防や警察、自治体の方々です。定期的に活動内容を知ってもらうためのイベントを行っているのですが、なかなか情報が広がっていかないのが現状です。なるべく多くのメディアに取り上げてもらうためには、話題づくりが必要です。そのためであれば、客寄せパンダでもピエロでも、なんだってやりますよ」

プロレスラーだからこそできること

蝶野さんは二十数年前に若手レスラーだったときから、社会貢献活動に関心を示していたと言う。

「プロレス団体は各ブロックにプロモーターがいまして、地元の方々の協力によって成り立っています。僕らレスラーは、長年にわたり老人ホームや障がい者施設で慰問活動を行ってきました。施設利用者も従業員も大変なストレスを抱えながら頑張っていらっしゃるんです。その姿に勇気と元気をもらっていたのは僕らの方でした」

蝶野さんは若手時代に、アントニオ猪木さんの付き人を務めていた。今でも変わらず師と仰ぎ、絶対的な信頼を寄せている。二人の関係性を印象づけるエピソードがある。23年の東日本大震災での出来事だ。

「猪木さんは一刻も早く被災地へ飛んで行きたいとの思いがあったのですが、著名人が行動すればマスコミが騒ぎます。現地の方に与える影響を懸念されていました。僕は、猪木さんのどんな決断にもついていくつもりでした」

4月初旬、被災地を訪れた二人を現地の人々は歓迎した。不意に一人の男性被災者が、「猪木さん、闘魂ビンタをしてください」と懇願してきたのだと言う。「それはさすがにできない」と猪木さんが諭すように断っても、男性は食い下がった。

「どうしても気が晴れないのです。気合を入れてください!」。その言葉を聞いて猪木さんも覚悟を決めた。被災者の人たちが見守る前で、男性にビンタを張ったのだ。それを見た人々は、われもわれもと並び始め、長蛇の列となった。猪木さんの隣で、蝶野さんは求められるがままにサインを書き続けた。

「自分は、25年かけてプロレス界でキャリアを積んできたつもりでした。けれど震災があったときに、何をしたらいいのか分からず、社会で何の役にも立たないことを痛感したのです。しかし、被災地で猪木さんの闘魂ビンタを受けて、『すっきりした』『元気をもらった!』と笑顔になる皆さんの姿を見て、大切なのは気持ちだと思いました。本来プロレスラーとは、時には気持ちが弱ることもある観客に戦う姿を見せることで、勇気を与える存在だったはずです」

26年、蝶野さんは、一般社団法人ニューワールドアワーズスポーツ救命協会(以下、NWHスポーツ救命協会)を立ち上げた。以来、「AED救急救命」「地域防災」の啓発に力を注いでいる。

救急車到着まで8分 一瞬の迷いが生死を分ける

蝶野さんはアスリートとして「スポーツ救命」にも尽力している。27年に山形県の高校で野球部の男子生徒が部活動中に心肺停止で急逝したことを例に挙げて説明する。練習中に選手が倒れ、コーチはAEDを取りに走ろうとした。しかし、救急車のサイレンが聞こえたため行動に移さず、到着を待った。その間に心肺が停止してしまったそうだ。救急車の到着まで全国平均8分。2分以内に心肺蘇生が開始されれば救命率は90%、4分経過で50%程度だという。それらの知識があれば、結果は変わっていたかもしれない。「学校は、10できる子も1できる子も共に学ぶ空間です。先生方は、生徒の器量をしっかり把握した上で個別に指導するべきですし、救命の訓練も欠かしてはならない」と訴える。

誰もが一歩家の外に出たら、大勢の中の一人になる。まずは、「知ることから始めてほしい」と蝶野さん。ちょっとした知識で誰かの命を救える可能性があるからだ。

「うちのスタッフにも救急救命講習を受けてもらう。すると、気持ちが変わる。救命の意識は、不特定多数の人たちを助けようとする、思いやりの精神です」

例えば、夏場に熱中症になった人に遭遇したらどう対処すればよいのだろうか。「まずは『大丈夫ですか』『意識はありますか』と大きな声で呼び掛けます。反応がなければ、肩を軽くトントンとたたく。それでも反応がなければ呼吸を確認。胸が動いているかどうかが判断基準です」。時間がなければ、助けを呼んでその場を去るという方法もある。「すぐに行かなきゃいけないんです。救急車を呼ぶのでどなたか代わりに待っていてあげてください」。そう叫ぶだけでいい。適切な行動ができるかどうかで、結果は雲泥の差だ。

NWHスポーツ救命協会は6月16日、「都市型・地域防災イベント『STOP THE RISK有楽町』」を開催した。東京・有楽町周辺を利用する人の防災意識を高めることを目的としたイベントだ。開催にあたり、行政、警察、消防に協力を呼びかけたのは、「組織は違っても命を救う仕事をしていることには変わりない」との思いがあるからだ。「安心で安全なまちづくりにおいて地域と行政の連携は必須です。それに加えて企業や個人も、自分の身は自分で守るために、知識と訓練がやはり必要なのだと思っています」。有楽町の次は渋谷だ。防災月間である9月に『STOP THE RISK渋谷』を開催する予定だ。地道に一歩一歩。蝶野さんの懸命な活動は、これからも続いていく。

蝶野さんの地域防災・AED救急救命の取り組みにご関心がある方はNWHスポーツ救命協会まで(TEL:050-5530-0464)

蝶野 正洋(ちょうの・まさひろ)

プロレスラー/一般社団法人ニューワールドアワーズスポーツ救命協会 代表理事

昭和38年、アメリカ・シアトル生まれ。59年新日本プロレスに入門、同年10月にプロデビュー。アントニオ猪木さんの付き人、海外遠征などを経て「闘魂三銃士」としてブレーク。平成6年からは黒をイメージカラーにヒールに転じ、抜群の存在感を発揮する。22年2月、新日本を退団しフリー転向。11年にはマルティーナ夫人と二人三脚のブランド「ARISTRIST(アリストトリスト)」を設立する。26年、NWHスポーツ救命協会を立ち上げ、防災活動に励む

写真・矢口和也

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