水産業にIt、Iotを導入し、漁場や漁獲高のデータ化を進め生産の現場と流通の一体化を図る「スマート水産業」への取り組みが各地で進んでいる。生産者と加工・流通が連携し、マーケットと直結することで、生産現場と消費者、さらに地域全体への経済的な波及効果が大きく見込めると語る「スマート水産業」の提唱者・和田雅昭さんと、スマート化に取り組む各地の事例を紹介する。
和田 雅昭(わだ・まさあき)
公立はこだて未来大学教授。同大学マリンIT・ラボ所長。博士(水産科学)。
[総論] 漁業と流通のスマート化で持続可能な水産業を実現
スマート水産業は効率よく魚を取り、消費者に適価で届けるための仕組みだ。日本の漁業の衰退に歯止めをかける役割も担う。スマート水産業に詳しい公立はこだて未来大学教授の和田雅昭さんに現状と課題、将来の姿を聞いた。
スマート水産業の機運を高めた東日本大震災
日本の水産業は縮小の一途をたどっている。2021年度「水産白書」(水産庁)によると、20年の日本の漁業・養殖業の生産量は、前年から4万t増加して423万tとなったものの過去55年間の生産量の推移をたどると、図1にあるように、海洋環境の変動などの影響から資源が減少し、1984年の1282万tをピークに下降傾向が続いている。水産業が抱える課題として、①経費の増大による漁業の収益性向上、②漁業就業者の減少や高齢化による漁村地域の活力低下への歯止め、③国内外での多様な販路確保や安全安心な水産物といったさまざまなニーズに対応できる供給体制づくり、④水産資源の減少と環境変化への対応などが挙げられる。
これらの課題を解決する方法の一つが、「スマート水産業」の推進だ。水産庁は、スマート水産業を「ICTを活用して、データに基づく効率的・先進的な水産業」と説明している。スマート水産業を推進することで、漁業活動や漁場環境の情報収集が進み、適切な資源評価・管理ができるようになり、操業の省力化や効率化が図られ、漁獲物の高付加価値化により生産性と収益性の向上が期待される。
水産庁のスマート水産業の取り組みに参加している公立はこだて未来大学教授の和田雅昭さんは、「スマート水産業の見方は人によってさまざまなのですが」と前置きした上で、スマート水産業の歩みをこう振り返る。和田さんは、スマート水産業という言葉が生まれる以前の2004年からホタテの養殖などの分野で漁業のスマート化に取り組んできたのだが、「当時は行政に説明に行っても理解してもらえなかった」と言う。
スマート化の機運が高まったのは東日本大震災がきっかけだった。仙台出身の和田さんは震災後の三つの出来事に注目した。一つ目は企業の復興支援が活発化したこと。一つの例を挙げると、16年にNTTドコモは、宮城県のカキ養殖場などに通信機能や水温センサーを搭載したブイを設置して、生産者がスマートフォンの専用アプリで、海水温度といった養殖に必要な情報を取得・管理する実証実験に乗り出した。
二つ目は、そうした養殖場に東京などの都市部から漁業後継者が戻ってきたことだ。
「震災直後の再建に向き合う親の姿を見て戻ってきたのです。そのため、パソコンやスマホを操作することに全くアレルギーのない世代が一気に増えました」
三つ目は地震による海底の形状の変化や気候変動の影響が漁業に深刻な打撃を与え始めたこと。漁業の経験則が通用しなくなり、ベテランの漁師ですら魚が取れる漁場が見つけられなくなった。
「昔は海の中を直接見ることができなかったので、陸上の景色を見て取れる魚を判断していました。桜の季節だからサクラマスというように関連性があったのですが、その関連性が全く崩れてしまった。そこで常時、海中の環境を知りたいというニーズが高まり、ICT(情報通信技術)を活用したスマート水産業が注目されるようになったのです」
スマート水産業の課題は「生産」と「流通」の連携
現在では、漁船に装備されている魚群探知機やGPS装置など計器が高性能化した結果、水揚げ量にとどまらず、漁船が移動した航跡、操業した漁船の隻数、漁獲位置のような空間的なデータがほぼリアルタイムで取れるようになり、さまざまなデータを漁に活用するスマート化が進んだ。和田さんも漁船の動きと漁獲量をプロットするiPadアプリ「marinePLOTTER」を開発し、ベテラン漁師の経験値をデータ化して後継者の育成に役立てる試みを行っている。
一方、養殖場のスマート化は、カキやノリのような餌を与えずに収穫する無給餌養殖から始まり、やがて魚の給餌養殖に広がっていった。養殖は生産者がコントロールできる範囲が広くスマート化の成果が分かりやすいこともあり、生産者は受け入れやすいようだ。ただし、誰が費用を負担するのかという課題は残る。
和田さんは22年3月、編著『スマート水産業入門』(緑書房)を出版した。それには「赤潮監視システム」から始まる100のトピックが載っているが、「フィンランドの事例が興味深い」と話す。「Kasvuluotainフィンランドの養殖管理システム」の項には、水産飼料事業者が養殖業者の支援に取り組んでいる例が取り上げられている。水産飼料事業者はロジスティクスを最適化するために、「需要の複雑な予測モデルを構築するよりも養殖業者を支援することで飼料の利用状況を把握することが正確な予測への近道になる」(同書から引用)と考えたのである。この仕組みは、水産飼料事業者が自らのために行っているので、養殖業者の費用負担がない。誰が費用を負担するのかという課題は、フィンランドの事例が参考になりそうだ。
もう一つ、同書から読み取れることは、「トピックのほとんどが生産支援の取り組みだということです。つまり、効率よく育てる、効率よく取ることはできているのですが、産業ですから、お金に変える部分の効率化も必要です。でもスマート水産業は、その部分がまだ弱い」と和田さんは指摘する。水産業を生産と流通に分けると、生産部分が進み、流通の部分が遅れているというわけだ。
水産庁が目指すスマート水産業の姿
その点を水産庁はどう捉えているのか。一言でまとめれば、データを活用して旬の魚を効率よく取り、鮮度を保ったまま流通網に乗せるモデルの構築だ。水産庁は27年におけるスマート水産業の姿(図2)を示し、それには①水産資源の持続的な利用と②水産業の成長産業化の両立が必要だとしている。
先の和田さんの指摘は図2の右上「加工流通」の部分だ。
そこには、生産と加工・流通が連携し、ICT技術などの活用により水産バリューチェーン全体の生産性向上に取り組むモデルを構築することが書かれている。いわば流通構造の改革だ。
消費者ニーズに合った魚を必要量だけ取る
流通構造の改革について、和田さんは次のような提案をする。
「仮に漁獲量は変わらなくても、付加価値を上げることはできます。それには製品の鮮度を上げることと、出荷のタイミングが鍵になります」
今は漁獲後市場に出荷する段階と、市場で魚を買って流通させる段階が分かれていて、情報が共有されていない。そこで、情報を共有し、誰がどの魚をどれくらい欲しがっているかという情報が分かれば、そのニーズに合った魚を取りに行くことができて生産性が上がるし、消費者ニーズが低い魚を取る無駄がなくなる。消費者は新鮮でおいしい旬の魚を適価で食べることができる。
もちろん今でもある程度の消費者ニーズは漁業者に届いているが、その消費者のニーズには、大手流通業者の意向が働いている面もある。その魚の旬ではないのに、チラシや店頭で大きく宣伝しているから買ったという経験は誰でもあるだろう。
しかし、いずれは消費者の環境意識や食に対する意識の変化などにより、消費者の本当のニーズが表面化して消費行動が変わる可能性がある。そうなるとデータを活用して旬の魚を効率よく取り、鮮度を保ったまま流通網に乗せるというスマート水産業の役割が一層重要になる。もっと言えば、資源の無駄遣いを抑える「受注生産」も可能なのではないか。和田さんは「受注生産は養殖ではやりやすいのですが、天然の漁は難しい」と話しつつ、水産庁が進めるスマート水産業の実証事例の一環として行った石垣島におけるスマート水産業の例を挙げた。
石垣島のマグロはえ縄漁は、ほかの海域に比べて漁場が近く、産地市場から空港へのアクセスに恵まれていることから、品質の高いマグロを消費地市場に届けることができるという利点がある。だが、「従来は漁船が入港するまで位置情報も漁獲情報も得られないことから、複数の漁船が同時に入港し、水揚げが重なることで 魚価の下落や品質の低下を招いていた」と言う。
そこで和田さんは、生産を担当する6隻のマグロはえ縄漁船と流通を担当する1人のマネジャーによる船団を構成し、衛星通信を用いて6隻の位置情報と漁獲情報をマネジャーがリアルタイムで把握し、同時に東京の豊洲市場のような消費地市場の動向を把握して漁に生かす仕組みをつくった。
「A船は十分な漁獲があるので帰港する。B船には市場で需要があるキハダマグロを取ってほしいというような指示を出して効率よく魚が取れるようになりました」
需要と供給が合致しているから無駄を抑えられるし、魚の値段も適価になる。このような実証事例から得た知見を全国の生産者と流通業者に広めていけば、冒頭で触れた「水産業が抱える課題」の多くが解消されるだろう。
生産と流通。水産業者がスマート化することで、より効率的に両者が結びつく。
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