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あの人を訪ねたい 吉井 怜

「お芝居が今、楽しくてたまらないんです。うまくできないと昔は落ち込むだけだったのですが、今は、悔しさがバネになり、『だからこそ頑張ろう』という気になってきます。自分の気持ちが少しずつ強くなっていると実感できます」

女優・吉井怜さんには、聡明な美しさがある。涼しげな印象だが、話し出すと陽気さと愛らしさも感じられ、周りの人を楽しい気持ちにさせてくれる。14歳で芸能界にデビューし、トップアイドルとして人気絶頂のときに白血病を発症してしまう。だが、2年後には芸能界に復帰し、女優の道をまい進している。最近ではバラエティー番組にも出演するようになり、その素直なリアクション、ハキハキとした話し方で人気も高まっている。そんな吉井さんに、白血病との闘いについて、そして、女優という仕事にかける思いをたっぷり語ってもらった。

順風満帆な芸能生活が突如暗転する

「井上陽水さんや安全地帯の歌マネをしていました(笑)。ドラマもよく観ていて、いつかテレビに出るのが夢でした」と吉井さんは幼いころから目立つのが好きだったと振り返る。

そんな吉井さんは、中学生のとき、友だちに誘われてオーディションに応募。現在の芸能事務所にスカウトされる。デビュー当初はグラビアやCMなどを中心に活動していた。そして、16歳の頃、特撮番組「仮面天使ロゼッタ」のヒロイン役をつかんだことを機に一気にブレイクを果たす。

「目立つのが好きだから、『テレビに出てたよね』って言われるのがうれしくてたまらなかったんです。でも、同時に怖くもありました。ドラマの世界に憧れていたのですが、いざ出演すると、こんなにも難しいものなんだっていうことが分かってくるのです。自分の実力が全く足りていないことに焦りを感じていました」

順風満帆のように見えるが、内心はいつも不安でいっぱいだったという。「バラエティー番組に出ていても、私、何も話せていない。面白くない」と自分を責めた。

「この仕事は好きなのですが、何をどうすれば良いのか分からず、向いていないんじゃないかとずっと悩んでいました」

こうした悩みを抱えながらも人気アイドルとして目の回るような忙しい毎日が続いた。実は、高校を卒業したころから体調が悪いことには気付いていたが、仕事も忙しく、人付き合いも大切にしたかったので無理を続けていた。撮影中に倒れたのはそんな矢先のことだった。

兄からのひと言で骨髄移植を決意

「家族は本当の病名、急性骨髄性白血病と知らされていたのですが、私は再生不良性貧血のため、3カ月くらい入院になると聞かされました。それでも悔しくて涙がとまらなかった。休んでいる間に芸能界から必要とされなくなったらどうしようって思ったんです」

母親が泣きながら自分を抱きしめたことがあった。大げさだなと思っていたが、抗がん剤治療が一段落した入院1カ月後に、急性骨髄性白血病だったと知らされ、その意味を理解した。

「でも、このときに本当のことを教えてくれたのは治ったということだと思っていました」

しかし、闘病生活はまだ終わっていなかった。吉井さんの白血病は、再発率のやや高いタイプのものだった。主治医からは、その後の治療法として、「入退院を繰り返しながら定期的に抗がん剤を投与して再発を抑える方法」と「骨髄移植によって根治する方法」の2つが提案された。吉井さんは戸惑いつつも前者を選択する。短期入院以外は自宅で生活でき、抵抗力が回復すれば、外出もできると聞いたからだ。

「移植となると再び長い入院生活が強いられます。また、あのつらい無菌室で苦しむのも嫌だったし、何より芸能界に戻れなくなるのが怖かったのです。ただ、1、2回、抗がん剤の投与を受けたころから、考えが変わってきました。移植を受ければ生存率は60〜70%、抗がん剤のみで再発した場合は30%以下と具体的な数字で教えられ、果たしてこの治療でいいのかなって思ったんです。そんなとき、兄が私にこう言ったんです。『(再発の)爆弾を抱えたやつなんて復帰しても使ってもらえないし、再発したら本当に戻れなくなる。健康でないとどんな仕事だってできないんだぞ』って。そのときは芸能界に執着していて少しでも早く復帰したいと考えていたけれど、生きていなければ、何もできないんだと気付き、骨髄移植をしようと決めました」

幸いにも検査で母親のHLA型(白血球の型)が吉井さんのそれと完全に一致。ドナー(臓器・骨髄の提供者)になってくれることになった。さらに移植に伴う合併症が少なく、手術から約2カ月半で退院できたことも幸運だった。

「闘病中、仕事ができなくて焦る私に事務所の社長が『心配するな、待っているから』と言ってくれました。家族の支えも含め、本当に周囲のお陰で再び生きることができたのだと思っています」

「逃げグセ」を克服し、ゼロから再スタート

2年間の闘病生活を経て、平成14年春、吉井さんは仕事に復帰する。仕事を再開するにあたり、吉井さんは「ゼロからスタートしよう。その上で、グラビアなど声を掛けてもらえることは全てちゃんとお受けしよう」と決めた。

「アイドルのころの自分に未練はない、今からできることを一生懸命やろうと思いました。芝居が苦手だと言っていたけれど、それは単に逃げていただけだと気付いたんです。その逃げグセを克服し、本気で女優を目指すことにしました」

しかし、世間は吉井さんが白血病を克服したことばかりに注目する。その頃は、まだ病気のことに触れられるのが嫌だったと言う。

「復帰当初は私も『もうすっかり元気です』と必死にアピールしていました。ただ闘病生活があまりに過酷だったので思い出すのがつらかったのです。話すたびに声が震えました」

そんな気持ちを切り替えてくれたのが舞台の仕事だった。「うまくできない悔しさがバネになり、『だからこそ頑張ろう』という気になっていて、自分の気持ちが少しずつ強くなっていると実感しています」。

そんな中、20代後半に再び転機が訪れる。仕事が急激に減ってしまったのだ。芸能界を辞めることも覚悟した。「そこで落ち込んでいる私に声を掛けてくれたのがやはり兄でした。『本当に努力したの? 前のドラマと今度の作品の芝居を比べても全然成長していない気がするけど』って。言われたときは『何が分かるんだ』って反抗したけれど、確かに核心をついていたんです。その言葉で目が覚め、もっと努力しようと気持ちを新たにしました」

またこの時期に吉井さんはアルバイトも経験している。これもいつか女優業に生かせるはず。そう思ってのことだった。

女優以外の仕事にも積極的にチャレンジ

ではなぜ、そこまで女優の仕事がしたいのか。それは毎回いろいろなことに気付かされるからだという。

「先日も共演者に『本番前、極度に緊張する』と話したら、『それは自分をよく見せたいと思っているからじゃないですか?』と言われ、ハッとしました。監督や演出の方からダメ出しをいただくことで気が付くこともたくさんありますし、ありがたいことでもあるなぁと思っています」

共演者の人たちと話していて自分の頭の固さにあきれることもあるそうだ。

「この役はこうでなければと決めつけるところがあったんです。でも、もっと柔軟に、自由に芝居をすればいいじゃんって思えてきてからは、それまで以上に演技が面白くなってきたんです」

40歳、50歳になっても、積み重ねてきたものをしっかりと出せる女優になりたい。吉井さんはそう語る。また、最近は女優業だけでなく、経営者へのインタビューなどにも意欲的に挑戦している。世の中にはさまざまな仕事があること、どんな仕事もその人にとってのやりがいがあると知ったことは大きな収穫だった。

「やはり仕事に誇りを持っている経営者の方は働くことが楽しそうですよね。しかも、相手にもパワーを与えてくれます。見習うべき点が多々あって、本当に勉強になります」

吉井さんは、仕事以外の取り組みにも積極的だ。テレビ番組をきっかけにスキューバダイビングを始めたり、経営者へのインタビューで触発されてカラーセラピストの資格を取得したり、ジャイロトニックというトレーニングを始めたりといった具合だ。「スキューバダイビングの免許は60歳を過ぎた父にも取ってもらい、一緒に与那国島などへ潜りに行っています。それと最近ハマっているのは味噌づくり。手づくり味噌はおいしいし、健康にいいので毎日食べています」。

紆余曲折を乗り越えたからこそ、今この瞬間を愛しむように精力的に生きている。吉井さんがさらに飛躍し、伸びやかな女優として成長していくことに期待したい。

吉井 怜(よしい・れい)

女優

1982年東京都生まれ。96年、14歳でデビュー。トップアイドルとして人気絶頂の2000年、白血病で倒れる。2年の闘病生活を経て、02年芸能界復帰以降は女優として舞台、映画、ドラマ、バラエティー番組などで活躍。現在、「牙狼<GARO>~魔戒之花~」(テレビ東京系6局)に出演、WEB「仕事を楽しむためのWEBマガジンB-plus」レギュラーインタビュアーを務める。趣味は健康ドリンクや発酵食品、料理をつくること、スキューバダイビング。資格は味噌ソムリエ、TCカラーセラピスト

写真・山出高士

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