日本商工会議所創立100周年記念講演第二弾は、オプティム代表取締役社長の菅谷俊二氏。DX、AI、IoTを駆使して、業種を問わずあらゆる産業が大きく変わっていく「第4次産業革命」がすでに動き出している、という菅谷氏の7月26日に配信されたオンライン記念講演の要旨を紹介する。
菅谷 俊二(すがや・しゅんじ)
株式会社オプティム 代表取締役社長
電子工作少年時代に学んだ知財保護と活用の重要性
「第4次産業革命の中心的な企業を目指して~あらゆる産業・業務をDX化するOPTiMの取り組み~」と題して、私の生い立ち、起業に至るエピソード、起業後の当社(オプティム)の悪戦苦闘といった、私たちの失敗談と、なぜ当社がDXに取り組むようになったのか、第4次産業革命の中心的な企業を目指すとはどういうことなのかについて話します。
当社の設立は2000年。14年に東京証券取引所マザーズ市場上場、15年に市場第一部(現プライム市場)へ市場変更しました。本社は東京ですが、本店は日本で唯一、佐賀大学という国立大学構内に置いています。スタッフは650人程度おり、そのうちの7割から8割がソフトウェアエンジニアというソフトウェア開発の会社です。
ここで私の自己紹介をします。私は神戸市須磨区で生まれました。父は工業高校で電子工学を教えていて、大の電子工学好きでした。9歳の時、伯父に共通規格のMSXパソコンを買ってもらい、BASICというプログラミング言語を学んでゲームづくりに夢中になりました。そして自作したゲームを友達に販売するために、小学校の友達を巻き込んで「ハッスル」という社名の会社もどきをつくってしまいました。
電子工作の分野で初めて評価された作品は、小学校6年生の時の「起きなさいよ!!」という目覚ましシステムです。本体のタイマーから電波が飛んで、腕に巻いたリストバンドに電流が流れて電気ショックで起こす仕組みです。電波新聞社のエレクトロニクスコンテストに応募したところ佳作に選ばれ、副賞としてパナソニックのワープロをもらい、アイデアが製品となり販売できるということを教わりました。
中学に進学すると、後の当社の創業メンバーとなる野々村耕一郎と出会い、高校では徳田整治と出会って、将来新しいものをつくる会社をつくろうということで意気投合しました。この時、知財という概念を知って感激したことを覚えています。
無形の知的財産を守る特許制度は、大企業ほどのモノの資産を持たない中小企業にとって上手に活用したい制度だと考えています。当社も知財戦略を経営・事業戦略の最重要な要素の一つとして位置付けて積極的に特許制度を活用しており、18年度には経済産業省特許庁が先行する「知財功労賞」において、知的財産制度活用優良企業として「特許庁長官表彰」を受賞しました。
農学部に入学したもののインターネットに魅せられる
さて話を戻して、インターネット元年と呼ばれる1996年、佐賀大学農学部に入学しました。農学部に決めた理由は、食糧難が予想されていたし、バイオテクノロジーにも興味があったからです。
ところが、農学部での学生生活は、憧れていた学生生活とは違っていました。夏場の炎天下は40度近くになり、ビニールハウスの中は50度を超える。この厳しい環境の中で授業を行うのです。農業生産者の方々はすごいと思いました。それなのに苦労して育てた農作物の価格は驚くほど安い。この時の経験と驚きが、今の生産者の方々を少しでもお助けしたいという気持ちにつながっています。
学生の頃からはインターネットをビジネスにしようと考え、ベンチャー活動を始めていました。まず日本初の価格比較サイトをつくりました。当時、秋葉原電気街でパソコンを買う場合、同じ製品でも店によって値段が大きく違ったので、消費者は店を回って、どこが一番安いのかを調べないと安く買えなかった。そこで「秋葉原仮想電気街」という価格比較サイトをつくりました。
資金がないのでワープロで印刷した提案書と、A4用紙に印刷して名刺をつくりました。会社の住所が佐賀では怪しまれるだろうと東京に住んでいた友人の住所を借りました。全くビジネスを分かっていない学生だったので、秋葉原の店に飛び込み営業をかければ、すぐに契約してくれると思っていたのですが、そんなことはなく、追い返されて当たり前、良くても「来週担当者を呼んでおくから出直してきて」なんて言われる。店舗からお金をもらって価格比較サイトに掲載するビジネスモデルだったので、なかなか決まらないのです。といって、いったん佐賀に帰って出直す交通費はなく、しばらくはカプセルホテルに泊まっていたけれど、滞在期間が長くなると泊まるお金もなくなって、公園に置いてある遊具の土管に寝泊まりしながら営業をして回ったこともありました。
そんなふうに苦労をしてビジネスを育てようとしていた時に、カカクコムの「価格.com」がバナー広告の収益で運営するビジネスモデルで出てきて急成長しました。われわれはビジネスモデルを転換することができず撤退を決め、これも貴重な失敗体験となりました。
新たに仕掛けたビジネスは、「iCM」。音楽や動画、ゲームのダウンロードの待ち時間に広告を見ると、有料のコンテンツが無料になるという仕組みです。当時は回線の速度が遅く、ダウンロードが終わるまでに時間がかかっていたので、ビジネスとして成り立つと考えたのです。
1999年、コナミ創業者の上月景正理事長が設立した「学生ベンチャー支援事業」(上月教育財団、現上月財団)の第1回選考発表大会で優秀賞を受賞、海外研修旅行(シリコンバレー)と月20万円の奨学金を1年間頂きました。
続いて大前研一先生プロデュースによるビジネスプランコンテスト「第1回ビジネスジャパンオープン」で「iCM」を孫正義さんの特別賞を受賞しました。翌日孫さんにお礼のメールを出すと返事を頂け、出資、買収交渉をしていただけました。「iCM」をソフトバンクに売却しないか、もしくはストックオプションを出すからグループに入らないかと誘われましたが、自分たちでビジネスをやりたいという気持ちが強かったので、そのありがたい申し出を断り2000年、佐賀でオプティムを創業しました。この時のご縁で大前先生には今でもご指導を頂ける関係になりました。
ブロードバンド時代に会社が倒産の危機に直面
ところが、ビジネスをやりたいという気持ちはあっても、契約書の書き方すら知らない状態でしたので、学生時代にアルバイトで働いていた橋口電機の故・橋口弘之社長や佐賀県の政財界の皆さま、役所の方々にビジネスのイロハを教えていただいて営業活動を始めました。ここで第2の失敗が起こります。YouTubeが出現したのです。「iCM」で扱おうとするコンテンツは、著作権がらみで頓挫することが多かったのですが、YouTubeは、その問題をユーザー数の爆発的な拡大で乗り越えてしまい、出現当初はイリーガルだった問題もYouTube自身の努力でリーガルに変えてしまって、巨大なメディア媒体に成長していきました。YouTubeは、この事業を失敗に追い込みますが、私にビジネスの考え方を変えるきっかけを与えてくれました。
「iCM」のほかにも遠隔パソコン学習サービスの「mAnAboo-」、携帯電話のアプリを利用した学習システム「KINJIRO-」、インターネット上の不正コンテンツを監視する「ZENIGATA」などを開発しました。
そんな時、大容量通信ができるブロードバンドの時代が到来しました。
2005年、大きなチャンスがきます。NTT東日本に「mAnAboo-」の営業をかけたところ、ブロードバンドを普及させる上で困っているのは、パソコンの接続サポートだと教えてもらったのです。今もインターネットに接続するためにルーターを使いますが、いろいろなメーカーがたくさんの機種を販売していて、しかも設定方法はさまざまで難しい。接続できないという電話がコールセンターにたくさんかかっていて、ものすごいコスト負担になっていました。
そこで当社が開発したのが、「ZENIGATA」で培った技術をベースにしたルーターの設定画面をAIで認識して自動的に設定するサービスです。NTT東日本に採用が決まり、すぐにプロジェクトが動き出すと思っていたので、私は当時10人か15人いた社員の全てを開発に投入しました。ところが巨大会社なので、なかなかプロジェクトがスタートしない。そのため収入がなくなり、当社の全預金残高が37万円となり、来月倒産するという事態に追い込まれました。社員皆の給料を下げても、もう打つ手がなくなり、NTT東日本の古賀哲夫副社長(当時)に「来月倒産する。せっかく期待していただいて、プロジェクトを任せていただいたのに申し訳ない」と頭を下げたところ、逆に「NTT東日本が迷惑をかけていて申し訳ない」と謝ってくださり、その場で特例中の特例扱いで契約締結を行ってくださいました。しかも、その日から1週間ほどで私たちが望んだ契約形態である開発した技術をNTTが優先的に使用できる権利として1億円を振り込んでくださいました。これで預金残高が1億37万円となり、オプティムは生き残ることができたのです。その技術で開発したサービスがNTT東日本で大ヒット商品となったことは少しでもお返しがかなったような気がして皆で大変喜びました。
ブロードバンドの次にきた大きなインパクトであるスマートフォンの誕生は、大きなチャンスの到来でした。スマホは世の中を大きく変えると直観して、パソコン向けにつくっていたサービスをスマホ版につくり直すことを決断、今の当社の収益の屋台骨になっている「Optimal Biz」の提供を始めます。情報管理担当者がスマホやタブレットを1台1台設定することはもはや不可能ですが、「Optimal Biz」はインターネット経由で一斉に何千台という端末を設定できるサービスで、国内でナンバーワンのシェアを獲得しています。顧客のニーズや時代の変化に対応せずに失敗した「秋葉原仮想電気街」「iCM」の失敗の体験があったからこそ、時代の変化や顧客のニーズに自分たちのアイデアを大切にしながらも謙虚にしなやかに対応できたことが成長できた要因だと思います。
各産業と協業する「〇〇×IT」戦略とは
さて、ここからは第4次産業革命を前に、われわれが何をしようとしているかという話をさせていただきます。
第4次産業革命は全ての産業に影響を与えますが、当社はソフトウェア会社ですので、全ての産業を知っているわけではありません。でも、ITのこと、IoTのこと、AIのこと、クラウドのことなら分かるので、「〇〇×IT」戦略を進めています。〇〇に入るあらゆる産業領域のエキスパートの方々と、われわれが持つITのノウハウを組み合わせて、あらゆる産業を第4次産業革命型に変える、DX化する戦略です。2016年、直感的にIoT端末の制御、データ解析、AI、クラウドサービスとの連携ができるAI・IoTプラットフォーム「OPTiM Cloud IoT OS」を開発しました。スマホやタブレットの設定管理をしていたプラットフォームをIoTとAIを管理するプラットフォームへ生まれ変わらせたのです。
決断させた要因の一つは、Uberと国内のタクシーアプリのエピソードです。Uberの時価総額が3兆円だった時期、企業売却の相談で当社に来たタクシーアプリをつくっている会社の売却価格は数億円でした。なぜ、これほどの差があるのか。調べて分かったことは、Uberは乗車料金で売り上げを立てていて、タクシーアプリはソフトウェア開発およびその利用の代金を売り上げとしていることでした。この違いに驚き、当社はあらゆる産業をDX化するなら、その産業の顧客に対する効用で売り上げを上げたい。すなわち、農業分野でいうと、お米をつくるソフトウェアの会社になりたいと思いました。
また、14年に世界経済フォーラムに招かれた時に、米国最大手銀行のCEOが、自分たちは銀行業だと思っていない。自分たちを銀行免許を持っているソフトウェアの会社であると定義していると話しました。私はすごく衝撃を受け、これが第4次産業革命後のあらゆる企業の姿なのだと確信しました。
そして私の背中を押してくれたのは、オプティムの経営理念である「世界の人々に大きく良い影響を与える普遍的なテクノロジー・サービス・ビジネスモデルを創り出すことを目的として事業に取り組む」です。大それたことを掲げていますので、もしかしたら潰れてしまうかもしれません。だから「存続を目的とせず、たえず身の丈に合わない大きな志を持ち、楽しみながら挑戦する」と続くのです。
何より、AI、IoT、ロボット技術を活用したDXは、持続可能な社会を実現する上で、最も有効なテクノロジー群の一つです。渋沢栄一先生の『論語と算盤」を読んで、〝人間は「論語で人格を磨くこと」と「資本主義で利益を追求すること」の両立が大切〟と教わった私たちは、ここにこそ自分たちの培ってきた技術が世界の人々の役に立てるチャンスがあると考えて、この領域に踏み出しました。
すでに変革を起こしている技術と具体的な事例
DX、AI、IoTは、必要なときに、必要なものを必要な量だけ、必要なことをやるという持続可能な社会をも実現する技術だと思います。以前なら、どこに何があるか分からないから少し多めに用意しておこう、必要な量が分からないから多めに用意しておこうという考え方であったと思いますが、今はIoTセンサーを使って、どれぐらいの数があるのかを把握し、AIによりどれぐらいの数が必要になるのかを予測し、必要数最低限の物資を用意して使うことによって、より効率的な事業を展開できます。例えば、「農業×IT」の分野です。AI、IoT、ロボットを使って、楽しくカッコよく、稼げる農業を実現することが目標です。
当社は、世界で初めてピンポイント農薬散布テクノロジーを開発しました。農薬散布ドローンが畑の上を自動で飛んで、どこに害虫がいるのかを見つけて、ピンポイントで農薬を散布する。これによって99・9%の農薬を削減した栽培に成功しています。機材は高価ですが、当社はドローンを無料で貸し出し、その代わり生産したお米を当社が生産者価格で買い取って、ネット上で減農薬などの付加価値を付け少し高めの価格で販売する。その利益からライセンス料をいただき、余った分は還元する。多くのリスクを当社が負うこの仕組みによって通常の1・5倍の利益を上げる生産者も現れました。
次に田植えドローン。お米をつくるには育苗と田植えから始めます。苗の代金はコメの原価の約4割ですが、田植えドローンを使うと、種もみを田んぼに直接打ち込んでまけるので、そのまま育てることができ、生産者の利益が4割増えるのです。
そして今、力を入れているのが農業のサービス化です。生産者は田植え、防除、施肥、見回りを一人でしています。これは大きな負担です。そこで、それらの作業を低コストで代行するサービスに取り組んでいます。最初に「ピンポイントタイム散布サービス」をリリースしました。圃場(ほじょう)の状況をデジタル解析して、ドローンを使って適期に農薬散布を行う作業を生産者から請け負うサービスです。肥料についても同じように圃場を画像解析してAIにより必要な分だけ施肥することによって、よりおいしいお米が取れるようになります。
この取り組みはグローバルでも注目を集めています。ベトナムでは国営最大手通信グループVNPTとAIサービスおよびスマート農業分野で業務提携し、米作を中心とした農産物の一大産地に、オプティムのスマート農業サービスの導入を進めています。この取り組みは、世界の食糧事情を大きく変える可能性を秘めています。
次に「医療×IT」の分野です。川崎重工業とシスメックスが共同出資したメディカロイドという会社が、海外製の手術支援ロボット「ダヴィンチ」を上回る性能を目指す国産の手術支援ロボット「hinotori」を開発しています。「hinotori」にはシスメックス、メディカロイド、オプティムが共同開発したAI・IoTプラットフォーム「MINS」が搭載されています。
メリットの多い手術支援ロボットですが、導入コストが高い。そこで、例えば手術によって得たデータを使って、指導的立場にある医師が部下に効率的に医療の知識を教えることで、手術全体のコストを押し下げることができるし、医師の働き方改革にもつながります。
最後に「建設土木×IT」。建設土木のインフラの領域です。生産人口が減って土木測量の現場でも人が足りない、測量技師の確保に苦労するという相談を受けました。当社は、iPhoneに搭載されたLiDAR(ライダー)と呼ばれるセンサーに注目しました。多くの現場の測量には数百万円、数千万円もする3Dレーザースキャナーが使われています。このスキャナーは大規模測量現場には向いているのですが、日本の場合、大規模測量現場は少なく、約8割が小規模測量現場です。それではコストがペイできない。そこで、LiDARセンサー搭載のiPhoneとGNSSレシーバー取得の位置情報を組み合わせて使う世界初の3次元測量アプリ「OPTiM Geo ScAn」を開発しました。労働人口減少という課題と、コスト低減という課題を解決して、土木・インフラに対する保守コストを下げていこうという試みです。国土交通省からは3次元測量アプリの精度が「出来形管理要領」に準拠していることを認めていただきました。等々、ご紹介しきれませんが、このように「〇〇×IT」戦略は、さまざまな産業領域に広がりつつあります。
AI、IoT、ロボットの3段活用がDX成功の鍵
昔からプログラムや新しい物をつくることが大好きだった私からすると、現代はDXを基軸としてあらゆる産業が生まれ変わるおもちゃ箱をひっくり返したような時代に思えます。そして、DXはあらゆる領域の経営にとって最重要課題であると同時に、成長と持続可能な社会の実現に大きな機会を提供してくれます。
最後に社内で使っているAI、IoT、ロボットの「3段活用」を農業生産者の例で紹介します。最初はドローン(IoT)で畑の様子を見る「見える化」から始まります。見える化が実現すると、やがて、どこに害虫がいるのかを自動的に探す方法はないかと聞かれるようになる。そこでAIが害虫の存在を探す。それを「分かる化」と呼んでいます。どこに害虫がいるのかが分かったのなら、ドローンで農薬を散布してほしいとなります。これが「できる(自動)化」です。3段活用により、生産者は畑に出ずに農作業を終えることができます。
どの事業領域においても3段活用が成り立つのではないでしょうか。今こそ渋沢栄一先生の教えである「論語と算盤DX」を実現するべく、日本の経済成長、そして地球環境の未来のために、日本商工会議所会員の皆さまと一緒にDXに取り組ませていただければ幸いです。
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