かつて〝東の横綱〟と称された酒蔵が愛知県半田市にあった。1788年創業の伊東合資会社だ。だが、2000年にやむなく廃業。酒類製造免許を返納すると再取得が原則不可能になるが、21年に奇跡的に復興を果たす。この偉業を達成したのが九代目の伊東優さんで、酒づくり未経験からの再建だった。
一度は完全に終わった200年以上の酒蔵の歴史
愛知県半田市は知多半島の東側に位置し、江戸時代中期より醸造業の中心地として栄えてきた。中でも日本酒製造業で頭角を現したのは、代表銘柄が「敷嶋」の伊東だ。1923年の名古屋税務局監督局管内(東海4県と長野県、新潟県)の番付表では、唯一の「横綱」に位置づけられる生産量を誇り、灘(兵庫県)、伏見(京都)に次ぐ一大ブランドとして地元・亀崎の名を全国に広めた。海外の博覧会にも積極的に出展し、1915年のサンフランシスコ万国博覧会の酒部門では、名誉勲章を受章するなど高い評価を得た歴史がある。 「地元の神社仏閣への寄付や幼稚園設立の支援、地域貢献として銀行業もやっていたようです」
そう語るのは伊東家九代目の代表取締役社長、伊東優さんだ。だが、伊東さん自身は家業の栄華を実感したことはないという。73年にピークだった日本酒消費量の減少が原因で、創業時には亀崎だけでも30〜40軒あったという酒蔵は激減。伊東も生産量が多いだけに、痛手は大きかった。 「名古屋市で生まれ育ち、酒蔵のある祖父母の家に遊びに行くのは、夏休みや正月程度。清酒の製造免許を返納したときは、まだ中学3年生でした」
2000年に廃業して、蔵や土地の半分以上を売却し、伊東さんも東京の大学に進学してNTTドコモに就職。200年余りの酒蔵の歴史は、完全に幕を閉じた。
酒づくり経験ゼロから再興へかじを切る
14年、七代目の祖父が他界すると、歴史が再び動き出す。お通夜前夜、ろうそくが消えないように祖父の横で寝ずの番をしていた伊東さんは、14年以上前の『敷嶋』を口にした。 「大げさな表現かもしれませんが、五臓六腑(ろっぷ)に染み渡るおいしさでした。古酒とは思えない骨格がしっかりした味わいで、酒も酒蔵もこのまま終わらせちゃいけない。そう強く思いました」
伊東さんは、それまでも敷嶋を飲んだことはある。だが、初めて迎えた身内の死という状況下で、「生きるとは何か」と自問自答しつつ、口にした敷嶋の味は別格だった。伊東さんは、会社に在籍しながらも水面下で酒蔵再建を模索するが、酒づくりの知識も経験もない。手探り状態で16年から正月休みや有給休暇を利用して、先代から縁のある山形県の鯉川酒造で約1週間単位での酒づくり体験を始めた。酒販店や酒蔵関係者が集まる日本酒関連イベントにも積極的に足を運び、少しずつ日本酒業界の人脈を広げる。そして、知らされたのが清酒の製造免許の再取得は、ほぼ不可能という衝撃の事実だった。 「残された道はM&Aですが、希望する酒蔵はほとんどなく、どの酒蔵も同じ場所で銘柄と歴史を受け継ぐことが条件で、敷嶋がつくれません」
それでも伊東さんは諦めなかった。18年6月、会社を退職し、愛知県の長珍酒造の蔵人として本格的に酒づくりに打ち込む。そして、その間に聞きつけたのが「委託醸造」という仕組みだ。
念願の敷嶋一歩目へ〝縁〟をつないで復興
委託醸造とは、日本酒づくりを別の酒蔵に委託すること。その仕組みを学んだ伊東さんは、委託先として三重県の福持酒造場の羽根清治郎さんに白羽の矢を立てた。「羽根さんは異業種からの転職で、ゼロスタートで酒づくりをしている人。経営者として学ぶことが多く、僕自身も蔵人で福持酒造場に入り、その中の1本に『敷嶋0歩目』をつくらせてもらいました」。0歩目とは、地元亀崎での酒づくりを1歩目とする決意を込めたものだ。
20年、ついに「敷嶋0歩目」が完成。酒類販売業免許を取得して酒販店に卸すと、SNSで話題になり即完売。さらにSNSから縁が広がり、同年9月に、酒販店を開業計画中で、敷嶋0歩目を取り扱いたいという男性が訪ねて来る。製造免許取得に難航している話をすると、なんと、免許の譲渡を検討している酒蔵が関東にあるというのだ。21年、この酒蔵の株式を取得する形で製造免許移転のめどが立つと、展開はさらに加速する。「敷嶋半歩目」を製造しつつ、売却した蔵のいくつかを買い戻し、改修工事や醸造設備の導入に着手。伊東合資会社改め伊東株式会社として亀崎で酒づくりを再開した。「敷嶋」は初年度130石、翌年は270石と倍以上に生産量を増やし、24年には320石を目指す。 「損益分岐点は500石。地域に根差した営み・文化としての酒づくりは始まったばかり」と伊東さん。「200年後も敷嶋を定番の酒に」とビジョンを掲げ、高級酒ではなく日常酒、海外よりも地元に軸足を置く。その活路として、先祖代々注力してきた地域貢献の精神があるという。 「酒蔵を利活用したカフェバーやレストラン、物販店などを年内中に少しずつオープンしていく予定です。醸造のまちの営みを体験できる、新形態のツーリズム。その一役を酒蔵が担い、地域とともに100年、200年と繁栄する足掛かりになればと思います」
さまざまな縁をたぐり寄せて動き出した歴史は、まさに急展開中だ。
会社データ
社 名 : 伊東株式会社
所在地 : 愛知県半田市亀崎町9-108-1
電 話 : 0569-29-1125
HP : https://shikishima-ito.com
代表者 : 伊東優 代表取締役社長
従業員 : 4人
【半田商工会議所】
※月刊石垣2023年10月号に掲載された記事です。
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