新たな市場の開拓やヒット商品には、女性消費者の支持が大きな要因になる。社内外の女性の感性を活用して新たな商品を生み出し、大きな成果を上げている。そんな地域企業の成功事例に迫った。
事例1 「毎日が吉日」がテーマの乙女心をくすぐる和雑貨
光織物(山梨県富士吉田市)
お守りや御朱印帳、のしなど、和小物のデザインは、昔と変わらないものが多い。その流れを逆手に取り、ポップなデザインで脚光を浴びているのが、光織物のファクトリーブランド「kichijitsu」だ。企画、デザインを担当したのは当時美大生だった一人の女性で、学生とのコラボレート企画から、新事業が開花した。
富士山の北麓に広がる知る人ぞ知る織物産地
山梨県富士吉田市は、富士山北麓に位置する。晴れた日には富士山が大迫力でまちの風景に迫りくる。富士山の登山口であり、富士急ハイランドなどの行楽施設や、地元グルメの吉田うどんなどが有名だが、国内屈指の織物産地であることはあまり知られていない。
富士吉田市は、約1000年以上前から続く織物の歴史と文化があり、江戸時代には「甲斐絹(かいき)」と呼ばれる独特の光沢と風合いがもてはやされた。その甲斐絹をルーツとした織物技術の高さから、この地域は、高級織物産地として発展してきたのだ。明治時代に最盛期を迎え、昭和に入って和装から洋装へ移り変わっても、傘地やスーツの裏地、ネクタイや婦人服などをつくっていた。今でも国産ネクタイ生地の4割を誇るほどで、海外の有名ブランドの生地が富士吉田市で生産されていることも珍しいことではない。
だが、OEM(相手先ブランド製造)中心であるため、織物産地としての知名度は低い。他の織物産地と同様に機屋(はたや)の数は減る一方で、後継者不足に頭を抱えるが、その状況に手をこまねいてはいられない。「ハタオリ産地を盛り上げていこう」との、若手を中心とした勢いがある。その前線に立つ機屋の一つが光織物だ。
「18年前、うちも倒産の危機に直面しました。取引先が倒産して8000万円の手形が不渡りになり、工場を畳もうかと本気で考えました」
そう語るのは三代目で代表取締役の加々美好(よしみ)さん。それに待ったをかけたのが、後継者として事業を支える息子の琢也さんだ。ファクトリーブランド「kichijitsu」誕生の立役者でもある。 「20歳まで家業を継ぐかどうか返事を待ってほしいと父に伝えて、結果として今ここにいます」と琢也さんは照れ笑いする。
美大生とのコラボレートで新ジャンルを開拓する
同社は1958年に法人化し、昨年60年目を迎えた。富士山麓の湧き水を利用して糸を染め上げて、きらびやかな和の織物を織り上げることを得意とする。好さんが入社した当初はアルバムの表紙や裏表紙、ハンドバッグの生地なども手掛けていたが、今は掛け軸に使われる表装裂地やひな人形の金襴緞子(きんらんどんす)、和装小物が主流だ。だが、これらの仕事をこなすだけでは先細るという危機感を抱えていた。後継者として入社した琢也さんもまた、自身の機屋としての知識や経験が不足しているもどかしさを感じていたという。
そこで、外部と連携した取り組みができないかと考えるようになり、相談したのが東京造形大学の准教授、鈴木マサルさんだった。
「鈴木さんは准教授になる前から、地元の個店のプロデュースや、地域企業で出展した東京ビッグサイトの展示のコーディネートを担当していました。産学官連携で何かできないかと持ち掛けたのですが、最初はあっさり断られましたよ」と好さんは苦笑する。
だが、気乗りしなかった鈴木さんを説き伏せたのが琢也さんだ。
「助成金をもらうことに抵抗があったようなのですが、2年目からは実費になること、何か新しいことをやりたいという熱意を伝え、快諾してもらいました」
そして、機屋の有志5人と鈴木さんが教える東京造形大学のテキスタイルデザイン専攻の学生らによる「富士山テキスタイルプロジェクト」が2009年、動き出す。このプロジェクトは機屋1社と学生とがタッグを組んでプロダクトを生み出すというもの。学生はプロの手を借りた制作ができ、機屋も学生たちの斬新な発想を刺激に、新たな可能性が広がる。それぞれにメリットがあるというわけだ。また、制作がスムーズに進むように設けられたルールも、妙案だ。一つ、機屋は学生が提案したアイデアを「できない」と突き返さない。一つ、学生は作品づくりではなくビジネスであることを念頭に取り組む。時には学生のアイデアがあまりに斬新すぎて、技術的に不可能なものもあったという。だが、持てる技術を駆使してアイデアに近づけ、それを見て学生自らが考え、工夫する。互いに、つくる喜びを高め合える関係性が生まれ、プロジェクトは好評を博した。
そして2年目、2期生として同社とタッグを組んだのが、大学院生1年の井上綾さんだった。
方向転換した企画がブランド誕生のきっかけに
「井上さんとの出会いは、10年ほど前です。パステルカラーの色使いが得意で、デザイン画が描ける学生を希望し、鈴木さんに紹介していただきました」(好さん)
当初、コラボレート作品は掛け軸で決まり、図案もほぼ完成していた。ところが、別のデザイナーによる掛け軸を題材にしたプロジェクトがスタートし、井上さんの作品とテーマが重なってしまうことが発覚する。そこで急きょ代案を考えて生まれたのが、「おまもりぽっけ」というお守りの形をした携帯電話ケースだ。当時、女性誌で神社仏閣巡りがよく特集され、お守りをバッグに付けている女性たちから着想を得て、井上さんがデザインしたものだ。絵柄は富士山や折り鶴、無病息災をテーマにしたひょうたんとコウモリ、魔除けの鈴など、縁起のいい和柄でシリーズ化していく。特徴的なのは色の取り合わせで、従来の和小物にはないポップな色調と、男女兼用で使えるテイストであることだ。
「織物は地場産業ですが、生地の縫製や加工は京都など別の地域が担当していました。縫製してくれる工場やひもの調達に苦戦しましたね。ネクタイなど決まった形はできても、小物は初めての形。縫製する側も試行錯誤があったようです」と好さん。図案や縫製、加工など外部の力を総動員してつくられた「おまもりぽっけ」は、回を重ねるごとに完成度が高まり、その間ものしをモチーフにした「くっつきのし」、御朱印帳をアレンジした「GOSHUINノート」を生み出す機動力になる。」
「GOSHUINノートは、用途も限られていて、さすがに売れないのではという声は内部からもあがりました。それがギフト・ショーに出展して一番バイヤーの目を引いたのです。その場で商談が成立して、有名企業からいくつも引き合いがありました」と琢也さんはうれしそうに語る。
こうして、12年にファクトリーブランド「kichijitsu」が、産声を上げた。
新ブランドの波及効果で本業が勢いに乗る
母子手帳ケースを入れる「ごきげんぽーち」や、GOSHUINノートを入れる「ごいっしょぶくろ」、そして昨年10月のプレ販売より注目を集めるブックカバーが仲間入りした。ブックカバーは、緞子の中でも軽くて薄い、なめらかな感触が特徴の貴船緞子を採用しており、18年11月に富士吉田ブランドに認定されている。また、販売戦略として、値崩れによるブランド価値の低下を防ぐべく、卸売りはせずに小売店との直接取引のみとした。各メディアで取り上げられ、デザイン感度の高い人には知られたブランドに成長していく。
だが、井上さんは同社の社員ではなく、顧問契約し、フリーデザイナーとしてkichijitsuのデザイン、ブランド監修をしている。
「kichijitsuは、今や売上高の1割を占めますが、社内デザイナーを置くには3割は事業を拡大する必要があります。しかし、本業にしわ寄せが来ては本末転倒なので、1割が理想的なバランスなんです」と好さんは語る。
kichijitsuはコラボ企画の引き合いも多い。過去には有名キャラクターや東京国立博物館で開催された展示のグッズとしてコラボのGOSHUINノートも誕生した。また、会社としては今までやっていない新しいジャンルの商品のOEMを手掛けることになるなど、新たな展開が生まれている。kichijitsuが、同社の知名度アップの呼び水になり、新工場の建設に踏み切れるほど、本業も順調だ。
「借金を返済できたと思ったら、また借金です」と好さんも琢也さんも苦笑するが、表情は明るい。一人の美大生との出会いから10年。ハタオリ産地を盛り上げる機屋として、同社の存在は大きい。
会社データ
社名:光織物有限会社(ひかりおりもの)
所在地:山梨県富士吉田市松山1-4-13
電話:0555-22-1384
代表者:加々美 好 代表取締役
従業員:11人
※月刊石垣20190年4月号に掲載された記事です。
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