日本の少子化対策の議論はスウェーデンと共通する点も多いが、決定的に欠けている視点がある。それは、スウェーデンでは、個人が出産という自由を享受する価値と、それを実現するための費用負担の必要性を同時に示し、国民に決断を迫ったことである。
▼福祉国家であるスウェーデンモデルの基礎をつくったミュルダールは、少子化対策は個人に選択の自由を与えるものだと唱えた。女性が仕事を持つことで所得が増えれば、子どもを持つのかの選択を自分の意思で決めることが可能となる。そのために必要となる出産や育児、教育の費用を国民の納税で賄うべきだという態度を鮮明にした。人口減少を放置すれば経済が徐々に停滞し、国民全体の生活の維持が困難となる。停滞から脱するための少子化対策を「人への投資」と捉え、それは社会が連帯して負担すべき費用であると訴えたのだ。それは今から90年前にさかのぼる。
▼さて、日本で成長と分配の好循環を掲げてスタートした岸田政権。その政策の基本方針が先日公表された。分配政策を成長のための投資と位置付け、「人への投資」を最優先に取り組む。少子化対策もその一環だ。この点ではスウェーデンと共通している。分配によって若い世代の自由度が増えるのは望ましいことだが、それは一面を論じているにすぎない。そのための費用は誰が負担するのかという問題がないがしろにされている。
▼響きの良い「人への投資」という標語を先行させ、財政規律についてお茶を濁す姿勢は、結果として政府への信頼を失わせ、若い人々に不安を与える。若者が自由を得るための費用を社会がどう負担するのか、こうした視点からの議論を日本でもすべき時が来ている。 (NIRA総合研究開発機構理事・神田玲子)
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