年間約165万人以上の来園者を誇る、日本屈指の藤の名所「あしかがフラワーパーク」(栃木県足利市)。同園の樹齢160年以上の大藤を移植して注目を集めた樹木医・塚本こなみさんは、同園の園長を経て現在、「はままつフラワーパーク」(静岡県浜松市)で手腕を振るう。徹底したお客さまファーストの経営手法で、フラワーパークを日本一、世界一へと押し上げる。
「この藤、動く!」と判断し前例なき大藤の移植に挑む
季語で「花」といえば桜を意味するほど、日本人は古くから桜を愛(め)でてきた。その桜がすっかり葉桜に変わる頃、藤の美しさが話題になる場所がある。栃木県の「あしかがフラワーパーク」だ。〝世界一の藤棚〟と称される600畳敷の藤棚を持つ大藤は、1996年に移植され、今も満開の花をつける。前代未聞の大移植。それを成功させたのが樹木医の塚本こなみさんだ。当時について塚本さんは語る。 「大藤の移植を頼める人をあしかがフラワーパークさんは4年も探し回って、私に電話をかけてくださいました。電話越しからも藁(わら)にもすがるお気持ちが伝わってきて、『見るだけでも』のお願いを断り切れずに伺うことになりました。当時、すでに巨木や古木の移植、樹木や緑地の育成管理の経験が10年以上あったものの、藤の育成も移植もやったことがありませんでした。でも、大藤を目にした時、内に秘めた生命力を感じて『この藤は……動く!』。そう確信するに至りました」
経験からくる直感だけではない縁を強く感じた塚本さん。だが、調べれば調べるほど、誰も引き受けなかった理由に行き着いた。藤は幹に少しでも傷がつくと腐るほど繊細で、すでに大藤は移植可能なサイズを上回っていたのだ。 「私は浜松市で造園業を営む主人の事業サポートから始まり、その後、自分で会社を立ち上げた経緯から、経営的な視点でプロジェクトの難しさを痛感しました。というのも造園業界では、樹木が枯れた際に『枯れ保証』という業者が無償で植え替える制度があるのです。樹木医としても経営者としても、相当な覚悟が問われました」
アイデアを形に変えて全国に名が轟く園に躍進
それでも受けた仕事はやり抜く。それは今も変わらない塚本さんの信条だ。藤にまつわる文献を読みあさったが、愕然(がくぜん)とし、「書かれた時と時代が違う」と独自の移植法を模索する。そして、人が骨折した際に使うギプスに着目して石こうを使い、殺菌塗布材には墨を使った独自のものを開発した。常識にとらわれない手法をいくつも打ち出し、誰もが不可能とする移植を可能にしたのだ。この一大プロジェクトに関わったスタッフは、警備員を含めて延べ2000人。それを統率した。 「私より年上の職人が多い環境です。それでも、初日に『私の指示通りにやってください。この移植がうまくいったら皆さんのおかげ、失敗したら私一人の責任です。だから、約束を守ってくれる人だけが残ってください』」と伝えました。
毅然(きぜん)とした態度で、現場の軋轢(あつれき)をなくし、士気を高めた。そして移植成功後も藤の育成・管理、園の植栽デザインの監修など運営に深く関わる。園の顧問、99年からは園長に就き、園の経営に深く関わっていく。県外からの集客を上げるべく、宣伝広告をあえて関東各地の藤の名所に集中して打ったのも有名な話だ。ふるさとの藤が一番と思う人ほど、〝日本一の藤棚〟を無視できない。その心理を突いた。
さらに開花状況や天候、園全体のコンディションなどを考慮した入園料変動制を明確にした。 「藤が満開の春先と、冬の時期が一律価格なのはお客さまに申し訳ありません。変動価格制にしたところ、入園者数もリピーター数も格段に上がりました」
塚本さんは21年間、あしかがフラワーパークの人気を支え続けた。
思いを一つにまとめ〝感動〟を更新し続ける
そして、経営再建の実績が見込まれ、新たなフラワーパークから声が掛かった。それが「はままつフラワーパーク」だ。 「年間360日働く日々でしたので、最初はお断りしました」
だが、はままつフラワーパークの実情を知って、塚本さんの心は揺れる。同園は、2004年開催の浜名湖花博の会場跡地に「浜名湖ガーデンパーク」ができてから、経営悪化に拍車が掛かっていた。この二つは車で約15分の近距離にあり、浜名湖ガーデンパークは入園料も駐車場も無料。常識的に考えれば、勝ち目はない。 「私は浜松市在住なので、ふるさとへの恩返し、人生最後の大仕事として、これまでの経験を生かせるのなら、それは幸せなことではないかと思い直しました」
13年4月、浜松市花みどり振興財団の理事長に就任し、2年半後にあしかがフラワーパーク園長を退任する。 「理事長に就任して、まず全職員を集めて、この園が自慢できることは何かを聞きました。ロウバイや桜、チューリップ、バラ、アジサイなど、いろいろな花の名が挙がりました。しかし、『いっぱいあるのは何もないのと一緒。これだけはどこにも負けない、日本一を一緒につくっていきましょう』と伝えることから始めました」
トップダウンではなくボトムアップの改革を推進すべく、目標を職員らに考えさせた。そして定まった目標が「桜とチューリップの競演」だ。オランダにあるキューケンホフ公園は、チューリップの開花期しか開園しないが、世界中から人が集まり、人気は世界トップクラス。このキューケンホフをモデルとし、さらに和洋折衷の独自の景色をつくり出す。1300本の桜と30万球のチューリップを整え、トイレなどの設備の改修や、入園料変動制を採用して入園者が少ない7〜9月を無料にした。できるところから改革を進め、就任した13年は前年比10万人増を達成。次の14年に「浜名湖花博2014」会場になると、期間中の目標20万人を大きく上回り、経営的にもV字回復を果たした。その後、エレベーター設置などのUD化、藤棚など園内植栽を拡充して園の魅力に磨きをかけ、10年を経て開催された24年の花博では目標40万人を上回って50万人に迫る成功を収めた。 「園内には浜松商工会議所の記念植樹も複数あって、今回は創立130周年記念でジューンベリーを植樹しています。花博の集客も大変ご尽力いただきましたし、行政や地域企業とともに地域活性化を担う園として成長してきました」
美しい花々の観賞だけではなく、いかに楽しく心地良い空間をお届けできるか、経営に損益分岐点があるように、人の心にある「感動分岐点」を軸に経営のかじを取る。 「フラワーパークで働く一人一人が誇りを持って働けるように努力する。それも私の務めです。ここ数年、「世界一の桜とチューリップの庭園」をベースとして、音楽やアートの発表の場、健康増進イベントなど、さまざまな形で園を活用していただくよう取り組んでいます。どんなに美しい景色でも、毎年同じでは飽きられます。イベントやコンサート、講演会など楽しい企画も展開して、お客さまに常に新鮮で最高の感動体験をお届けしたいですね」
塚本さんの情熱と揺るぎない信念が、発する言葉からあふれ出て、多くの人を引きつけてやまない。
塚本 こなみ(つかもと・こなみ)
樹木医・浜松市花みどり振興財団理事長
1949年静岡県生まれ。71年に造園業を営む塚本明氏と結婚。事業に従事しながら1級造園施工管理技士を取得。84年に樹木、緑地の育成管理会社「グリーンメンテナンス」を設立。92年に女性初の樹木医の資格を取得し、翌年、造園コンサルティング会社「環境緑化研究所」を設立。94年よりあしかがフラワーパークの大藤移植に着手し、2年後に成功。99年には同園園長に就任し、経営黒字化をけん引。2013年はままつフラワーパークを運営する公益財団法人浜松市花みどり振興財団理事長に就任
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