人生は短い。だから無駄な時間を過ごしたくない。自分に合わない仕事と気づいたら直ちに会社を辞めよう。若者の一見合理的な思考である。たった一度の人生を大切に考える姿勢や、しっかりしたキャリア感を持つのはよい。だがコスパやタイパという、強迫観念にも似た効率優先の人生観、あるいは「自分らしさ」を追い求める果てしなき幻想の内部には、苦労という名の意味のある「無駄」が這入り込む余地はないのだろうか▼
若者の早期退職傾向は以前から指摘されてきたが、最近は社会現象のような様相を呈している。中には希望して入社が決まった会社を、初出勤したその日に退職する。しかも退職手続きは代行する会社に丸投げするという▼
確かに年功序列や終身雇用という雇用慣行はもはや過去のものになったかもしれない。産業構造の変化に伴って、成長分野の産業に人材を集めるために労働移動を円滑にする試みも定着してきた。その方が企業にとっても個人にとっても望ましく、国の経済基盤を強化することにもなる。だが若者の早期退職はそれとはカテゴリーが違う▼
人生を豊かにするのは喜怒哀楽の数々である。苦労や挫折が人生の糧であった時代が終わってしまったわけではあるまい。一般論だが、会社はいろいろな業務や職種が組み合わさって成果を上げ、成長を目指す。それを全社員が享受する。いやな仕事、合わない仕事、自分が成長できない仕事と忌避する前に、それに挑んで自分を伸ばし、さらに人間としての力量を高めることこそ、かつては重んじられた。こんなことをネットに投じれば炎上する時代でもある。時代遅れの錆びた価値観かもしれないが、日本はそういうことを大切にする国だった。
(コラムニスト・宇津井輝史)
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