100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 このままでは先細りのひな人形の伝統をこれからいかに盛り上げていくかが課題

植木屋人形店

埼玉県越谷市

3月まではひな人形、5月まではかぶと、その後はお盆用の造花、年末は羽子板や破魔弓を販売している

植木屋から人形づくりへ

3月3日のひな祭りに飾られるひな人形は、埼玉県の鴻巣と岩槻が生産地として有名だが、実は同じ埼玉県の越谷もひな人形づくりの歴史は古く、かつては江戸の十軒店(じっけんだな・現在の日本橋室町)、鴻巣とともに「関東三大ひな市」の一つとされていた。

江戸時代、越谷の会田佐右衛門が江戸の十軒店でひな人形づくりを習得し、安永年間(1772~80年)に越谷でつくり始めたのが始まりとされている。その店が、越谷の旧日光街道沿いにある植木屋人形店である。

「会田家は清和天皇(在位858〜876年)の子孫にあたり、信濃国(現在の長野県)の武将でした。天文22(1553)年に武田晴信(信玄)に敗れて6世帯が越谷に落ち延び、ここで植木屋をやっていたようです。それが、店の名前が植木屋人形店となった理由だそうです。雅号も樹木齋仙峯(じゅもくさいせんぼう)といい、家が植木屋だったからこの名前をいただいたのだと思います。実際、戦前までは家の裏に植木がたくさんありました。しかし戦時中、木を切って畑にしてしまいました」と、社長の会田正三さんは言う。

越谷では江戸末期と明治の始めに起こった大火でまちが焼けてしまったため、昔の物がほとんど残っておらず、自分が何代目なのかははっきりしないという。

「明治の始めからは私で5代続いているので、初代から数えると私が十代目以上だというのは確かだと思います。また、初代の名前である会田佐右衛門も、私の祖父までは代々襲名していました」

会社を辞めて店を継ぐ

戦前、会田さんの父の代までは、弟子を取り、店の前で弟子たちが並んで人形づくりをしていた。弟子たちはその後、独立して自分で人形をつくっていたが、今ではみんな亡くなり、三代目がやっているところが近所にいくつか残っているだけだという。

「戦前は、つくった人形を福島県や房総に卸したりもしていました。でも、人形屋というのは売るのが1年に1回だけなのに、その間、抱えている弟子や下請けに毎月お金を払う必要がある。店の親方がどこからかその金を調達していました。ひな人形を売った代金の集金は5月が終わってからで、父があちこちを回って集金していました。1年に1回しか売れないので卸問屋はもうほとんどなくなってしまい、うちも売掛金を回収できなかったのを機に卸はやめました」

店は会田さんの兄が継いで人形づくりを行っていた。会田さん自身は高校卒業後に県内のモーター会社に就職し、会社で働きながら、店では人形づくりや配達などの手伝いもしていた。

「会社では大手自動車メーカーに行って技術的な話をする仕事もしていたのですが、私が41歳の時に会社の業績が悪化してしまい、私はクビのような形で辞めざるを得なくなってしまいました。そのとき、兄が体を悪くしてしまい、兄嫁もガンで手術することになり、店を続けることができなくなったのです。そこで、私は子どものころから父の人形づくりを見ていたし、手伝いもしていたので、そのまま店を継ぐことにしました」

部品を外注して組み立てる

それまで、店では会田さんの兄が人形の胴の部分をつくり、それ以外の部品は外注して人形を組み立てて完成品にしていたが、会田さんが店を継いでからはすべての部品を外注にした。

「近くで、かつてのうちの弟子たちの家が人形の部品をつくっているので、私がそこから部品を集めてアセンブリーの形で人形をつくっています。そうしないと、私一人ではたくさんの人形をつくれません。ただし、全部オリジナルだから、全体的なつくりも人形の衣装も1個ずつみんな違います」と会田さんは自信を持って語る。

会田さんの娘さんも人形づくりを手伝っており、特に色彩的な部分では娘さんの意見を取り入れ、人形の背後にある屏風(びょうぶ)の柄をシンプルなものにしている。

「バックの柄がうるさいと、人形が目立たなくなってしまいます。ひな人形はあくまでも人形が主役ですから。そういったことは、私よりも娘のほうが、今の人の感覚が分かります」

現在の問題は、ひな人形があまり売れなくなっていることである。家のスペースの問題もあり、ひな人形を飾らない家が増えているのだ。バブルのころに比べて売り上げが3分の1以下に減っている。

「人形づくりは私の孫が後を継ぐと言ってくれていますが、これからはだんだん先細りになる。ひな人形の文化をこれからどう啓蒙して盛り上げていくかが課題です」

250年近く続く越谷の人形づくりの伝統を、植木屋人形店はこれからも守る努力を続けている。

プロフィール

社名:植木屋人形店(うえきやにんぎょうてん)

所在地:埼玉県越谷市越ヶ谷2-7-3

電話:048-962-1783

Facebook:https://m.facebook.com/uekiyaningyoten/

代表者:会田正三

創業:安永年間(1772~1780年)

従業員:6人

※月刊石垣2021年3月号に掲載された記事です。

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