戦災を経て発展を遂げる
豊川市は、愛知県の南東部に位置する人口18万人を有する東三河の拠点都市だ。北側は県立自然公園に指定されている本宮山嶺が連なり、中央部から広がる平野の東部には一級河川豊川の清流が流れる。そして南部では波穏やかな三河湾を望むことができる。「山、川、海」の豊かな自然環境に恵まれたまちだ。
この地は古くから栄え、奈良時代には三河の国府、国分寺、国分尼寺が置かれるなど、この地方の政治・経済の中心だった。江戸時代に入ると稲荷信仰のもとで豊川稲荷が広く知られるようになり、東海道の御油・赤坂宿、豊川稲荷の門前町として多くの人に親しまれてきた。
戦時中は海軍兵器の製造を目的として豊川海軍工廠が建設され、機銃、弾丸、双眼鏡などを生産。機銃の生産が国内最大規模だったことから東洋一の兵器工場ともいわれたが、昭和20年8月7日の米軍による空襲で壊滅的な被害に遭い2500人以上が犠牲となる。
しかし、戦後、豊川は劇的な復活を遂げる。東名高速道路豊川インターチェンジの開設を契機に、市内の幹線道路網が発達し、工廠跡地への企業誘致などにより発展。また、豊川用水の全面通水に伴い農業が盛んになり、バラ、スプレー菊や大葉の栽培を中心とした施設園芸も発展してきた。近年では「豊川いなり寿司」などのご当地グルメやbjリーグの浜松・東三河フェニックスのホームタウンとして全国に知られるなどさまざまな魅力があふれている。
豊川商工会議所の日比嘉男会頭は「豊川市は、自然災害も少なく、市内に東名高速道路インターチェンジ2カ所を有する、交通の便もよい『農業・商業・工業・観光』のバランスのとれたまちです」と語る。
観光と食で人を呼び込む
同市には日本三大稲荷の一つである豊川稲荷がある。夏には、各地の手筒花火を奉納する「豊川手筒まつり」が開催されることも全国で知られる。同市の観光について豊川市観光協会の会長でもある日比会頭はこう説明する。
「豊川稲荷は正月の三日間で130万人近くの参拝客でにぎわいますし、豊川手筒まつりも10万人近い人が集まります。しかし、そのにぎわいはイベントのときだけ。年間を通じて継続させることが課題です」
同市は観光に力を入れようと豊川市観光協会事務局長を全国公募した。その結果、平賀菜由美さんが平成20年、民間企業出身者として初めて就任。「とよかわ観光まちづくりビジョン」に沿って、「地域全体を潤わせる」「来訪者数目標1000万人」「とよかわのブランド化」の3本の柱で5カ年計画を立案、取り組みの重点を都市のイメージや知名度を高めるシティーセールスに置いた。
「来訪者数の目標1000万人は、当時の来訪者数の倍近くの数値目標でした。でも、その目標があったからこそ、25年度には、751万人の来訪者を迎えることができたのです。とよかわのブランド化も、古くから親しまれていた、いなり寿司をご当地グルメ『豊川いなり寿司』と命名し、市内の店舗を調査したところ、約100店舗、300種類も扱いのある店舗がありました。そこで、マスコミへ発表したところ、新聞、雑誌、テレビなどで取り上げられ、豊川市の名を全国へ広めることができました」(平賀観光協会事務局長)
同協会では26年から、「第2次とよかわ観光まちづくりビジョン」の3大プロジェクトとして、「とよかわMATSURIプロジェクト」「とよかわBRANDプロジェクト」「とよかわOMOTENASHIプロジェクト」をスタートした。
「日比会頭の地域を思う熱い志が、これらの取り組みの原動力です。私は、豊川のまちの地域活性化、観光まちづくりが楽しくて仕方ありません。今後のまちづくり、まちおこしが楽しみです」(平賀観光協会事務局長)
また、豊川の名物である三河湾の「佃煮」を世界に向けて売り出し中だ。同所会員の株式会社平松食品は従来困難であった甘露煮の少量真空包装の量産化に成功。同社代表取締役の平松賢介さんは佃煮を海外でも味のイメージがわかりやすいように「TERIYAKI-FISH」という商品名で売り出している。
「海外のシェフのアドバイスでオリーブオイルと甘露煮を融合した商品や海外の食文化に対応したジュレ状の佃煮を開発してきました。また、地元の水産高校とも協力した商品開発にも挑戦しています。商工会議所と連携し、地域全体が応援してくれる商品づくりをしています」(平松さん)
B-1グランプリの開催がまちにもたらしたもの
豊川市は25年、「第8回ご当地グルメでまちおこしの祭典! B-1グランプリin豊川」を開催。東三河8市町村の行政・経済界の協力のもと、2日間で58万もの人が来場した。同大会企画統括実行委員長で「豊川いなり寿司で豊川市をもりあげ隊」(もりあげ隊)総隊長も務めるハクヨプロデュースシステム代表取締役社長の笠原盛泰副会頭はこう語る。
「もりあげ隊は21年に結成されたまちおこしの市民ボランティア団体です。その名の通り豊川いなり寿司で地元を盛り上げようという団体。以前から豊川市は可能性があるのに演出不足だと感じていました。そんなときにもりあげ隊の隊長として活動に関わるようになったのです。私自身は東京都出身なのですが、まちづくりについて市外からきた人間だからこそ冷静に見ることができると思います。自分で選んで豊川市に来たのですから愛着があります」
また、笠原副会頭はB-1グランプリを運営する愛Bリーグの副会長でもある。笠原副会頭はB-1グランプリが誤解されていたと振り返る。「B-1のBは〝ブランド〟の意味でご当地をキーワードとした地域のPRを目的としているのですが、しばしばB級グルメと間違われてしまいます。B-1グランプリはお金もうけではなく、まちおこしのおもしろいツールといえます」
豊川でも、当初、B-1グランプリの開催に一部からは理解が得られなかった。開催を実現するため、一軒ずつ説明にまわったこともあったそうだ。そうした経験を通し、B-1グランプリを開催して得たものは何だったのだろうか。
「開催に当たり、もりあげ隊をはじめとするボランティアの存在が大きかったと感じています。B-1グランプリでは有料の広告宣伝ができません。ボランティアでなければマスメディアは取り上げてくれないのです。彼らの活躍が地域のPRになる。また、B-1グランプリを開催したことによって経済界、行政、市民の互いの信頼感が生まれたことが何よりの財産です。今後はいなり寿司以外でも豊川市を盛り上げていきたいですね」(笠原副会頭)
JA、医療団体と連携
23年に豊川商工会議所は、地元のJAひまわりの特別栽培米「いなりの里米」を使用した純米吟醸酒「豊川いなり心願『叶』」の販売を開始した。25年より連携を密にするためひまわり農業協同組合理事長を議員に選任。その後にJAひまわり役員と正副会頭との懇談会を開催するなど、情報の共有化、まちづくりなどの課題について意見交換を活発化してきた。
今年に入り、両団体の若手職員による「農商工連携プロジェクト」を立ち上げ、新商品・新サービス開発などに向けた研修・視察会を実施。連携事業の具体化に向けた動きも加速化している。
25年11月に医師会、歯科医師会、薬剤師会の協力のもと、「医療関連部会」を設立。医師会会長は監事・副部会長、医師会副会長は常議員・部会長、歯科医師会と薬剤師会会長はそれぞれ議員・副部会長に就任。同部会では、医師・介護スタッフのための応対マナー講座やメンタルヘルス講座、認知症講演会、日本医師会認定産業医研修会を開催するなど取り組みが本格化。また、新事業として、高齢者向け医療・介護連携型住宅視察会を予定している。
なぜ医療関連部会を設立することができたのだろうか。同所の松下紀人専務理事はその理由を「医師会・歯科医師会・薬剤師会の各会長が商工会議所議員を務め、各団体と商工会議所、行政との結びつきが強かったためです。また、豊川市在宅医療・介護連携協議会、豊川市地域包括ケア推進協議会、豊川市地域ケア会議には小野喜明副会頭と長谷川事務局長と渡辺相談所長が参画しています」と説明する。
身近で開かれた商工会議所に
同所では商工会議所活動を深く理解してもらうため、開かれた会議所づくり、会員第一主義・現場第一主義を徹底。会員事業所の職員担当制を柱に、会員とともに伴走する会議所づくりを進めるため、全会員事業所の訪問と、会員アンケートを実施し、会員ニーズの把握に努めている。川合悦藏氏・小野喜明氏・笠原盛泰氏の3副会頭はそれぞれ「ものづくり」「ひとづくり・健康づくり」「まちづくり・観光振興」を担当。また、会員企業の人材育成・能力開発支援事業として「豊川職業能力開発専門学院」を開校している。
「これからは継続事業の見直しと事業の再構築を行い、部会再編など、時代の要請に応え、さらに会員の要望を踏まえた事業を実施していく予定です。また、地域総合経済団体としてのあるべき姿、求められる役割を認識した中長期ビジョンを策定すべく、25年11月に『長期ビジョン特別委員会』を組織し、現在検討しています」(日比会頭)
また、市内の音羽・一宮・小坂井・御津町の4商工会との連携強化を目指し、情報交換会を年2回開催。平成27年度には「地域消費喚起・生活支援型『プレミアム』商品券発行事業」「豊川インバウンド促進事業」「やる気満々商店街『自慢の一品スタンプラリー』」を共同実施している。
「いろいろなことをやるには一人の力ではできることが限られています。これからも外部機関と連携し会員に役立つ情報を提供していきたいですね。商工会議所が何もかも解決するのは不可能ですが、外部機関との連携で仲介役を務めるのも商工会議所の大切な役割だと感じています。今後はそこを強化していきたいです」と日比会頭は今後についての意気込みを語った。
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