子ども時代の思い出にある学校給食。郷愁とともに記憶の片隅に刻まれる味に、全身全霊を懸けて打ち込む管理栄養士がいる。松丸奨さんが試作した揚げパンは100パターン以上、ラーメンは名店顔負けの味で児童や教師をうならせる。2013年、「全国学校給食甲子園」で男性栄養士として初優勝。〝日本一のおいしい給食〟へ情熱を注ぐ姿に、給食の概念が覆る。
栄養士の一言を機に苦手な給食を克服
給食を楽しみに通学していたという人は多いが、給食の1食当たりの材料費はおおむね300円未満。栄養成分の摂取量も文部科学省と各地方自治体によって細かく定められており、献立は「おいしい」だけを追求してつくられていない。だが、この厳しいルールをクリアし、児童にも教師にも絶賛される献立を提供し続けているのが管理栄養士の松丸奨さんだ。結果は数字にも出ている。公立学校給食の残食率は全国平均約6・9%(2015年環境省調べ)に対し、松丸さん担当の学校は約2%。全国平均の3分の1を割る。 「今は四六時中給食のことを考えています。でも、もともと好き嫌いの多い子どもで、給食が苦手でした」
当時の学校の方針は、食べ切ることが基本。掃除の時間になっても居残りをさせられた子どもの一人に、松丸さんもいた。それを変えたのが管理栄養士の一言だった。 「給食には松丸君に必要なものしか入っていないから、全部は無理でも一口だけでも食べてみて」
苦手な野菜を食べた日、できなかった逆上がりに成功した。また別の日に苦手な魚を食べると、テストで好成績が取れた。度重なる偶然が成功体験となり、松丸さんは給食好きな子に変貌した。また、高学年になっていじめに遭うと、給食室の裏手を休憩時間や昼休みのよりどころにしたという。 「給食室の記憶は抜け落ちていたのですが、たくさん取材をお受けする中で思い出しました」と苦笑する松丸さん。忘れてしまっていたとはいえ、こうした原体験が松丸さんの進路を方向づけた。
病院で経験を重ねて学校の狭き門を開ける
「高校生になって、今後の進路を考える時期に、担任の先生から『好きなことを仕事にしなさい』とアドバイスされました。17、18年間の短い人生の中で、導き出した答えが『給食』でした」
調理師ではなく栄養士。それもつくるのではなく、献立を考える管理栄養士になりたいと思索した。 「でも、ここからが苦難の連続でした」と松丸さんは振り返る。20年前は今以上に男性の栄養士は少なく、栄養士になるための大学や短大は女学校ばかり。消去法で専門学校に進むものの、50人のクラスに男子学生は6、7人で肩身が狭かったという。卒業後の進路もその構図は変わらず、男性の学校栄養士は極めて少ない。まして新卒採用は狭き門。苦渋の選択で、松丸さんは学校より採用確率の高い病院の栄養士を選んだ。 「病院の療養食は命に直結するので、給食より栄養成分の計量はシビアです。病院での一番大きな学びは、先輩から患者さんが食べる様子を見て回る大切さを教えてもらったこと。これが日課になり、患者さんが食べて元気になる姿にやりがいを感じて、このまま病院で働こうと思ったくらいでした」
だが、この日課が松丸さんの背中を押した。数年たって小児病棟を担当した際、入院中の子どもがおいしそうに食べる姿を目にし、学校給食への思いが再燃する。そして松丸さんは猛勉強の末、見事、国家資格である管理栄養士を取得し、学校栄養士の採用試験に臨んだ。一次試験を通過し、二次の面接試験では病院での実績と学校給食への思いを熱く語り、ついに狭き門を突破する。
全国大会優勝を機に校外活動も拡大中
だが、苦難は終わらない。男性栄養士が珍しいばかりに、子どもたちからは警戒され、ミスをすればほかの栄養士たちからは「やっぱり……」と落胆された。この状況を変えるには行動で示すしかないと、松丸さんは給食の時間に足しげく教室を回り児童の様子を確認したり、自宅で給食を試作しては調理員たちに食べ比べてもらったりした。八百屋が学校に野菜を搬入する時間に合わせ、毎朝3時半に起きて学校に向かい、野菜の値動きを聞いては給食のコストをやりくりした。揚げパンで「胃がもたれる」とボヤく小学2年の男の子に会うと、頑張って食べようと諭すのではなく、自宅で油の揚げる温度を5度刻み、時間を10秒刻みで100パターンを試作した。200度で揚げ時間1分という最適解を導き、油の切り方にも工夫を凝らした。すると「同じレシピとは思えない」と調理員や栄養士たちが驚愕(きょうがく)し、例の男の子からも「おいしかった」と笑顔で言われた。
松丸さんは学区域がラーメン激戦区だと分かると、休日返上で名店全店を巡った。材料の仕入れやコスト、栄養価を試行錯誤し、ついに先生たちも「こんなにおいしいラーメンが給食で?」と舌を巻く献立を完成させる。さらに、年1回開催される全国学校給食甲子園にも挑む。13年、3度目の挑戦でついに応募総数2266校の頂点に立った。男性初の優勝に大会は沸き、翌年も準優勝を飾った。 「大会は、普段の給食調理と違って2人体制で制限時間は1時間。地場産を生かした献立という東京にはかなり不利な条件です。でも、江戸東京野菜を栽培する農家さんを探して、週末は畑仕事を手伝うことから関係性を築きました。調理も部活さながらに練習を重ね、家でも深夜まで自主練をしました」
この優勝を機にメディア出演も増え、ドラマの監修・調理指導、本の出版など活動の幅が一気に広がる。講演会では培った知見やスキルを惜しみなく披露し、熱量と内容の濃さで全国からオファーが届く。24年にはNHKの連続テレビ小説『おむすび』の撮影協力をしたことで話題となる。同年春から栄養学を学ぶべく、大学院にも通っているというから驚く。 「平日の夜や週末を利用して単位取得と研究論文を進めています。論文は、子どもの好き嫌いの改善策がテーマです。それとは別にNPO法人からのお誘いで、世界の貧困地域で食育の授業をしたことがあるのですが、今後はよりそうした子どもたちに食の大切さを発信できたらと考えています。僕がそうだったように、食べ物で人生は変わることを伝えたいし、給食で一人でも多くの子を笑顔にして、人生を支えていきたいです」
担当校から日本全国、そして世界へ、給食の可能性を広げつつ子どもたちの心身に寄り添う。 「明日の献立の黒胡麻栗あんぱんは、具が栗以外手づくり。パンもスチームにかけるひと手間で、ふっくらと仕上げます。人気のパン屋さんに引けを取らない自信作です」 学校外の活動も目まぐるしいが、給食への情熱は変わらない。
松丸 奨(まつまる・すすむ)
管理栄養士/栄養教諭
1983年千葉県生まれ。管理栄養士、栄養教諭。2003年華学園栄養専門学校栄養士科卒業後、千葉県内の市立病院に栄養士として勤務。管理栄養士資格を取得後、08年より都内の公立小学校に勤務。13年第8回全国学校給食甲子園で優勝。フジテレビ系ドラマ『Chef〜三ツ星の給食〜』の給食監修・調理指導を担当。メディア出演や講演会、ブログ配信など業務時間外活動も活発。著書多数で近著に『給食の謎』(幻冬舎新書)がある。24年NHKの連続テレビ小説『おむすび』に撮影協力する