日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に、待ち望まれたノーベル平和賞が贈られた。目的を達成したわけではないが、核廃絶への努力が報われた。忍び寄るロシアの核使用を牽制する意図があったとされるが、いかなるタイミングにせよ、受賞を機に運動への理解が深まる▼
唯一の戦争被爆国として、核廃絶は当然の主張である。G7首脳会議の広島開催などを通じ、核の非人道性への理解も深まった。核廃絶は恒久平和への橋渡しでもある▼
だが冷戦後の世界は、力の均衡という「奇妙な平和」が崩れ、新たに世界が二極に再編される危機をはらむ。核は依然、相手の先制攻撃を抑止する手段であり続けている。だが核廃絶へ果たすべき役割と、核の傘下にあるという日本の現実は矛盾するものではない。日本にしかできぬ使命を果たさねばなるまい▼
国力は「力の体系」「価値の体系」「利益の体系」から成るとされる。力とは軍事力のみにあらず。官民挙げた外交力である。価値とは(日本がすでに世界を魅了している)文化力である。利益とは(日本に数多く潜在している)経済力である。利益を分かち合うところに戦争はない。これらが三位一体となって、各国との間で相互利益を増進することこそ、与野党を超えた政治の使命であろう▼
武装というのは不信のシンボルである。不信が人間の根源的感情であるなら、核廃絶への道はなお遠いが、日本が重武装に傾いてはなるまい。ユーラシアの大国と至近距離で向き合い、背後に大陸のない島国という地理的条件は昔もこの先もずっと変わらない。そういう国の重層的、複眼的な信頼関係(つまりは安全保障)の枠組みを根気よく築いて脅威を取り除いてゆくべきだろう。
(コラムニスト・宇津井輝史)
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