囲碁界が熱い。特に女流棋士たちの活躍が目覚ましく、上野愛咲美さんも注目株の一人だ。2021年より2年連続で全棋士中最多対局数と最多勝で勝ち星ランキング1位に輝き、22年4月には日本勢初の囲碁女性世界一の座についた。超攻撃的な棋風から「ハンマー」の異名を持つ上野さんに、囲碁の魅力、向き合い方を聞いた。
囲碁好きな祖父に助言され真っすぐ進んだ囲碁への道
「ハンマー」「囲碁女性世界一」、そして「グランドスラム達成」(女流本因坊、女流名人、女流立葵杯、女流棋聖、扇興杯)と、パワーワードをいくつも持つ上野愛咲美さん。わずか22歳の棋歴とは思えないほど華々しい。〝猛攻〟ですらあるが、対局外の印象はまた違う。屈託のない笑顔と飾らない言動で周囲を和ませる〝癒やし〟タイプに一変する。優しい空気感と強気の棋風。このギャップがまた上野さんの魅力である。
そもそも上野さんが囲碁を始めたのは4歳と早い。きっかけを与えたのが囲碁アマチュア六段の祖父で、「頭が良くなる」「集中力が上がる」と〝助言〟され、遊びの延長で打ち始めた。だが、祖父は宮崎県在住で、普段から気軽に囲碁の相手をしてもらえたわけではない。そこで5歳頃より通い始めたのが、都内にある「新宿こども囲碁教室」だった。 「いつもではありませんが、勝つと両親からポップコーンやおもちゃを買ってもらえて、ご褒美目当てに行っていたような気がします。教室でもクラスが上がるとシールがもらえたのがうれしかったですね。教えてくれる方が大学生ぐらいのお姉さんばかりで、優しく教えてくれたり、わざと負けてくれたりしたのも、囲碁を続けられた理由として大きいです」と振り返る。
才能はみるみる開花し、6歳の時には同教室の英才グループに選抜され、小学2年生で日本棋院の「院生」になった。 「プロを目指したわけではなく、ライバルたちに負けたくない。その思いが強かったです。勝つための努力ではないですが、集中力を維持するために、小3の時にやっていたのがフラフープと縄跳びです」
縄跳びといえば、対局当日の朝、験担ぎに777回飛ぶことで知られる上野さん。この頃からすでに実践していたとは驚きだ。 「さすがに当時は777回は跳んでないですけどね。ただ体を動かした方が勝つ確率が上がるので、何をどれだけやったらいいか分析した結果、今では縄跳びを777回しています。500回だと物足りなくて、1000回飛ぶと疲れちゃって効果が出ないんです」と笑う。
「最年少」や「史上初」など22歳で華やぐ経歴
院生になったとはいえ、上野さんはとんとん拍子でプロになれたわけではない。小学5年生で挑戦したプロ試験は不合格。それが6回も続いた。 「つらい状況でしたが、囲碁から気持ちは離れませんでした。囲碁以外に好きなこと、得意なことがなくて、学校の勉強も苦手です。でも、囲碁の勉強、研究は楽しくて、やればやるほど夢中になれる。今もその思いは更新し続けています」
そして16年、14歳で入段し、18年には16歳3カ月で初タイトルとなる女流棋聖位を当時最年少記録で獲得する。ここから上野さんの快進撃が始まった。囲碁は将棋と違い、女流棋戦だけではなく全棋士と公式戦で対局できる。19年には女流棋聖を防衛、女流本因坊位を獲得するとともに、公式戦の一つである竜星戦で七大タイトル保持者を打ち負かし、決勝トーナメントに進出。女流棋士の史上最高記録となる準優勝を勝ち取る。女流棋士の年間最多勝記録トップに躍り出たのは序章に過ぎず、21、22年には女流棋士では史上初の2年連続で全棋士中最多対局、最多勝を果たし、23年には全棋士を対象とした新人王戦獲得という、女流棋士初の快挙を果たす。 「今も毎日平均8時間は囲碁をしています。努力というより楽しいから続けている感じです」と飄々(ひょうひょう)と語るが、その強さには将棋界で大活躍の藤井聡太八冠との共通点があった。AIの活用だ。 「高校生の時に囲碁AIが登場したのですが、出た当初は弱かったのに、急速に人間が勝てないレベルに進化しました。それに比例して誰でも使える囲碁AIが出てきました」
囲碁AI活用の先駆者ともいえる棋士の大橋拓文六段(当時、現七段)が開いた「AI囲碁研究会」に早くから参加。囲碁AIを使うためのAWS(アマゾン・ウェブ・サービス)の設定や操作を教わると、上野さん自らもAWSの使い方マニュアルを作成・配布するほど囲碁AIに精通していく。 「今は、若手棋士の全員と言っていいほど囲碁AIが活用されています。AIと対戦するというよりも、新しい布石を見つけた時の勝率を調べたり、いろいろな局面での次の一手の可能性について考えたり、勉強ツールとして欠かせません」 AIはライバルではなく、パートナーに近い感覚のようだ。
バスケや鬼ごっこ ライバルは敵ではなく仲間
上野さんの棋風は独創的かつ超攻撃型で、果敢に大石を取りにいく。いつしか〝ハンマー〟と呼ばれるようになるが、上野さんは「褒められているようでうれしい」と、異名を素直に受け入れている。
勝負どころで結果を出せるメンタルがあり、対局中にミスしても気持ちを持ち直すことができ、敗退してもひきずらない。だが上野さんが強くなればなるほど、対局相手の〝上野対策〟は進み、簡単には勝たせてはくれなくなる。 「対局中の勝負どころで戦いを避けられる傾向にあります。私としては、相手の性別で何か対策が変わることはなく、個々の棋譜を研究して、勝つことだけ考えて臨むまで。それに対局中は〝敵〟ですが、棋士同士はとても仲がいいんです。棋院内に昨年からバスケ部ができて、今はメンバー20人ぐらいいます。全員が集まることはありませんが、いい気分転換、運動不足解消になっています。竜星戦の時には鬼ごっこをしてプレッシャーやいらないものを払拭して対局に臨めました。日本棋院が学校のようでもあり、会社のようでもあり、コミュニティスポットとして居心地がいいです」と上野さん。
実際、史上最年少の10歳でプロ入りし、23年に韓国棋院への移籍で注目を集めた仲邑菫三段とも仲が良く、彼女を「すみれもん」の愛称で呼ぶ間柄だ。 「仲邑さんは癒やしキャラであり、刺激をくれる相手。努力家でとても尊敬しています。妹の梨紗は、タイトルこそまだですが成長してきていて、昨年2月にはアジア競技大会では藤沢里菜さん、私、そして妹が日本代表に選ばれています。囲碁は年齢・性別問わずできるのが魅力。私自身、今も新しい発見があってずっと楽しいです」
今後も全ての棋戦に全力を尽くすと意気込む上野さん。現在は、日本囲碁界の7大タイトルは男性ばかりだが、女流棋士がタイトルを取ることも夢ではないと言い切る。ほんわかした雰囲気をまといつつも、時折見せる負けん気と情熱。今後も囲碁界を震撼(しんかん)させ、ハンマーを振り続けていきそうだ。
上野 愛咲美(うえの・あさみ)
棋士
2001年東京生まれ。藤澤一就八段門下。16年入段、日本棋院東京本院所属。18年に16歳3カ月で女流棋聖位を獲得(当時最年少記録)。19年全棋士に参加資格のある竜星戦で準優勝。21、22年と若手棋士限定戦の若鯉戦を2連覇し、国際棋戦のSENKO CUPワールド碁女流最強戦では日本人女性初優勝を飾る。23年には第48期新人王戦を女性初優勝で制し、史上2人目の女流5冠のグランドスラムを達成。女流名人、五段。近著に『世界を砕くー上野愛咲美打ち碁集』(マイナビ出版)がある
写真・後藤さくら
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