Jリーグでの出場試合数は400超。4度のW杯で日本代表のメンバーに入り、国際Aマッチ出場は100試合を超えるなど、まさに日本を代表するサッカー選手として活躍を続ける川口能活選手。大舞台になればなるほど大きな力を発揮する日本を代表する守護神だ。マイアミの奇跡と呼ばれるアトランタオリンピックのブラジル戦(平成8年)、チームの絶体絶命のピンチを救ったアジアカップのヨルダン戦(16年)、ドイツW杯のクロアチア戦(22年)など、その鬼気迫る活躍を覚えている人も少なくないだろう。26年1月からは新天地・FC岐阜でプレーする川口選手に、あらためてサッカーへの思い、これからのキャリアについて語ってもらった。
正しいと信じているから判断に対する恐怖はない
「(岐阜は)夏場は暑いですが、非常に過ごしやすい。人も優しいし、名古屋から電車で20分ほどで来られる。思っていた以上にまちは大きいですし、歴史もあって風情も感じられる。僕は好きですね」
不世出の英傑・織田信長が、天下統一に向けて本拠地としたまち「岐阜」。川口さんは9年間在籍したジュビロ磐田から、そんな歴史ある岐阜のまちにあるサッカークラブ、FC岐阜ヘ平成26年1月に移籍した。「住む環境が変わるのには慣れているので大丈夫。ただ、今は単身で来ていて、家族と離れているのが寂しいです」と少し困ったような笑顔を見せる姿は、プレー中に自らを奮い立たせ、仲間を鼓舞する鬼気迫るそれとはまったく違う。家族を思う、優しい父親の表情だ。
サッカーでゴールキーパーといえば〝守り〟の象徴的存在である。ピッチに立つ11人の中で、唯一手を使うことを許された、最後の砦。しかし、川口選手のプレースタイルは〝守り〟でありながら、積極的に前へ出る〝攻め〟の印象が強い。それが大きな魅力の一つであるのだが、積極的に前に出るということはもろ刃の剣でもある。うまくいけば絶体絶命のピンチを一気に切り抜けることができる反面、一歩間違えれば即失点。恐怖を感じることはないのだろうか。
「その状況の中で、自分が〝正しい〟と思ってそういうプレーをしているので、怖さというのはありませんね。積極的に前に出て守る、そのスタイルでずっと戦ってきましたし、それでピンチも防いできました。だから悔いや、恐怖というのはあまりありません」
他人から見れば、リスクが大きいと感じる方法であっても、これが正解だと思える自信を持っていれば、恐れず戦うことができる。そう思える強い自分を、厳しい練習の中でつくり上げてきたという。
「もちろん、過去には判断ミスで失点してしまったこともあります。だけどその後、そのミスを引きずらないようにしてきました。気持ちの切り替えもそうですし、ミスをミスに見せないようにすることも必要。そういうメンタルの強さが重要です。そして、成功も失敗も、起こったことに関しては、きちんと分析するようにしています」
強い自分を練習でつくり上げ、本番に臨む。成功も失敗も分析し、糧にすることで、さらに大きな成功につなげる。本番で得た成功体験が、また自分の自信につながっていく。そのポジティブな連鎖が、ミスに対する恐怖を消してくれるのだろう。
チームのメンバー全員が同じ方向を向けるようにする
9歳からサッカーを始め、清水市立商業高等学校(現静岡市立清水桜が丘高等学校)、Jリーグ、そして日本代表でもキャプテンとしてチームを牽引してきた。川口さんが思う、優れたリーダーとは、一体どんな存在だろうか。
「僕が思う優れたキャプテンとは、まずプレーのパフォーマンスも、周りを納得させることができるだけのクオリティーがあること。それがないと、キャプテンとしての資質もないかなと思いますね。次にリーダーシップ。リーダーシップっていろいろなものの捉え方があると思いますが、私は常に周りに目を配り気を配り、観察できること。それがリーダーにとって必要なことだと思います」
チーム内での人間関係や、選手たちのコンディションや表情……。笑っている回数が多いのか、落ち込んでいる回数が多いのか、元気があるのか、ないのか。そういった細かな部分を、俯瞰した視点からみることが必要だと川口さんは話す。
「その中で、表情も良く調子も良い選手っていうのは、それほど声を掛けなくてもいい。でも、調子の上がらない選手たちに対しては、声を掛けて話を聞いてみます。それによってチームの一体感も変わってくる。チームに属する一人ひとりのベクトルを、同じ方向に向かせるということが、チームリーダーの役割だと思います」
チームが一丸となるためには、優しさや気配りだけでは不十分だ。当然、厳しさも必要になってくるときもある。
「常に全員が良い状態をキープしているわけではありません。だから、ときには特定の選手に活を入れなければならないこともあります。当然、その選手に活を入れなければならない要因というのはある。そのままにしておくと、周りも不信感を持つでしょうから、誰かが言わなければならないのです。でも、できるなら言いたくないですよね。やっぱり、人に嫌われたくはないですし。でもだからこそ、あえて告げる勇気が必要なんです。もちろん活を入れたら、その後のフォローは大事です」
最終的に、このチームにとって何が正解なのか? そう考えたとき、出てくる答えは勝利すること、優勝すること、タイトルを獲ることだ。そのために必要な役回りであれば、それがどんな役回りであっても、リーダーが買って出るべきだと川口さんは力を込める。チームとして目指す場所へたどり着くために、リーダーとして最後に大切なのは〝勇気〟なのだ。
答えがないことに挑み続ける それが自分の生きがい
FC岐阜は、平成20年にJ2に昇格したチームである。川口さんの入団した平成26年にはラモス瑠偉氏が監督に就任。昇格を目指し、J1の世界を知る選手・指導者も集まってきた。その中で求められる自分自身の役割の一つが、チームの意識を引き上げていくことだと、川口さんは言う。
「自分にはJ1や代表で戦ってきたという経験があります。岐阜はずっとJ2にいるチーム。まずは意識の面で変わっていかないといけない部分がある。それを自分が引き上げていければと思っています。とはいえ、今のチームにはキャリアのある選手、力のある選手がたくさんいます。J1で戦ってきた選手、J2で経験を積んだ力のある選手……まだ結果が出ていませんが、彼らとよく話して、チームがどうしたら良くなるのかを共有していきたい。リーダーが一人で〝右向け〟といってチームを右に向かせるのではダメ。リーダーの近くで支えてくれる人が必要だし、その人たちのベクトルが同じ方向を向いてくれれば、チームのベクトルも自然と同じ方向を向くはずです」
自分が経験してきたことをチームに還元しながら、勝利を目指す。今年40歳を迎えた川口さんだが、現役選手として戦い続けたいという思いは強い。
「僕がサッカーを長いことやってきている中で気が付いたことは、セオリー通りにやっていれば絶対に勝てるわけではないということです。でも、だからこそ面白いし、いつまでも自分はプレーヤーを続けたいと思います」
日々の練習で自分の不得意分野をつぶし、自分の得意分野を伸ばす。勝つために努力を積み重ねていく。だが、こうすれば絶対に勝てるという答えはない。でも、勝つための努力をした方が、勝つ確率は絶対に上がる……その繰り返しだ。
「これが正解というものがないんですよね。答えはないけれど挑み続ける。挑み続けるのが自分の生きがいだと思っています。分かっているものをつかむよりも、分からないものをどうやってつかむか。模索して、挑み続けたい。それで、気が付いたらいろんなものを手に入れているという方が面白い」
将来的には、コーチや監督といった立場でタクトを振るいたいという川口さん。自分を育ててくれたサッカーに、この先もずっと関わって恩返しをしていきたいという思いもある。だが、今目指すことはFC岐阜で勝利をつかみ取ること、現役選手として、答えのない戦いに挑み続けることだ。
川口能活(かわぐち・よしかつ)
1975年8月15日生まれ。静岡県出身。9歳からサッカーを始め、小学校4年生から本格的にGKとしてプレーを始める。東海大学第一中学校、清水市立商業高等学校時代に全国区で活躍し、Jリーグ横浜マリノスに入団。海外移籍を経て、2005年からジュビロ磐田に在籍。2014年1月よりFC岐阜に所属している。日本代表としても活躍し、日本が出場した4度のW杯でメンバー入り。国際Aマッチ出場数は100試合を超え、日本代表キャプテンも務めた
写真・村越将浩
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