1854(安政元)年11月5日、大地震が発生し、暗闇の広村(現在の和歌山県広川町)に大津波が襲いかかった。それを察知した濱口梧陵は、田の稲むらに火を放ち高台の寺社に逃げる人々の明かりとし、多くの命を救った。いわゆる「稲むらの火」として広く知られた物語である▼
梧陵はこの津波を機に私財を投じて長大な堤防を築き、作業に関わった村人には賃金を支給、産業や教育も支援してまちの復興と発展に力を入れた。この時に築いた堤防は、後に1946(昭和)年の地震では津波の流入を防ぎ、まちを守った。100年先を見据えた防災遺産と防災文化の物語は、2018年に「百世の安堵~津波と復興の遺産が生きる広川の防災遺産~」として日本遺産にも認定された。犠牲者の慰霊や防災意識の継承を目的に始まった「津波祭」は今でも地域の子どもたちを含めて脈々と継承されている▼
明治から昭和初期まで生きた物理学者・寺田寅彦の「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉にあるように、地震列島に生きる私たちはこうした教訓を常に意識した暮らしをすることが不可避である▼
モデルとなった広川町では、100年に一度の災害の教訓を日々の暮らしに生かすために地元の小学生の「国語読本」でこの物語を伝えるとともに、濱口梧陵記念館や「稲むらの火の館」「道あかり(物産・飲食施設)」などを整備して観光客を広く受け入れている。また各種研修テーマでも海外都市を含めた多くの都市との交流を深めている▼
新年早々の能登半島地震のように、100年に一度の災害はいつ起こるか分からない。だからこそ多くの人々が日々触れられる防災遺産が大変重要である
(観光未来プランナー・日本観光振興協会総合研究所顧問・丁野朗)
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