週末の午前、岩手県陸前高田市の中心部にある複合商業施設「アバッセたかた」は早くも人でにぎわう。買い物袋を手にした老夫婦が店頭で店員と言葉を交わし、隣接する図書館からは学生が専門店街へと歩いていく。まちなかへ続く通りでは、店主が顔なじみの客に穏やかな声をかけている。
特別な光景ではない。だが、この何気ない日常こそがこのまちにとってはかけがえのない回復の証である。かさ上げされた土地の上に人が集い、店が迎え、言葉が交わされる。その繰り返しの中で、まちは再び自らの鼓動を取り戻している。
まちを支える商人の決意
2011年3月11日、東日本大震災の津波は中心市街地を壊滅させた。多くの事業者が店を失った。それは単に建物を失うことではなく、人が訪れ、言葉を交わし、信頼を育んできた場所そのものを失うことであった。商いとは、空間ではなく関係の中にある。その基盤が断ち切られたのである。
その後、市街地は10メートル以上かさ上げされ、新しいまちづくりが進められた。その中心に整備されたのがアバッセたかたである。商業施設と図書館、地元専門店、大型店が一体となり、人が行き交う拠点として17年に開業。失われた機能を補うためだけの施設ではない。まちの時間をもう一度動かすための起点であった。
専門店街の理事長を務める伊東孝さんは、その歩みを最も近くで見つめてきた。震災後、自らの店の再建に取り組みながら、まちの再生にも力を注いできた。
「ここに来て、久しぶりに会った人たちが再会を喜び合う姿を見ると、やってよかったと思います」という言葉は、この場所の役割を語っている。アバッセたかたは、単に商品を売る場ではない。人が再び顔を合わせ、互いの存在を確かめ合う場である。
店を再建し、客を迎える。その一つ一つの積み重ねが、まちの連続性を支えている。商人が店に立ち続けること自体が、このまちの未来を支える力となっている。
このまちに残る最後の書店
専門店街の一角にあり、伊東さんが会長を務める伊東文具店は、1961年創業の書店兼文具店。震災で店舗を失うが、翌月には仮設店舗で営業を再開し、アバッセたかた開業とともに本設店舗として再出発した。現在、市内で唯一の書店として地域の教育と文化の基盤を支えている。
震災では、社長を務めていた弟とその家族2人が犠牲となった。しかし、伊東さんは弟の志を継ぎ、店を守ることを決意。「このまちに書店は一つしかありません。なくしてはいけないと思っています」という言葉には、商売を続ける理由が明確に示されている。本を並べ、文具を届けるという日々の営みは、地域の暮らしと学びを支える静かな責任の実践である。
その歩みを引き継ごうとしているのが、長女の伊東亜希子さんだ。震災後に陸前高田へ戻り、売り場づくりを担っている。
「来てくれた人に楽しんでもらいたいし、自分も楽しみながら店を続けていきたいと思っています」という思いは売り場の細部に宿る。商品を選び、並べ、手に取りやすい位置に置く。その一つ一つの判断は来店者の時間を豊かにしたいという意志に基づいている。
アバッセたかたの周囲では、地域事業者がそれぞれの店を営む。器や和雑貨、地酒を扱う「いわ井」の店主であり、まちづくり会社の代表も務める磐井正篤さんもその一人だ。
「アバッセが先頭を切って花を咲かせてくれた。その周りに私たち小さな店が並び、花畑のようなまちにしていきたい」という言葉には、まちは誰かに与えられるものではなく、自らの手で育てるものという覚悟がある。一つの店がともした灯が隣の店へと連なり、まち全体の明かりとなる。商人の営みは個別の活動でありながら、同時にまち全体を支える基盤でもある。
まちは、建物によって成り立つのではない。そこに立ち、人を迎え、営みを続ける人によって成り立つ。かさ上げ地に咲く店々は、困難の後に根を張り直した存在である。その一つ一つが確かな灯となり、まちの未来を照らしている。
(商い未来研究所・笹井清範)
