琵琶湖から能登半島へ
石川県の能登半島の先端に位置する珠洲(すず)市。そのさらに先端の海辺に、ランプの宿はある。創業は戦国時代の天正7(1579)年とされているが、実際にはもっと古い歴史があると、十四代目当主の刀祢(とね)秀一さんは言う。
「刀祢家はかつて、滋賀県の琵琶湖で水利権を持つ小さい水軍でした。今から840年ほど前、壇ノ浦の戦い(1185年)で源氏に敗れて流罪となった平時忠(平清盛の義弟)と一緒に能登に来たのです。それから明治の初めまで、北前船で廻船業をしながら宿屋もやっていました。ただ、残っている一番古い史料が天正7年の御朱印船の許可書なので、その年を宿屋の創業年にしています。私は宿屋の当主としては十四代目ですが、能登に来てから数えると二十二代目になります」
刀祢家は代々、廻船業で大きな利益を上げていたが、明治に入って鉄道網が発達すると、廻船業が廃れていった。そのため困窮し、宿屋に専念することになった。
「かなり大変な状況だったようですが、江戸時代に十村(とむら)役という地域のまとめ役をしていて、数百年にわたり農民たちに、年貢は自分たちが食べて余った分を持ってくればいいとしていたので、今度は逆にその農民たちが刀祢家に食べ物を与えてくれたのです。それで、食べるのだけは不自由しなかったようです」
幸い、土地から出る温泉は体にいいとされ、湯治場という形で宿を続けていくことができた。当時は、能登半島周辺から年間1万人ほどの湯治客が泊まりに来ていた。
海外の面白いものを日本に
ところが昭和に入ると、日本各地に総合病院ができ、それまで病気やケガの治療代わりに利用されてきた湯治場が、地域の人々に必要とされなくなってきた。
「昭和40年ごろ、うちに湯治に来るのは年間数百人、観光客は10数人まで落ち込みました。もう生計が立てられない状況でしたが、農家の方々から引き続き食べ物をいただけたおかげで、なんとか生活できていました」と、刀祢さんは苦しかった当時を振り返る。
それから数年がたち、刀祢さんが20歳になって宿で働き始めたころ、別の客が宿に来るようになった。大きな黄色いリュックサックを背負って全国を旅する「カニ族」と呼ばれる若者たちだった。
「ただ、もっと多くの人に来てもらうにも、全国に宣伝する資金も能力もない。そこで、まずはお越しいただいた方々に喜んでもらうために、心を込めて接客するなど、いろいろなことをやっていきました。すると、口コミで評判が広がり、徐々にお客さまの数が増えていきました」
宿泊客が増えるにつれ、古かった宿の建物を改修し、部屋数も増やしていった。さらに刀祢さんは、父親の勧めで80年代後半から海外に出掛けるようになった。海外の面白いものを日本に持ってきて、それを日本的に表現すれば、ほかにはないものを提供できるという発想からだった。
宿だけでない魅力をつくる
「1990年代前半にはプールや露天風呂付きの離れをつくりました。プールは海と一体化して見えるようになっていて、当時は世界的にも珍しいつくりでした。また、離れはタヒチの水上コテージと京都の伊根町にある舟屋を組み合わせたつくりにしています」
新しい取り組みはメディアに取り上げられて宿泊客は増え、宿に付加価値が付いたことで宿泊料金を上げることが可能になった。
「宿が満室になってくると、宿だけでは部屋に泊められる人数が限られていてもったいない。そこで、宿に泊まらない人もここに立ち寄ってくれるような施設をつくりました」
そうして2009年にできたのが、宿に隣接した「自然環境保護センター」で、軽食コーナーや土産物店を置いたほか、すぐ脇には海抜30m、長さ9・5mの空中展望台「スカイバード」を設置した。14年には、崖下にある青く輝く洞窟へトンネルを通っていけるようにし、「青の洞窟」と名付けた。展望台と洞窟の入場は有料だが、ここに年間20万人の観光客が訪れるようになった。
「来年はアートミュージアム、再来年には舟屋ミュージアムをつくり、能登半島最大のテーマパークにする計画を進行中です。自分たちが所有する土地は国の財産でもあるので、ここの持てる力を最大限に発揮して、地域経済に貢献していきたいと思っています。また、私が好きなことをしているので、スタッフにも自分が好きなことをしてもらいたい。得意な分野があったら、それを会社の業務に生かせるよう支援しています」
ランプの宿は440年以上の歴史や伝統に頼らず、先祖が代々営んできた廻船業のように、常に先を見て前に進み続けている。
プロフィール
社名 : ランプの宿株式会社(らんぷのやど)
所在地 : 石川県珠洲市三崎町寺家10-11
電話 : 0768-86-8000
HP : https://www.lampnoyado.co.jp/
代表者 : 刀祢秀一 代表取締役社長
創業 : 天正7(1579)年
従業員 : 67人
【珠洲商工会議所】
※月刊石垣2022年12月号に掲載された記事です。
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