長野県・軽井沢町に平成26年8月、型破りの高校が開校された。世界39カ国から、国籍も宗教も社会的バックグラウンドも異なる高校生が衣食住を共にして「国際バカロレア※」を学ぶ。代表理事を務めるのは、小林りんさん。学校設立のための資金をゼロから集め、難事業を実現させた人物だ。大きな壁を次々なぎ倒していく彼女を、周囲は「ブルドーザーのような人」と言う。
※国際バカロレア機構(本部:ジュネーブ)が提供する国際的な教育プログラム。国際的な視野を持った人材を育成するため、生徒の年齢に応じたプログラムを実施する
挫折を力に変える
「インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(略称:ISAK)」設立プロジェクトに携わるまで、小林さんはユニセフ(国連児童基金)の職員としてフィリピンに赴任し、ストリートチルドレンの識字率を上げる事業に携わっていた。同国は深刻な格差社会の国だ。富裕層エリアの近隣では路上に貧困層の子どもたちが佇(たたず)むというギャップがある。小林さんが問題視したのは、国をリードするはずの富裕層が格差社会の是正に積極的でない点だ。
「これではいくら貧困層に向けて教育しても格差は埋まりません。ダイバーシティーを寛容し、世界に変革をもたらすリーダーを育てないことには、根本の解決にならないと痛感しました」
そんなとき、あすかアセットマネジメント代表・谷家衛(まもる)さんと、運命の出会いを果たす。谷家さんはライフネット生命保険の立ち上げなど、ベンチャー企業への投資・育成に携わる大物投資家だ。かねてからアジアと日本の子どもがともに学ぶインターナショナルスクールの構想を練り、同じ志を持つ運営者を探していた。
「谷家さんに『学校をつくろう』と言われたときに予感しました。人生をかけて取り組む天職にようやく巡り合えたのだと……!」
平成20年8月、小林さんは34歳でユニセフを退職し、学校設立のために帰国した。しかし1カ月後にリーマンショックが起こる。約束されていた設立資金20億円は白紙に戻り、出鼻をくじかれることとなった。
ふるさと納税が追い風に
資金がないなら支援者を募ろう。小林さんはすぐに前を向き、立ち消えとなった「1人の投資家から20億円寄付してもらうプラン」を「100人の投資家から1000万円ずつ募る」〝プランB〟に変更した。しかし、小林さんには実績も信用もない。
二つ返事で快諾する支援者は見つからず、そこから4年間、設立資金づくりに奔走することとなる。開校までに交換した名刺は5000枚を数えたというが、いよいよ行き詰まる小林さんに転機が訪れたのは、高校の同級生のこんな一言がきっかけだった。
「ビジョンを語ることも大切だけど、やはり実例が必要。小さくてもいいから学校を開いて、りんちゃんの頭の中にある構想を可視化してごらんよ」
そうして始まったのが、約2週間のサマースクールだった。アジアを中心とした世界数カ国の中学生を対象にしたサマースクールは評判となり、口コミで瞬く間に広がっていった。注目度は数字にも顕著に表れた。1年目の募集は30人、2年目は50人、3年目は50人のスクールを2度開催した。4年目は定員を100人に増やしたところ、応募者は400人を軽く超えた。それを受けてメディアや個人などによる支援の機運も高まっていく。一人また一人と、支援者は増えていった。追い風となったのは、24年7月に軽井沢町からふるさと納税制度の応援校として認定されたこと。これにより24年分は約7500万円、翌年は約1億2000万円もの寄付金が集まり、それらは生徒たちの奨学金に充てられることとなった。
ISAKは多様性を重視している。「国籍も宗教も社会的バックグラウンドも問わないすべての人に教育を」との考えで、返済義務のない給付型奨学金を支給している。生徒のうち7割は海外留学生で、中にはネパールの山岳地帯からやってきた者、インドのアウトカースト出身者などもいて、さまざまな面々だ。またISAKは、世界トップレベルの教育プログラムである国際バカロレアを導入し、卒業生は世界共通の大学入試受験の資格を取得できる。
「授業は教わるものではなく、探求するものです。だから先生はレクチャラーではなく、ファシリテーター。大人が答えを示すことはしません」
この教育方針で、生徒たちが成長したことを示す象徴的な話がある。それは27年にネパール地震が起こったときのこと。ISAKに通うネパール出身の生徒が、「十数万円の義援金を集めるプロジェクトを企画したい」と申し出たという。小林さんはじっくり耳を傾けた後、こう話した。「母国の危機だというのにたった十数万円? もっと現地に目を向けるべきでは。被災された方々が何を必要とし、いくら準備すべきか」
これを受けた生徒はプランを再考し、後日持って来たのがクラウドファンディングの手法を使って、世界規模で義援金を募るプランだった。結論はというと、約400万円の義援金を獲得し、プロジェクトは現在も継続中。現在では、生徒たちの活発な活動の結果により約700万円まで増額している。
教師の採用倍率100倍へ
28年11月、ISAKはさらに教育業界を驚かせることとなる。4年がかりで準備を進めてきたUnited World Colleges(通称UWC)への加盟が承認されたのだ。「UWCに加盟することは、すなわち入り口・中身・出口が充実することになります」
入り口とは、155の国々で約3500人のボランティアがISAKにフィットする人材を探すこと。ISAKの少人数のスタッフが30~40カ国を回るケースとでは、スケールがまったく異なる。
中身は、教師の質だ。学校の良しあしは教師の力量で決まる。UWC加盟校になった途端に、世界トップレベルの教師陣がこぞって就職試験に挑み、その倍率は100倍に跳ね上がるそう。
「教師の方々は、国際バカロレアのなかでUWCが最もダイバーシティーがあり、優秀な学生が集まる環境だと知るんです。これは国際バカロレア市場において周知の事実と言えます」
出口とは、米国の提携大学に合格したUWC卒業生が経済的に進学が困難な場合、学資面での支援が受けられることだ。
教育界に新風を吹き込む小林さん。驚くことに、学校設立まで彼女は無給で働き続けたという。来年は、プロジェクトが発足して10年目の年になる。
「先生方やスタッフ陣の懸命な努力のおかげで、私の業務負担がずいぶん軽減されました。その分、新たにできた時間を使って、教育界の変革に尽力すべきか、はたまた海外に向けてISAKの活動をメッセージとして発信すべきか、じっくり考えたいですね」
来年はISAK初の卒業生が誕生する年でもある。軽井沢から世界へ。多数の思いをのせて、若きリーダーが旅立とうとしている。
小林りん(こばやし・りん)
社会起業家
昭和49年、東京都生まれ。学校法人インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK)代表理事。カナダの全寮制インターナショナルスクールに留学。その原体験から、東京大学経済学部で開発経済を学ぶ。ベンチャー企業経営などを経て平成15年、国際協力銀行へ。17年スタンフォード大学教育学部修士課程修了。国連児童基金(UNICEF)勤務の後、20年にISAK発起人代表の谷家衛氏と出会い、学校設立をライフワークにすることを決意した。21年4月から現職。「ヤング・グローバル・リーダー2012」に選出される。24年6月には、日本政策投資銀行が主催する「第一回女性新ビジネスコンペ」にて日経新聞特別賞、日経ビジネス「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー」などを受賞
写真・矢口和也
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