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あの人を訪ねたい 山口香

「今後、スポーツ選手はその枠を越えて、社会全般を舞台に活躍していくべきだと思います。そして2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催は、スポーツがどう社会に貢献できるのかを、あらためて日本中が考えるきっかけになるべきです」

元柔道選手で、現在は筑波大学体育系准教授として教鞭を執る山口香さん。昭和59年の世界選手権で日本人女子初となる金メダルを獲得し、4年後のソウル五輪でも銅メダルを勝ち取るなど、まさに女子柔道界の先駆者である。現役時代は「女三四郎」とも呼ばれ、男勝りでストイックなイメージがあるかもしれない。一方で、実際の山口さんはとても明るく女性的。休みの日にはファッションやネイルを楽しんで気分転換したり、お酒をたしなむこともあるという。インタビュー中も、しっかりとした口調ながら、優しい笑顔が印象的だった。

歩みを止めることなくいろいろなことを学び続けたい

山口さんが柔道を始めたのは6歳のころだ。テレビドラマの「姿三四郎」に憧れて、柔道場に通い始めた。たった一人の女子選手として、男子を相手に週6日の稽古を重ねた。13歳のときに第1回女子全日本選手権50㎏以下級で優勝を果たし、その後10年間、国内トップの座を守り続けた。加えて、世界選手権優勝、ソウル五輪でメダル獲得と、輝かしい実績を積み重ねていく。

「練習は厳しかったです。だから、当時は柔道が楽しくて仕方がない、好きで好きでたまらないという感覚ではありませんでした(笑)。それでも、できないことができるようになる達成感だったり、練習を重ねていくうちに、先生の教えがだんだんと理解できたり。そういった積み重ねで、柔道が徐々に体の奥深くにしみ込んでいって、そこから抜けられなくなってしまった、という感じです。今となってみれば、柔道というよりも、柔道を通して、人生とは何かを問答し続けることが楽しかったのだ、と思っています」

平成元年に現役を引退した後は、母校である筑波大学でコーチを務めながら武蔵大学にも勤務。5年にはイギリスに留学し、見聞を広めた。そして20年からは筑波大学で教鞭を執っている。その一方で本業以外の複数の役職を兼務している。日本オリンピック委員会理事、全日本柔道連盟監事、東京都教育委員会委員、コナミの社外取締役でもある。

「なぜいろいろな役職についているのかといえば、自らの勉強のためです。自分自身が本当に学ぶためには、今いる世界にとどまらず、外の世界に出るべきだと思っています。正直、今の柔道界で私に面と向かって意見を言う人は少ないです。ですが、そこから一歩外に出ると柔道のキャリアは大して役に立ちません。だからこそ、対等に意見を交換しあえるのです。『知らなかった』と素直に学べるし、新たな発見があります。人は偉くなるほど、自分のテリトリーから出たくなくなるものですが、それではそれ以上進化できなくなります」

常に歩みを止めず、成長を続けていこうという意志。それこそが修業なのだ、と山口さんは言う。

大切なのは勝敗ではなく学びをどう社会に生かすか

現在は教育者という立場にある山口さんが、今後発信していきたいことの一つが、社会におけるスポーツの在り方だ。本当の意味で、スポーツが社会に貢献するとはどういうことなのかを考えていくべきだという。

「現在のスポーツは、勝ち負けにこだわりすぎているように思います。オリンピックやサッカー・ワールドカップなど、メディアの扱いが大きいとなおのことです。もちろん、勝つことは大事です。でも、結果を出して、感動を与えてくれればいい、ということではなく、スポーツ選手はその先にも、何かを求められるべきだと思うんです」

現在、さまざまなスポーツで活躍した選手たちの多くが、競技者としての第一線を退いた後も、その競技内での活動にとどまってしまっている。それでは本当の意味で、競技者としての経験を社会に還元できているとは言えないのではないか、と山口さんは考える。

「スポーツの世界で頂点を極めるということは、相当な努力で困難を乗り越え、勝つための能力を身に付けてきたということです。ということは、その力をほかの分野でも生かせるはずなんです。スポーツが社会に貢献するということは、スポーツを通じて人材を育成していき、その結果として社会を豊かにしていく、ということだと私は思います」

だからこそ、まずは自分自身がロールモデルとして、柔道だけにとどまることなく幅広く社会に貢献していきたいと語る。競技で結果を残してきた人間は、後進を導く存在であるべきだ、という強い自負もある。

オリンピック開催を通じて再確認すべきスポーツの力

選手だけでなく、日本全体がスポーツの在り方を考えるという意味で、2020年に開催予定の東京オリンピック・パラリンピックは重要なポイントになる、と山口さんは言う。その背景には、大きな社会的課題があるからだ。平成23年に発生した東日本大震災。被災地では、未だに多くの人が仮設住宅に住むなど、被災前の日常を取り戻せずにいる。そんな中で、オリンピック・パラリンピックには国の税金も投入されるのだ。その事実から、スポーツに携わる者は目をそらしてはいけないと語る。

「震災で被害にあわれた方々に、心の底から『日本で開催できてよかった』と思ってもらうためにも、特に選手にはしっかりと考えてみてもらいたい。それはもちろん、政治が、国が、東京都が考えるべきことかもしれないです。でも、やっぱりみんなで考えていきたいですよね」

五輪が開催され、アスリートの活躍に人々が感動し、経済効果で景気が上向く、それは素晴らしいことだ。しかし、それだけで終わってはいけない。一時の感動や変化だけではなく、それ以上の価値がオリンピックにはあるべきだと、山口さんは考えている。そしていま一度、「日本を代表するとはどういうことか」を考えてみてほしいという。

「日本代表選手には、自信と、誇りを持って戦ってほしいです。国を背負うということは、外務大臣とも大差がないですよね。世界中から、日本の選手たちに注目が集まる。そして世界は、選手の後ろに〝日本〟という国を見ているのですから」

柔道女子日本代表への暴力事件への怒り

そんな日本代表への誇りがあるからこそ、平成25年に起きた女子柔道強化選手への暴力問題事件に関しては、憤りを隠せなかった。

「一番の問題は、ナショナルチームであの事件が起きてしまったということです。国を代表して戦う選手に対して、暴力で指導をするなんてことがあってはなりません。世界の人々は、あの事件の後ろに日本という国を見ています。後に東京五輪は、選手へのリスペクトがない国で開催されたオリンピックだ、と思われかねません」

そんな暴力問題の原因として、世間一般では、日本独特の指導方針が挙げられることがある。日本の指導の多くは、最初は〝型〟から教え込まれる。それは議論の余地を与えないまま、まずは教える、というものだからだ。本来は、型を守り、学んだ型を理解した上で、自らの力でその型を破り、最後は「守」る「破」ることからも離れて新たな境地に到達する。武道で〝守破離〟と表される考え方だが、その一部分が誤った捉え方をされているのでは、と山口さんは懸念する。

「指導の初期の名残からか、指導者に対して従うことが美徳という風潮がまだあります。しかし日本代表の選手たちは、守破離の〝守〟を超えた選手ばかりです。暴力で押し込める指導者にも問題があるし、意見できない選手にも問題があると思います」

目上の人を敬うことと、遠慮して意見を言わないことでは意味が異なる。日本の〝守破離〟を良い意味で残していくためにも、物事の本質はしっかりと見極めるべきだと山口さんは言う。

メダリストとしての誇りを持って意見を発信する

大学で教鞭を執る傍ら、各地で講演会も積極的に行っている山口さん。今後について尋ねると、「自分の考えや価値観を、少しでも多くの人に発信し、意見交換をしていきたい」という答えが返ってきた。その考えの軸には、〝柔道の父〟嘉納治五郎の言葉、「自己の完成と世の補益」があるという。

「自己の完成というのは、歩みを止めず学びましょう、ということ。世の補益というのは、強くなることで完結せず、世の中のために修業してきたことをどう生かすかということです。だから今後も、いろんな考えをいろんな立場から発信していきたいですね。それで、すごく大きな何かができる、というわけでもないですけれど……」

とはいえ、山口さんはその道の先駆者であり、オリンピアンでもある。当然発言力も大きく、ときには批判を受けることがあるかもしれない。

「それでも、矢面に立って、意思を発信していくべきだと思います。立場があるからこそ、もの申せることもあると思うので」

そう言って、にっこりと笑顔を見せてくれた。時に傷を負うことをためらわず、自らの道を突き進む。その姿からは、柔道家、メダリストとしての誇りと、女性らしいしなやかな強さが感じられた。

山口香(やまぐち・かおり)

筑波大学体育系准教授

1964年東京都生まれ。6歳から柔道をはじめ、78年、13歳のときに全日本体重別選手権で優勝。その後10連覇を果たす。84年、第3回世界選手権で日本女子史上初の快挙となる金メダルを獲得。88年にはソウルオリンピックで銅メダルを獲得した。89年に現役を引退。同年に卒業した筑波大学でコーチを務める傍ら、武蔵大学に勤務。08年から筑波大学で教鞭を執る。日本オリンピック委員会理事、全日本柔道連盟監事、東京都教育委員会委員、日本バレーボール協会理事、コナミ取締役などを務める

写真・山出高士

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