東京商工会議所認定健康経営アドバイザー/株式会社エムティーアイ ヘルスケア営業部・CARADA導入サポート部部長 堀口麻奈
株式会社エムティーアイ ヘルスケア事業本部ヘルスデータサイエンスグループリーダー 佐藤 誠
日本で健康経営の取り組みが始まって10年余り。当初は大企業中心であったが、ここ数年は中小企業も積極的に取り組み始めている。2020年3月に、経済産業省が発表した「健康経営優良法人」の認定状況を見ると、4回目となる今回は大規模法人部門で1481法人、中小規模法人部門で4723法人が認定された。特に中小規模法人部門の認定数は、初年度(17年度)が318法人、18年度が776法人、19年度が2053法人と毎年度増加し、今回は初年度と比較して15倍ほどとなった。特集では、主に中小企業の健康経営をアシストしている堀口麻奈氏(東京商工会議所認定健康経営アドバイザー)と佐藤誠氏が共同執筆した特別寄稿を紹介する。なお、当所発行のビジネス情報誌『月刊石垣』(4月号、4月10日発行)の特集において、堀口氏へのインタビュー記事と健康経営に関する取り組みの好事例を紹介するので、合わせてご覧いただきたい。
健康経営の取り組みはコストではなく投資
労働者の平均年齢はこの40年で7歳上昇した(総務省統計局労働力調査)。7歳上昇すると、その職場で病気になる人の割合は2倍になると算出されている(厚生労働省第5次循環器疾患基礎調査)。さらに、出社はしているが心身の不調から十分にパフォーマンスを発揮できない「プレゼンティーズム」という状態が企業の健康関連コストの77・9%を占めていることも分かった(厚生労働保健局コラボヘルスガイドライン)。また、健康リスクの高低で従業員1人当たりの労働生産性損失コストを比較したところ、健康リスクの高い従業員は172万円のコスト損失であり、健康リスクが低い従業員の59万円と比較すると2・9倍の差が見られた(古井祐司・村松賢治・井出博生『中小企業における労働生産性の損失とその影響要因に関する研究』)。
このような職場環境の変化や調査結果から、従業員の健康リスクが重要な経営課題として認識されていることで、健康経営がより注目される背景となっている。とはいえ「福利厚生や従業員の健康管理と何が違うのか」「労働安全衛生法(安衛法)は守っているし、これ以上コストはかけられない」という声も聞かれる。健康経営が福利厚生や安衛法の考えと大きく違うところは、健康経営は「会社の経営課題を解決するための一つ」であり「経営戦略の一つ」であるという点だ。経営資源のうち「ヒト」の生産性、パフォーマンスの向上に対して投資することでありコストではない。そのため、経営者は「投資」という観点から確実に健康経営のPDCAを回し効果的な施策を見つけ、ブームとしての健康経営ではなく「持続可能な健康経営」を目指していただきたい。
そこで本特集では、株式会社エムティーアイが実施した「8都道府県19社の従業員1万3582人の健康調査(2018年6月〜19年8月)」と、沖縄県健康長寿課で実施した「沖縄県30社従業員1803名の健康調査(18年11月〜12月)」を基に、従業員の仕事のパフォーマンス、心身の不調の症状、生活習慣、職場の一体感(ソーシャルキャピタル)、仕事への活力や熱意(ワークエンゲージメント)の関係性を分析し、四つのポイントにまとめた。
これらのポイントを押さえ健康経営をより効果的・持続的に推進されることを期待したい。
職場環境の改善で生活習慣が大きく変化
一つ目のポイントは、企業が生活習慣の基盤をつくると認識し、パフォーマンスが低下するような生活習慣をつくる職場環境になっていないかチェックすることである。従業員の生活習慣は地域差よりも、業種や業務内容による働き方など職場環境の差の方が、影響が大きいことが示唆された(図1)。働き方の分類は、体を動かす業務かどうか、生活リズムを自分でコントロールしやすい業務かどうかで四つに分け、基本的に次のような業務が該当する。
①事務系業務×生活規則的(主な業務:事務、企画、管理、テレオペなど)
②事務系業務×生活不規則(主な業務:営業、小売、接客、IT開発など)
③非事務系業務×生活規則的(主な業務:製造、工場、建設作業など)
④非事務系×生活不規則(主な業務:医療、介護、警備、清掃など)
「生活習慣」というと「プライベートなことで口出ししにくいし、従業員も嫌がるのでは?」と思うかもしれないが、長時間労働が多ければ睡眠時間は削られ、昼食時間を取ることができなければ、適当な食べ物をかき込むだけになり休養も栄養も十分に取れない。飲み会が多ければ飲酒回数も増え、たばこを吸っている人の影響が強い職場だと周りも吸い始める。逆を言えば、職場環境を上手にコントロールすることで生活習慣も改善でき、パフォーマンスの高い従業員を増やすことにつながるのである。また、企業が健康経営を実施することに対しては86・5%の従業員が良い取り組みだと感じている。企業は遠慮せず高パフォーマンス従業員をつくり出すために職場環境からの生活習慣改善に乗り出してほしい。
社員の能力発揮にはストレス性不調を減らす
二つ目のポイントは、仕事のパフォーマンスに影響している不調から解決していくことである。頭痛・肩こりなど16項目の心身の不調と仕事のパフォーマンスの関連性について分析したところ、パフォーマンスに一番影響している不調は性別・年代、働き方を問わず「気分が落ち込む」「イライラする」「いつも疲れている、だるい」といったストレス性の反応症状であった。それらの症状を持つ従業員は、職場の一体感、仕事への熱意・活力においても低い傾向にあった。「目の疲れ」や「肩こり」なども自覚症状としては上位ではあるが、パフォーマンスとの関係は必ずしも強くないため、健康経営という観点ではパフォーマンス、職場の一体感、仕事への熱意・活力に影響する「気分が落ち込む」「イライラする」「いつも疲れている、だるい」といった不調を起こしにくい従業員を育てることが効果的である。
能力の最大発揮には「時間」が肝
三つ目のポイントは、「ストレス性反応症状」を起こす従業員の生活習慣を会社環境から変えていくことである。ストレス性反応症状を持つ従業員の生活習慣は「主食のみで食事を済ませる」「睡眠による休養が不十分」が多く、主食のみで済ませる人は「昼食時間が取れない、食事をおやつで済ませる、夕食が就寝3時間以内」という生活習慣もあるという傾向が強く見られた。これらの生活習慣に共通していることは「時間の不足」ということである(図2)。残業をさせない、休養時間をしっかり取らせるための業務工夫をし、栄養・休養といった「英気を養う時間」をしっかり取れる職場環境をつくることを経営トップと現場の上長で意思決定し強く推進することで、イキイキと働くパフォーマンスの高い従業員を生み出すことが期待できる。さらにパフォーマンスの高い従業員は、仕事への熱意や活力も高く、職場の一体感も高い傾向にある。「食事や睡眠の時間をしっかり取れる職場環境づくり」は、運動会や食堂の設置など多大なコストをかけずにでき、健康経営として非常にコストパフォーマンスの高い施策なのでぜひ取り組んでほしい。
中小企業は人手不足などから1人当たりの業務量が多いこともあり、残業時間の削減や昼休み、有給休暇の取得などが難しい場合もある。しかし、従業員のパフォーマンスを上げることは、労働生産性の向上にもつながることが期待でき、突然の休職や離職防止にも大きく貢献し、さらには企業のブランド価値が向上することで採用応募が増えるなどメリットも大きい。「急がば回れ」の精神で強く推進し継続していただきたい。
パフォーマンス発揮と関係性の高い施策
四つ目のポイントは、「食事や睡眠の時間をしっかり取れる職場環境づくり」が出来た後に検討していただきたい効果的な健康経営施策である。左の図3は、沖縄県の調査で実施した各企業の健康経営の施策の取り組み度合いと従業員のパフォーマンスとの関係性を分析した結果である。パフォーマンス、職場の一体感、仕事への熱意・活力に効果のある企業の施策は、食生活改善、健康経営担当者の設置、受動喫煙であることが分かった。
健康経営担当者の設置は「経営者の健康経営に対する本気度」を従業員がくみ取れ、会社への信頼感が高まると考えられる。また、健康経営の運営の責任も明確になり、会社として推進していくためには担当者・チームは不可欠である。このとき注意すべきは「最終責任者は常に経営トップ」であるということ。経営者の強いリーダーシップが健康経営を形骸化させず、持続可能とさせる重要な鍵となる。
また「食生活の改善」や「受動喫煙対策」は従業員が実感しやすい施策のため、会社への信頼も高まりやすく、環境が改善されることにより仕事への集中度や熱意の面でも好影響が出ていると考えらえる。たばこに関しては、グループインタビューなどから、吸わない従業員から見ると吸っている従業員は暗に優遇されているように感じていることが分かった。たばこ休憩は認められるのに、吸わない従業員がお茶を飲んだりしているとサボっているような目で見られたり、「禁煙したら××万円贈呈」や禁煙補助金などの禁煙施策なども吸わない従業員から見ると不公平に感じるようだ。健康経営においては「禁煙」よりも吸わない従業員をたばこからどう守るかという「受動喫煙対策」の観点で取り組むことで、職場の一体感や仕事への熱意・活力に好影響が生まれやすい。
食生活はポイント1で記した四つの「業務による働き方」を、ご自身の会社の業種や部門の業務に当てはめて施策を考えると効果的である。生活リズムが不規則になりやすい業務の従業員は、悪い生活習慣が多いため積極的に取り組んでほしい。
パフォーマンスや仕事への熱意・活力であるワークエンゲージメントに負の相関が出た施策は「ストレスチェック」「教育機会の提供」である。これらは実施そのものが悪いのではなく「何のためにやるのか」「その結果をどう生かすのか」といった目的が曖昧、実施後のフィードバックの不足などが理由と考えられる。「義務化だからやる」「余裕がない業務時間内に何のためか分からない健康セミナーの受講を求められる」などでは、従業員からは本末転倒と受け止められ、施策としては逆効果になってしまうようだ。実施する際は目的とその結果の活用方法を十分に理解してもらってから行うことが重要である。
健康経営は、経営者の強いリーダーシップが重要なことから、中小企業こそ積極的に取り組めば、その分効果も実感しやすいと考える。健康経営を実施した企業の6カ月後の変化は、「コミュニケーションが増えたと感じた従業員」44・2%、「会社への満足度が増えたと感じた従業員」36・6%であった。健康経営施策による共通の会話として健康について雑談したり、会社が従業員を大切にしていることが伝わった結果と読み取れる。
従業員の詳細な健康調査分析や施策に多額の投資をしなくとも、本稿を参考に、まずは「食事や睡眠の時間をしっかり取れる職場環境」であるかの指標として、「残業時間」「有給休暇取得率」「昼食時間の確保」などをチェックしてほしい。それが不十分であれば、現場の上長と共に業務の進め方を見直し、パフォーマンスの高い従業員を生み出す職場環境づくりに、早速一歩踏み出してほしい。
新型コロナウイルス感染症の拡大など、経営不安の要素は常にあるが、そんなときだからこそ健康経営を実践、継続し、イキイキとしたパフォーマンスの高い従業員が集まる一体感のある職場をつくり、企業の持続的な発展につなげていただくことを切に願っている。
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