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あの人を訪ねたい わたせせいぞう

「昨日より今日の方が良いと思わないとダメです。だから、創作しているときに〝どうでもいいや〟とは絶対にならないのです。これが常に前に進むということだと思います」

わたせせいぞうさんのイラストには四季折々の美しい景色と、そこに佇む男女の姿がある。風に揺れる色鮮やかな花々を見ていると、今にも絵の中からそよ風が吹いてきそうな、そんな感覚に陥ってしまう。爽やかに、ときにしっとりと紡がれるラブストーリーに読者の胸はときめくのだ――。今年で画業40周年を迎える、コミック画家でイラストレーターのわたせさん。69歳を迎えた今も衰えることのない創作意欲の源にあるのは、「描くこと」を心の底から楽しみ、そして幸せに思う気持ちだった。

会社員生活をしながら創作活動を開始

昭和58年、週刊モーニング(講談社)で連載されたショートストーリー『ハートカクテル』が、若者を中心に大ヒットした。以来、約30年にわたって数々の作品を生み出し、〝ピュアで美しい大人の世界〟を表現し続けているわたせさん。コミックやイラストはもちろんのこと、平成16年には「地元への恩返しになれば」と北九州市・門司港周辺のまちづくりのイメージプロデュースも手掛けた。現在は精力的な創作活動の傍ら、各地で講演会を行ったり、神奈川大学で特任教授として教鞭を執ったりと、活躍のステージを広げ続けている。

「でも、一番楽しいのは絵を描いているときです。朝起きて、机に向かって絵を描き、作品のイメージを考える。それが幸せです。だって自分で話がつくれて、自分が描きたいものを描けるんですから、幸せですよね」

そう穏やかな口調で語ってくれたわたせさん。作品について語るとき、時折こぼれる優しい笑顔から、本当に絵を描くことが楽しいのだとの思いが伝わってくる。

月曜から金曜まで絵が描けるなんて幸せだ――。わたせさんがそう思うのは、創作活動と会社勤め、二足のわらじを履いていた過去があるからだ。わたせさんのコミック画家としてのキャリアは、サラリーマン時代にスタートしている。

「もともとはマスコミを志望していたのですが、大学卒業後、就職したのは学校推薦の損害保険会社でした。営業に配属され、仕事自体はやりがいもあり楽しかったのですが、心のどこかに、モノをつくる仕事をしたいという気持ちがありました。小さいころから絵を描くことが好きでしたし、大学時代には小説を書いたりと、クリエーティブな仕事に興味があったんです。そんな思いを抱きながらサラリーマンをしていた25歳ごろ、直木賞作家の永井路子さんにお会いするチャンスをいただけたのです」

この永井さんとの出会いが、わたせさんの人生を大きく変えることになる。永井さんの母校で行われる講演会の合間を縫って、10分間だけ会えることになったわたせさんは、最初、小説を持っていって読んでもらおうかと考えていた。

しかし「原稿用紙を山ほど持っていくことになるし、読んでもらう時間もないだろう」と考えた末に、持っていったのは文章ではなく漫画だった。「それを見た永井先生に『わたせさんは、漫画家になりたいんですね』と言われたんです。そこで、僕の人生の違う扉が開いたと思いました」。

その後、わたせさんは会社勤めをしながら漫画を描くという〝二足のわらじ〟生活をスタートさせる。わたせさんは当時のことをこう振り返る。

「永井先生に『漫画家は、生半可な気持ちじゃできない。だから今の仕事を辞めてはダメ。漫画は趣味で描いていきなさい』と言われたからです。どうしても漫画家一本に道をしぼりたいなら、『会社の稼ぎの6倍になってからにしなさい』と言われていましたが、それは無理でした(笑)。永井先生がそんな無茶なハードルを設定してくださったのは、どんな苦しい環境でも描き続けたいという強い意思があるのかどうか、それを確かめるためだったのかなと今は思えますね」

40歳のときに訪れた転機

その後、昭和49年に第13回ビッグコミック賞に入選。さあこれから……というときに、わたせさんは一度、絵を描くことから離れてしまう。長野への転勤が決まったのだ。当時の環境では、漫画やイラストを描く仕事は東京にいなければ難しく、長野で描き続けることは現実的には思えなかった。

しかし3年後、編集者のすすめで再度作品を描き始めた。そして、4年後には長野にいながらも連載をスタート。東京に戻った後は、支社長に昇進して業務が多忙を極めたものの、わたせさんは二足のわらじを履き続けた。

「会社からは、営業の成績が落ちたら漫画は辞めるようにと言われていました。でも、最初からうまく両立できたわけではありません。仕事しながら漫画のことを考えたり、漫画のことを考えながら仕事のことが頭をよぎったり……。これではどちらもダメになると思い、あるときから、体内時計を強引に変えたのです。月曜から金曜日までは会社の仕事で完全燃焼。土日は創作活動に集中、というスタイルにしました」

そうすることで、営業成績を落とさずに作品をつくり続けることができた。また当時の会社の仲間にも、大いに助けられたという。

「私のチームには優秀なスタッフが集まっていましたし、彼らは私が絵を描いていることを知っていたので、私の仕事のやり方に理解を示してくれていました。作品があるからこそ皆から慕われたと思うし、作品が私を守ってくれたとも思います」

だが、そんな生活にも別れが訪れる。それはわたせさんが40歳のときだった。

「営業とは違う部署で、課長に抜てきされたんです。話をいただいたときは、すごくうれしかった。会社にそれだけ評価をされたということですから。ただ、課長になればもう絵は描けなくなってしまう……。本当に悩みましたね」

両方をとることはできない。悩んで悩んだその末に、わたせさんが選んだのは、絵を描いて生きていく道だった。「〝描かない〟という選択肢はなかったんですよね。想像してみたんです、40歳の今の自分と45歳の自分、そして50歳の自分。もしもそのみんなが集まることができたなら、未来の自分は今の自分になんて言うだろうって。

『なんであのとき、絵を辞めたんだ』って、言われそうな気がしたんですよね」。

昨日より今日 常に前に進みたい

わたせさんが作品づくりで大切にしているのが〝イメージ力〟だ。絵を描くときは、音楽を聴き、頭の中でイメージを膨らませて、思い浮かんだ場面やセリフをもとに絵をつくり上げていくのだという。

「このイメージ力が、絵を描くうえでとても大切です。ただ、このイメージ力はクリエーティブな仕事だけではなく、それ以外の仕事でも、日常生活でも役立つ大切な力です。神奈川大学の講義では、インストゥルメンタル(歌の入らない楽器の演奏)を聴き、そこから情景を思い浮かべて文章をつくるということをしています。最初は全然書けなかった学生も、回を重ねると、だんだんと文章が具体的で感情的に深みのあるものになっていくんですよね。脳の想像する柔らかな部分こそが、新しいアイデアの元になのです」

身の回りの出来事を〝よく観察〟し、全てのことに〝感動する〟こと。イメージ力を養うためには、この二つを常に蓄積しておくことが大切だ、とわたせさんは説明する。

「絵を描くとき、アイデアが思いつかないというのはないですね。アイデアが二つ三つ浮かんだときは、いい意味で大変ですし、そのときは悩みますが、それも、ワクワクするという感覚です。いつも思うのは、昨日より今日の方が良いと思わないとダメだということです。だから創作しているとき、〝どうでもいいや〟とは絶対にならない。昨日よりも今日が退化したら、それで終わりだと思っています。それが、常に前に進むということですよね」

今日も明日も明後日も、わたせさんは常に前進しながら、創作活動を続けていくのだろう。きっと〝わたせワールド〟はこれからもずっと、私たちに感動を与え続けてくれるはずだ。

わたせせいぞう

イラストレーター・漫画家

本名、渡瀬政造。昭和20年、兵庫県神戸市で生まれ、間もなく福岡県北九州市に移り住む。早稲田大学卒業後、損害保険会社に就職。会社勤めの傍らコミック作家としての活動をスタートし、昭和58年、週刊モーニングで連載した『ハートカクテル』が大ヒット。その後、作家としての活動に専念すべく独立。62年には漫画『私立探偵フィリップ』で文藝春秋漫画賞を受賞。以後、日本を代表する漫画家・イラストレーターとして活動を続けている。現在『Telephone』をモーニング(講談社)にて連載中。神奈川大学外国語学部国際文化交流学科特任教授

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