明治維新を成し遂げた日本は中国の近代化を支援した。政府はむろん、日活の創業者ら民間人も孫文を援助して辛亥革命を助け、アジア初の共和国・中華民国が誕生した。だが実権を握った北洋軍閥の袁世凱に、日本は中国権益「対華21カ条」を飲ませる。袁の死後、中国は群雄割拠の混乱に陥った。
▼中国は易姓革命の歴史を持つ。天命を失った王朝が滅亡すると次の統一王朝まで混迷期が来る。清朝滅亡後、次の王朝・中華人民共和国の建国までの約百年は、中国史が何度も繰り返してきた易姓革命の過程にあった。
▼中国の混迷期の意味を読み違えたのが日本である。列強の一員となった昭和の日本が歴史を誤認する。日本陸軍は、混迷に乗じて中国を手中に収めようとした。だが中国の深みにずるずると引き込まれる一方、毛沢東ら台頭するナショナリズムを軽んじた。中国を勢力圏に組み込もうとする計画は米国に叩き潰された。
▼いま歴史を読み違えているのはロシアである。ソ連の解体は欧米によるロシアの分割だったのではない。ウクライナなどがロシアのくびきから逃げ出したのは、自由で民主的な統治を選び、経済的にも世界の潮流に追いつきたいと願ったからである。大ロシア、小ロシア(ウクライナ)、白ロシア(ベラルーシ)という同胞神話は中世のもの。再統一は歴史の誤認である。
▼遥か10世紀末、現ロシアのルーツであるキエフ大公国の皇帝がビザンチン(東ローマ)帝国の皇女と結婚した。以来奉じる東方正教会(ギリシャ正教)が国の精神的支柱、文化の源泉になっている。とはいえ、ロシアの指導者がローマ帝国の後継国家を任じるのも歴史の誤認にほかならない。歴史観はときに大事な判断を誤らせる。 (コラムニスト・宇津井輝史)
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