多くの中小企業にとって大きな悩みのタネとなっている人手不足。その一方で、こうした状況に手をこまねいているのではなく、DXや多様な人材活躍、選択と集中の徹底など独自の戦略を打ち出し、「少人数」を「強み」に変えている企業がある。成長を続ける企業の経営者たちの取り組みとその考え方に迫った。
運河のまちから地域の魅力を発信 少人数女性チームが“せけんをデザイン”
富山県の中央部にある射水市新湊地区に拠点を構える「ワールドリー・デザイン」は、地域づくりのプランニングとグラフィックデザインを中心に事業を展開している。スタッフ17人全員が女性というユニークな会社で、「せけん、デザインします。」をコンセプトに、地元に根付き、企画からデザインまで一貫して行っている。歴史あるまち並みの一軒家をオフィスにした小さな会社が、今そこでどのような挑戦を続けているのか。
一つの場所に拠点を置き そのまちを磨き上げていく
ワールドリー・デザインのある射水市新湊地区は富山湾に面し、そこを流れる内川は海から海へと流れる珍しい運河で、水辺の風景とレトロなまち並みが美しく、富山湾の向こうには立山連峰がそびえ立つ。同社がここに移転してきたのは2016年。それ以前は、富山市にオフィスを構えていた。創業者の明石あおいさんは京都市生まれ、富山市育ちだが、東京に出たい一心で都内の大学に進学した。 「大学では文学部に入りましたが、本当は写真やデザインに興味があり、その方面の活動ばかりしていました。就職活動をしなかったため、大学を卒業しても職がなく、縁故採用で地域づくりや地域活性化を行う会社に就職しました。せっかく都会に憧れて上京したはずだったのに、就職したら田舎の地域にばかり行く生活になりました」と明石さんは笑う。
一週間の半分は地域に行く仕事を続けていく中、そういった地元にある中小企業の人たちのビジネスや活動こそが、地域の活性化につながっていることに明石さんは気付いた。それを自分が得意なデザインを通してサポートできないか、地域活性化コンサルタントのように各地を飛び回るのではなく、一つの場所に拠点を置き、そこに特化してまちを磨き上げたいと考えるようになった。 「それから移住先を探し始め、富山市は実家があって便利なので、夫とともに移住しました。そこで11年にまちづくりとデザインの会社『ワールドリー・デザイン『を立ち上げ、『せけん、デザインします。』というコンセプトで活動を始めました。前職の地域づくりでは『Think Global,Act Local』と言われていましたが、グローバルには均質化というニュアンスもあり、私は抵抗感がありました。そんな中出会ったのが『ワールドリー』という言葉。これには“世間”という意味もあり、自分が生きている世界とつながっていることを表している。これだ!と思い、会社名にしました」
個人事業ではなく会社組織にしたのは、活動を広げて人材を育成していきたい、という思いがあったからだ。
魅了された地域に移住して そこを拠点に事業を進める
富山市でワールドリー・デザインを創業した明石さんは、広告などのデザインや地域ガイドブックといった出版物の取材、編集の仕事をこなし、スタッフを徐々に増やしていった。また、移住1年目には富山県の定住コンシェルジュ(県外からの移住・定住を希望する人を支援する)としても活動。移住先候補を案内している際に出会ったのが、富山市の西隣にある射水市新湊地区の内川だった。
緩やかに蛇行する内川の岸辺には小さな漁船が係留され、その両脇には木造家屋が並ぶ。そして、所々に個性ある橋が架かり、風光明媚(めいび)でありながら、まちの歴史や人々の暮らしも感じられる場所だった。 「初めてここに来たとき、すごく衝撃を受けたんです。私が育った場所のすぐ近くに、こんなすてきな所があったんだと。前職で全国各地に行きましたが、これほど心を引かれた場所はありませんでした。それからは何度も通ってまち歩きをするようになり、そのうちに夫がここでカフェをやると言い出し、畳屋さんだった古民家を改修して13年にカフェ『cafe uchikawa六角堂』をオープンしました」
建物が特徴的なカフェは話題のスポットに。明石さんは、その流れでほかの人も古民家をリノベーションして店を開き、まちが活性化することを期待したが、そういった動きは起こらなかった。逆に空き家や空き地が増え、昔ながらの風景は徐々に失われていった。 「たまに外から通ってきているだけでは何も変えられない。それなら自分もここに住み、内側から活動していこうと考えました。地域活性化のコンサルティングで、“まちの力”は現地の中小・小規模事業者の日々の活動によるところが大きいことに気付いたので、それを具現化できたらと。内川はこんなにすてきな場所なのだから、ここにできるだけ長く住んで、内川を磨き上げていきたい。それが自分の事業とうまく相乗効果を生んで、さらにすてきになっていったら、と思いながら、16年に会社ごと移住してきました」