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100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 まちに貢献することで恩恵が返ってくる その恩恵をまちに返すことで商売が繁栄する

三輪酒造

岐阜県大垣市

三輪酒造の酒蔵。明治20年に建てられ、その後の大地震、大洪水、空襲を乗り越え、国の登録有形文化財に指定されている

140年前の家訓を今も守る

岐阜県南西部、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅で最後に訪れた場所としても知られる大垣市に、三輪酒造はある。天保8(1837)年に澤田家の名で、つくり酒屋として創業した。初代の三輪徳次郎は10歳で酒蔵の丁稚(でっち)奉公に出た後、独立して酒づくりを始めたという。そこから澤田屋は歴史の大きな流れとともに歩んでいくことになったと、七代目当主で現在は三輪酒造の会長を務める三輪髙史さんは言う。「澤田屋の酒は評判が良く、大垣藩御用達となりました。幕末、藩政の中心人物だった小原鉄心の知遇を得たことから、徳次郎は長男の吉平を鉄心に預けました。吉平は、大政奉還後の新政府に召されていた鉄心の密使として(新政府と旧幕府勢力が戦った)戊辰戦争の戦場に派遣され、明治維新後に家の本業に戻ってきたのです」

二代目吉平の時代になってからも店は繁盛を続け、酒づくりのほかに江戸(東京)で米の卸業も営むまでになっていた。ところが、明治11(1879)年に澤田屋の仕込み蔵が火元となり200軒を焼く大火災を起こしてしまった。「その際に吉平は、店の全財産を投げ打って被災者に賠償しました。その後、江戸から火消頭を呼び、大垣に大文字組という町火消をつくり、吉平が初代組頭になりました。以来、“代々消防にご奉仕せよ”という家訓ができ、今日まで、市の消防関連団体の団長や会長などを務めてきました」

しかし、災難はそれだけでは終わらなかった。年月をかけて火事の痛手から立ち直ったところで、24年にマグニチュード8の濃尾(のうび)地震、29年には大洪水が発生し、店は大きな被害を受けたのだった。

桶売りからどぶろく製造へ

わずか5年間に大災害が相次いで起こり、大垣のまちは壊滅状態になった。そこで、26年に創設されたばかりの大垣商工会議所が中心となり、大正元(1912)年にまちの産業起こしのため、ガス会社と電力会社を設立した。「うちの三代目も本業をやりながらガス会社の創設に関わっています。本業をやりながらまちに貢献することで、いつかその恩恵が返ってくる。その恩恵をまたまちに返す。それを繰り返していくことで会社が次の代に栄えていくのです」と三輪さんは確信を持って語る。

戦時中でも米不足の中なんとか材料を仕入れて酒づくりを続け、戦後は大手酒造メーカーへの桶売り(つくった原酒を桶ごと販売すること)で酒蔵を維持していった。

昭和47年、三輪さんは東京の大学を卒業すると、地元に戻って家業を継ぐことになった。「下請けをしていた酒造メーカーの専務から、もう桶買いはなくなるから、これからは自分たちで売れる努力をしないといけないと言われ、生き残っていくためにいろいろやりました。自社のブランドで売れるのが一番いいのですが、それは難しい。そこで、ラベルに新郎新婦の名前を入れた酒を結婚式場に売り込んだり、観光地や大河ドラマの名を冠した酒など相手の名前を入れた商品をつくったりすることで、三輪酒造を残す努力をしました」

時代に合わせた変化が必要

今の三輪酒造にとって運命的な出会いがあったのは、それから数年後のことだった。「合掌造りで知られる白川村の消防大会に先代が岐阜県消防協会長として参加したとき、村長さんから『村のどぶろく祭りで売るどぶろくをつくれないか』という相談がありました。どぶろくは密造酒で、神社の祭事用には特別に許可されていましたが、村の外に持って出ることができない。祭りに来る観光客がお土産に買って帰れるどぶろくをつくってほしいという依頼でした。本来は地元でつくるのが一番なのですが、地元の酒造組合の反対などもあって断念し、私どもの酒蔵でつくることになったのです」

そうやってできたのが『白川郷 純米にごり酒』。白川村で売る以外に東京のデパートなどで試飲会も行い、現在は三輪酒造を代表する酒として全国の酒販店で扱われるようになっている。

「私が会社を継いで45年ですが、酒をつくることは同じでも、売り先はどんどん変わっている。百貨店から始まり、小売店を開拓して、スーパー、量販店が増えてきて、今はネットです。でも、最終的に売る相手がお客さまであることは変わりません。何も変えない一方で、時代に合わせて何かを変えていくことで、次の代に残っていくことができるのです」 そんな三輪さんが見つめる将来は三輪酒造のことだけではない。

「大垣のまちにもっと多くの人が来てもらえるようにしたい。それに三輪酒造がどう寄与していくかが今後の課題です。まちに恩返しすることによって、それがまた商売に返ってくるのですから」

プロフィール

社名:株式会社三輪酒造

所在地:岐阜県大垣市船町4-48

電話:0584-78-2201

HP:http://www.miwashuzo.co.jp/

代表者:三輪研二 代表取締役社長

創 業:天保8(1837)年

従業員:20人

※月刊石垣2018年4月号に掲載された記事です。

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