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100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 農業はあらゆる職業の中で一番面白い 新たな可能性を見つけて地域に貢献する

伊藤農園

和歌山県有田市

水はけと日当たりの良い段々畑の石垣は、江戸時代から築き上げてきたもの

有田産ミカンを全国へ

紀伊半島の温暖な気候と黒潮から吹く潮風に恵まれ、江戸時代初期には本格的なミカンの栽培を始めていた和歌山県有田市に、伊藤農園はある。明治30(1897)年の創業で、いち早く農業の6次産業化に取り組み、かんきつ類の生産だけでなく、それらを使った食品の加工・販売も手掛けている。

明治元(1868)年、江戸で廻船(かいせん)問屋を営んでいた伊藤幸兵衛が、明治維新の混乱を避けて親類を頼りに有田に移住し、廻船問屋を続けた。そして明治30年、孫の芳太郎が青果卸売問屋「船林(ふなりん)」を創業し、併せて温州(うんしゅう)ミカンの栽培をするようになったのが始まりである。

「地元産のミカンを船に載せ、東京や大阪に持っていって販売していました。ミカンの商いは冬場が主で、みかん問屋は半年働いて半年遊ぶというのが仕事でしたが、半年も遊んでいてもしょうがないということで、畑も持つようになったようです」と、三代目の伊藤修さんは言う。

大正13(1924)年に近くの箕島まで鉄道が開通すると、輸送を船から鉄道に切り替え、東日本を中心にミカンを販売していった。

「昔のミカンは今より日持ちしたということもあり、大阪や東京だけでなく、青森のほうまで運んでいました。寒いところではつくれないので、現代でもそうですが、北のほうでよく売れるんです」

その後ミカンの需要は増え、各地でミカンの生産が盛んになった。船林は二代目の彦助が後を継いでから青果問屋業が軌道に乗り、地元では「有田に船林あり」とまで言われるようになっていた。

独自のみかんジュースを開発

「昔のみかん問屋は勝負師のようなところがありました。山ごと買って、人を雇ってミカンを取って、工場で選果して箱詰めして出荷した。実際にどれだけ売れるか分からないものを、山ごと買って勝負するわけです。まだ農協などない時代で、われわれのようなみかん問屋が農協の代わりをしていました。先を見る目が必要で、大きなお金が動くので破産する人もいました。私の父はそういう時代を乗り越えてきたんです」

戦時中はミカンの木を切って芋を植え、それを売ったり自給自足したりする我慢の時代が続いた。戦後は再びミカンの商いを始めたが、昭和47(1972)年に全国のみかん生産量が350万tを超え、生産過剰のため価格が暴落した。その4年後、二代目が亡くなり、伊藤さんが28歳にして三代目として家業を引き継いだ。

「価格が暴落して、農家もそれを扱っている私たちも厳しくなりました。何か新たな道を考えるにしても、私たちにはミカンしかない。そこで、ミカン100%のジュースをつくり始めました」

ミカンをジュースにするには、皮ごとしぼるインライン方式と、皮はむいて果肉の袋を残したまましぼるチョッパー・パルパー方式の二つがあったが、皮や果肉の袋と一緒にしぼる方式では、素材の味が生きているとは思えなかった。「いろいろ研究した結果、ミカンを半分に割ってお椀形の‶型〟の上に載せ、その上から同じ‶型〟で押し潰すことで中身の果肉だけをしぼってジュースにする方式を開発しました」

新卒の大学生を毎年採用

完成するまでに2年の月日がかかったが、1本900㎖のジュースに必要な個数を計算すると、値段を1000円ほどにしないと採算が合わなかった。ほかの100%ジュースが400円ほどの時代、最初はなかなか売れなかった。

「本当のミカンの味がするジュースはほかにどこにもなかった。だから必ず売れるようになると信じていました。地元の祭りや百貨店の催事などで地道に売っていくうちにお客さんが増えてきて、10年ほどしてようやく、百貨店やホテルとの取り引きが始まり、全国展開するきっかけになりました」

平成20(2008)年には、飲食料品の国際的な品質評価機関によるモンドセレクションに初出品して金賞を受賞(以来10年連続で受賞)し、ヨーロッパへの輸出を開始。22(2010)年には農業や6次産業に興味を持つ大学生を全国から募集して5人を新卒採用し、以来毎年大学新卒を採用している。

「同じ時期から、みかん農園を広げていきました。理由は農家の高齢化です。後継ぎもいないため畑をうちで引き受けているんです。今は大卒でも農業をやりたいという子が多いので、そういう子たちを採用して、畑をやってもらっています。これからは若い人たちと知恵を出し合い、農業の新たな可能性を見つけだして地域に貢献していきたい。農業はあらゆる職業の中で一番面白い仕事です」

伊藤農園はこれからも、時代に合わせて農業のやり方を変え、独自の製品を生み出していく。

プロフィール

社名:株式会社伊藤農園(いとうのうえん)

所在地:和歌山県有田市宮原町滝川原498-2

電話:0737-88-7053

HP:https://www.ito-noen.com/

代表者:伊藤 修 代表取締役社長

創業:明治30(1897)年

従業員:約70人

※月刊石垣2020年8月号に掲載された記事です。

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