昨今の先の読みづらい経済環境の中では、過去の実績や常識に頼って乗り切ろうと考える経営者もいるだろう。一方で、「企業が売りたいモノ」より「消費者が欲しいモノ」を、と視点を変えて新たな一歩を踏み出す女性経営者がいる。モノが売れない時代だが、女性経営者は、いかにして壁を越えることができたのか。
日本の気候に合う布製抱っこひも 自らの育児経験を基に開発と啓発
静岡市にある北極しろくま堂は、オリジナルブランドの布製抱っこひもなど育児用品を企画・製造・販売している。創業以来、取締役の園田正世さんは、自らの育児経験に基づき、日本の赤ちゃんと母親に最適な抱っこひもなどを追求し続けている。その功績は、全国商工会議所女性会連合会の第4回女性起業家大賞最優秀賞という形で高く評価され、さらに2024年には受賞後の事業継続20年をたたえるエクセレント賞を受賞した。
自らの育児経験から生まれたオリジナル製品を開発・販売
北極しろくま堂は、2000年に創設された。起業前は専業主婦だった同社取締役の園田正世さんは、市販の抱っこひもを使用して子育てをしていたが、気分が悪くなるほど肩や首に大きな負担がかかっていたという。ある日、海外製の「スリング」と呼ばれる布製抱っこひもに出合って試したところ、子どもの体重が驚くほど軽く感じられ、自分の体が格段に楽になった。また、子どもはスリングの中でホッと安らいで眠っていた。 「スリングや日本の昔ながらのおんぶひもを使って、赤ちゃんと密着し、親子が一体となって身体感覚を育む状態や考え方のことをBaby Wearing(ベビーウェアリング)と言います。一方で、リュック式の抱っこひもやベビーカーなどはBaby Carrier(ベビーキャリア)といって、赤ちゃんを運ぶ、運搬するものです。私は、ベビーウェアリングの素晴らしさを実感しました」と振り返る園田さん。「スリングはとても良いものだから、日本のママたちに伝えたい」という純粋な思いで起業した。
当初はスリングを輸入販売しており、起業翌年の01年にはネット販売を開始した。当時のインターネット環境は今ほど整っていなかったものの、顧客からのフィードバックを積極的に取り入れ、日本人が心地よく使えるように、製品の改良に着手していった。そして05年頃、オリジナル製品の開発・製造・販売へと移行した。
特にこだわったのは、日本の気候風土や日本人の体型に合う素材と形状である。強度と軽さを兼ね備えたしじら織りや、ファッション性と機能性を持つジャカード織りなど、織物の職人と何時間も話し合い、湿気の多い日本でも快適に過ごせるよう、糸の精練から染色、製織(せいしょく)までこだわり抜いた布を開発。スリングに使用するリングには、安全性と力学的な検討を重ねた。デザインや製法にさまざまな工夫を施したこだわりは、特許取得にもつながった。
「ベビーウェアリング」の考え方を伝え続ける
同社のスリング販売を知った人から「布製のおんぶひもが欲しい」との連絡を受けて、園田さんはメーカーを探したが、すでに廃業寸前のメーカーもあった。新たなおんぶひもという製品開発を渋る業者に頼み込み、昭和30年代の型紙を基に、布の色柄を現代風にしたおんぶひもを製造した。さらに、昭和初期まで抱っこにもおんぶにも使われていた「へこおび」も復活させた。いずれも、熟練した職人による丁寧な縫製と厳格な検品体制で、高品質を追求し続けている。
同社は、日本の抱っこひも市場に「スリング」というカテゴリーを確立するとともに、製品を通して「ベビーウェアリング」の考え方を広めてきた。大手百貨店や生活雑貨ブランドなどから引き合いがあり、規模を大きくするチャンスはあったが、園田さんは「それは自分がやりたいことではない」と感じていた。
10年に園田さんは、ベビーウェアリングの大切さをさらに社会に広めるため、NPO法人「だっことおんぶの研究所」を設立した。さらに13年からは、東京大学大学院に進学し、抱っこやおんぶに関する研究を深めている。その研究過程で、抱っこやおんぶに関する体系的 な研究がほとんど存在しないことに気付いた。この「なぜ抱いているのか」という問いを追究することで、赤ちゃんの発達や親子の関係性におけるベビーウェアリングの重要性を裏付けていった。
同社の製品は、便利さや機能性を追求する一般的な育児用品とは違い、「ママやパパが自分で考えて使う」ことに重点を置いている。赤ちゃんは一人一人、体型や成長の速度が違うため、それに合わせて自分で抱っこひもを調整しなくてはならない。この繊細な調整を伝えるため、13年頃には全国各地の助産院などで、抱っことおんぶの教室を開催し、赤ちゃんと密着するベビーウェアリングの素晴らしさを直接伝えた。現在は動画やSNS、チャット、メールなど多様なツールを駆使して、顧客へのサポートを徹底している。
里山の新たな拠点で子育てや起業の支援
創業当初からネット販売に力を入れ、口コミで着実にファンを増やしてきたものの、20年のコロナ禍では状況が一変した。医療機関や助産師によるリアルな場での紹介機会が激減した上に、Googleのアルゴリズムが変更になったことで、売り上げが大幅にダウンするという苦境に直面した。
園田さんは、会社を静岡市街地から、市内の自然豊かな里山へ移転することを決意した。親戚が持っていた土地と家屋を買い取り、23年4月に新たな拠点「こぐまPlace(プレイス)」を整備。誰もがやりたいことに挑戦できる場所として、子育てや起業を支援する場を提供している。今年5月には、築250年の古民家を大改装した宿泊施設もオープンした。
少子化が加速する社会において、園田さんは「赤ちゃんのことを第一に考える人に確実に届けられれば、販路はある」と考えており、そのためにも「正しい情報をどんどん出して伝えていく」としている。これからも同社は、オリジナル製品と正しい情報を通して、親と子がより豊かに育ち合える社会の実現に貢献していく。
会社データ
社 名 : 北極しろくま堂有限会社
所在地 : 静岡県静岡市葵区平野135
電 話 : 054-295-4690
代表者 : 園田正世 取締役
従業員 : 6人(パート含む)
【静岡商工会議所】
※月刊石垣2025年8月号に掲載された記事です。