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あの人を訪ねたい 崎原真弓

「表現方法や伝える相手はさまざまですが、伝えたいことは一緒。それは、どんな国の、どんな人にも共通する自然や祖先に感謝する心です」

沖縄の伝統的な芸能の魅力を生かして、歌い、踊り、そして語る〝カリスマスーパーバスガイド〟の崎原真弓さん。人気の秘訣は、沖縄の青空を思わせるとびきり明るい笑顔と、バスガイドという枠にとらわれない多種多様なガイドの形にある。独自のガイド方法を生み出し続ける根底には、「相手に喜んでほしい」というおもてなしの心と、「感謝することの大切さを伝えていきたい」という使命感があった。

おもてなしの心の原点は久米島での琉球舞踊

美しい歌声で沖縄民謡を披露したかと思えば、琉球カラテを演武、おばぁの姿に扮して涙ながらに戦争の歴史を語り聞かせる……。沖縄を拠点にフリーのバスガイドとして活躍する崎原さんは、従来のバスガイドの枠を越える多種多様なガイドで注目を集めている。崎原さんと行くバスツアーは毎回参加希望者が殺到し、修学旅行のガイドに関しては、2年先まで予定が入っているほどだ。

今でこそ「この仕事が天職だと思う」と笑顔を見せる崎原さんだが、幼いころからずっとバスガイドを目指してきたわけではない。社交的な現在とは違い、幼少期はむしろ恥ずかしがりやで、引っ込み思案だったという。

「昔から体を動かしたり、歌や劇など、ステージ上でスポットライトを浴びて自分を表現することは大好きでした。ですが、人と話すのは苦手。中学や高校のクラスメイトにはよく『二重人格だ』って言われました(笑)」

3男6女、9人兄弟の7番目に双子の姉として誕生した崎原さんは、幼いころから地元・久米島に唯一あった琉球舞踊の稽古場に通い、踊りを身に付けた。「当時の久米島は、本当に何もない小さな島でした。だからこそ、夜になればおのずとどこかの家から三線の音が聞こえてきました」(崎原さん)。決して裕福な家庭ではなかったが、家の隣の民宿に客が泊まれば、両親は茶や島酒を振る舞い、そして娘の琉球舞踊を披露した。

「私の踊りを見てくれた人が笑顔になって、それを父と母が誇りに思ってくれました。あのときの人が喜ぶ姿や笑顔っていうのは、今でも鮮明に残っています。〝イチャリバチョーデー〟という〝出会ったらみんな兄弟だよ〟という沖縄の言葉も、島での生活の中で体で覚えていったと思います。人に喜んでもらいたい、もっと楽しんでもらいたいという〝おもてなしの心〟は、ここが原点ですね」

そんな崎原さんが、高校卒業後に目指したのは教師だった。大学進学を希望したが、父親の病気が発覚し、やむなく断念。8歳年上の姉がバスガイドをしていたこともあり、昭和57年に自身も地元のバス会社に就職。仕事に真摯に向き合い、原稿を人一倍早く覚え、シナリオにはない情報も積極的に覚えた。一年後には会社からも高く評価されるようになっていた。

「ですから、お話をするという面はもともと得意だったわけではなく、ガイドというお仕事でいろいろなお客さまと触れ合いながら、その中で育てていただきました」

突然訪れたピンチが改善のきっかけに

約9年間、バス会社でキャリアを積み、平成2年に退職。その後フリーのバスガイドとして働き始める。すると、12年に転機が訪れる。姉が、『バスガイドクラブひまわり』というバスガイドの派遣組織を設立し、そのサブチーフを務めるようになったのだ。

「当時沖縄は、フリーのガイドもバス会社のガイドと同様に、一社でしか仕事ができない状態でした。要するに、所属していたバス会社を退職した後にフリーになっても、基本的に古巣でしか仕事ができない、という状態です。このときは、ちょうど沖縄でサミットが行われました。観光業界にも新しい波がくるのではないかというタイミングで、何とかしてバスガイドの労働環境を改善したかったのです」

発足当初のメンバーは20人ほど。前例がないため何もかも手探りの状態だった。試行錯誤を繰り返した結果、国が認めた優良人材紹介所という形で、旅行会社やバス会社にガイドを紹介するようになっていった。

「バス会社の社員だった時代から、もっと従来の枠にとらわれない、自由なガイドができないか、という葛藤がありました。ですから、このころから自分たちが考える、自由なスタイルでガイドをしていこうという思いがさらに強まりました。〝崎原ワールド〟のスタート、型破りの原点です」

その翌年、アメリカ同時多発テロが発生。このことは沖縄に大きな影響を及ぼした。米軍基地のある沖縄は、旅行のキャンセルが相次ぐなど苦しい状況を強いられたのだ。

「それまでの沖縄は、黙っていてもお客さまがどこからでもやっていらしたのです。だから旅行業界全体も接客業でありながら、お客さまをもてなす意識が低かったと思います。それが、テロの影響で一気にお客さまが入ってこなくなった。その中でも〝沖縄は大丈夫だよ〟と来てくださったお客さまがいる。じゃあ、その人たちに、どうしたら〝来てくれてありがとう〟という気持ちを伝えられるのか。そこから、お客さまを大切にしようという意識がさらに高まったと思います」

観光客の減少というピンチが、よりよいサービスとは何かを考え、改善していくきっかけとなった。さらに、それまであまり力が入れられてこなかった、県内の客に向けたサービスも見つめ直されていくことになる。同じ島内の人たちにこそ、バスツアーをするならガイドをつけて〝私たちと一緒に旅に出てみませんか〟とアピールをした。そして、公民館などでのボランティアで〝動かない観光バス〟をはじめたのも、この時期である。室内でも、まるでバスに乗っているかのような体験をしてもらえるよう、ガイドをしながら歌って踊る。ちょっとした芝居も披露した。これが大好評。どんどんと口コミが広がっていくことになる。

「あのときは、バスガイドの仕事は無かったけれど、ガイドクラブひまわりという新しい組織の知名度を広げていくことはできました。そして何より、見に来てくださる方に喜んでもらえて、ありがとうと言っていただけた。私としてはすごく、心のエネルギーがたまる充実した時間でしたね。『もっともっと』という気持ちになりました」

まさに、ピンチはチャンス。そしてこれは、さまざまな苦難を乗り越えてきた琉球の先人たちの教えでもあると、崎原さんは笑顔を見せる。

「私はガイドを通じて、琉球の先人たちの生きざまを学んできました。〝ピンチはチャンス〟というのは、心のあり方次第で、いくらでも方向転換できるという、まさに先人の教えそのものだと思います」

話を聞いてくれた人の魂を揺さぶりたい

平成17年以降は、再びフリーのガイドとして独立。バスガイドだけでなく、講演会や後進の育成など活躍の幅をさらに広げている。

「最近では、企業の社員教育だったり、おもてなしの心やコミュニケーションの方法だったりと、いろいろなテーマで講演をしています。もちろん企業だけではなく、保育園や老人ホームで〝動かないバスガイド〟をすることもあります」

表現の方法や、伝える相手はさまざまだ。それでも「伝えたいことは一緒、ブレません」と崎原さん。伝えたいのは、感謝する心。自分の命のルーツを見つめ、自分を生かしてくれている自然や、先祖に感謝をする心だという。これを伝え、そして根付かせていくことが崎原さんの目標だ。

「沖縄にはカチャーシーといって、民謡を歌いながら、両手を頭の上に上げて、左右に振って足を踏み鳴らす踊りがあります。〝かき混ぜる〟という意味の〝カチャースン〟が変化した言葉で、これは、心の中にある、いろいろな感情をかき混ぜていくことだと思うんです。うれしいことがあれば、『今日は楽しいね』とみんなで共感する。つらいことや苦しいことがあれば、みんなで分かち合って負担しあう。踊りながら悪い感情を自分の外に出して、今度は、自然界に溢れるパワーを体の中にもらって、心を浄化していく。そうしてみんなと歌って踊って、体が熱くなって楽しくなって、それが〝アチャン、チバラヤー〟。〝また明日も頑張ろう〟という、活力になると思うんです」

このように、歴史や慣習を学び、自分なりに解釈して、その意味を伝える。それができるようになったのは、「本当にここ最近」なのだと崎原さんは言う。芸能を軸にしたガイドや講演を通じて、沖縄の先人達の生きざまを伝え、感動を与える、魂を揺さぶる。そうすることで、話を聞いてくれた人たちが、何かを学んだり、ふと自分自身の人生を振り返ったりしてくれたら、それが何よりもうれしいという。

「自然や祖先に感謝する心。それはきっと、どんな国のどんな人にも共通する、潜在意識の中に、心の奥底にある思いだと思うんです。それを、沖縄という枠だけにとらわれず、たくさんの人に伝え、気付いてもらい、心をつないでいく。それが、私の使命だと思っています」

崎原真弓(さきはら・まゆみ)

カリスマスーパーバスガイド

1963年、沖縄県久米島生まれ。高校卒業後バス会社に入社。バスガイドとしてキャリアを積み、2000年、実姉が設立した県内初のバスガイド派遣組織『バスガイドクラブひまわり』にてサブチーフを務める。2006年、さらに独自性のあるガイドを目指し、独立。沖縄独自の芸能を織り交ぜたガイドの方法が話題を集めている。さらに講演会やイベント司会、後進の育成と活躍の幅を広げている。

写真・仲本潤

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