庄分酢
福岡県大川市
一子相伝の製法でつくる
米の生産が盛んな福岡県南西部の筑後平野にある大川市で、庄分酢(しょうぶんす)は宝永8(1711)年の創業以来300年以上にわたり、昔ながらの製法で酢づくりを続けている。江戸時代初期の寛永元(1624)年に高橋家初代の清右衛門がこの地に移り住み、二代目が酒づくりを始め、四代目のときに酢をつくり始めたのだという。
「酒をつくり始めた年代がはっきりせず、残っている最も古い記録が宝永8年に四代目が酢の商売を始めたというものなので、この年を創業年にしています。それからこれまで、一子相伝の製法で代々行ってきました。酢という字には酒と同じ部首があることからも分かるように、酢は酒が酸っぱくなってできたものです。四代目が酢をつくるようになったのも、その流れだったのではないかと思います」と、十四代目の高橋一精(かずきよ)さんは語る。
高橋家には一巻の家伝が残されている。そこには代々受け継がれてきた酢の製法が書かれており、その巻頭には「銘酢製造秘伝左ノ如シ 秘伝代々相続人ヨリ外一切如何ナル場合ト雖モ見スル事無用ノ者也 右子々孫々相守可キ者ナリ」とあり、跡を継ぐ者だけがその家伝を見ることを許されてきたのだという。
「昔ながらの製法を使った酢づくりには気候の変化を感じ取る長年の勘も重要で、いろいろな苦労があります。この家伝には、自分たちが代々つくりあげてきた製法を子孫に残し、その苦労を少しでも軽くしてあげたいという思いも込められているのだと思います」
数々のピンチを乗り越えて
「昔ながらの製法というのは、簡単に言うとゆっくり時間を掛けてつくるということです」と高橋さんは説明する。「有機玄米くろ酢」の原料は米、水、こうじの3つだけで、蒸した玄米にこうじ米を混ぜ合わせ、土の中に半分埋まった仕込みがめで3、4カ月かけて発酵させる。それが終わると貯蔵タンクで約2年間熟成させて、ようやく製品になる。「ゆっくりつくることで酸味がまろやかになりツンとこない。これが庄分酢の特長になっています」
「庄分酢」という名称は、店がある場所の地名が「庄分」であったことから地元の人たちが「庄分さん」と呼ぶようになり、それがブランド名になったのだという。
「そうやって地道に酢をつくってきましたが、十一代目が借金の保証人になって店を失ったことがありました。なんとか十二代目が店の土地と建物を借りる形で商売を続けて少しずつ借金を返していき、最後には店を買い戻すことができました。そのおかげで今も続けることができているのです」
次のピンチは昭和40年代の高度成長期だった。大手メーカーが酢の大量生産を始めてスーパーで安く売られるようになり、小さな醸造所が追い込まれていったのだ。「うちも打撃を受け、生産量が減りました。私が家に戻って会社に入ったのはそのころです。そのときに私が考えたのは、うちのような小さな店が生き残っていくためには、それだけの存在価値がないといけないということでした」
新ブランドで東京に進出
高橋さんが考えた庄分酢の存在価値というのが、代々使ってきた蔵や木おけ、かめであり、昔ながらの製法だった。「この製法が、これまで300年近くやってきたうちの強みです。これに特化したこだわりの商品をつくることで付加価値を高め、ほかのメーカーとの差別化を図っていくことにしました」
また、以前は卸売りが中心だったが、直販にシフトしていくために、酢をつくる蔵の見学会を開催したり、店舗2階をレストランにして酢を生かしたランチを提供したりするなど、消費者と直接触れ合えるようにしていった。「これは、蔵見学で酢づくりの現場を味覚と嗅覚で感じてもらい、レストランではうちの酢の味を味わうことで本物の酢の良さを知っていただいて、おいしかったら下の店舗で買ってくださいという仕掛けです」
今年4月には銀座にオープンした商業施設・GINZA SIXの飲食店フロアに出店し、東京進出も果たした。「お話をいただいたとき、うちは全国では無名なので迷いました。そこで新ブランドを立ち上げ、うちの長期発酵の酢をベースに新商品を開発して販売することにしました。発酵食品は日本が誇る食文化の一つです。銀座には全国からお客さまが集まるので、多くの方にうちの酢を味わっていただき、酢の食文化の素晴らしさを知っていただけたらと思っています。それが酢の老舗としての役目でもあります」
昔ながらの製法を守りつつ、時代に合わせた商品をつくっていくことで、庄分酢はこれからも酢の食文化を伝え続けていく。
プロフィール
社名:株式会社庄分酢
所在地:福岡県大川市榎津548
電話:0944-88-1535
代表者:高橋一精 代表取締役
創業:宝永8(1711)年
従業員:約50人(パート含む)
※月刊石垣2017年12月号に掲載された記事です。
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